第四話 人ならざるもの

 バメイに家まで送られてから一週間。陽奈は誕生日を迎えた。暗い気持ちを悟られないようにと取り繕って学校に行けば、友人から特別親しいわけではない同級生まで陽奈の誕生日を口々に祝った。

 周囲から祝われる喜びと、かつての少年のような末路が待っているであろう不安がないまぜになり、学校が終わる頃には陽奈は吐き気を堪えながら誰もいない教室の隅に座り込んで丸くなっていた。


 幸いにも陽奈の青くなった顔に誰も気付くことはなかった。部活で残っている聖地に見つからないようにと、帰りのバスが来るまで人目を避けながら教室を転々と移動していた。

「陽奈、どうしたの?」

 幼い少女の声が聞こえる。その声に、陽奈の幼い頃の記憶が蘇る。

「お、ねえちゃん?」

 陽奈が顔を上げた先に、彼女がいた。幼い頃に姿を消した、姉の優奈がいた。陽奈と瓜二つの顔で、溌剌さを象徴するかのようなポニーテール。サイズが合わず少し大きい中学の制服姿で心配そうに覗き込むその表情は、陽奈が幼い頃に熱を出していた時と同じように__

「……」

「陽奈、すごい顔色が悪いよ?」

 声が出なかった。

「まったく、陽奈ったらすぐ無茶するんだから」

 最初から、本当は理解していた。

「ほら、家に帰ろう?」

 理解できていたのに、ずっと曇っていた。

「っう、……あああ!」

 頭が痛い。割れるような頭痛が陽奈をさいなむ中、それでも懸命に手足を動かす。そうして立ち上がると、目の前の優奈を押し退けて転がるように教室を飛び出した。

「いったた……あーあ、気付かれちゃった」

 押し退けられた優奈はそのはずみでロッカーの角に頭をぶつけ、血を流していた。わざとらしく傷を痛むふりをしているが、けろりとしたその顔はおぞましい笑顔を浮かべていた。

 廊下に転がり出た陽奈はそのまま出口に向かって走る。逃げなければ、逃げなければと持つれる足を遮二無二動かす。気付いてしまった。思い出してしまった。


 


「たすけて、だれか……!」

 走りながら、痛いと悲鳴をあげる肺と喉を酷使して掠れた声を絞り出す。背後からは振り返ることすら恐ろしい冷気が漂っている。姉が、優奈が、化け物が、追いかけてきているのだ。弄ぶようにゆっくりと、それでいて獲物は逃さないといったように確実に迫っている。

「来ないで!嫌!」

 気が付けば外は真っ暗になり、星空の天板に白い月が浮かんでいる。いつから自分は学校に留まっていたのか。時間の感覚さえ狂わされていたのか。

 やがて昇降口にたどり着くも、とっくに下校時間を過ぎた夜更けでは玄関の扉は閉ざされ、頑丈なガラス戸は叩いても簡単に割れない。

「誰か、……誰かいないの!?」

「いないよ。私と陽奈以外」

 耳元で声がする。振り払うように振り返ると、優奈がにこりと笑顔を貼り付けて立っていた。

「まさか稲置に依頼するとは思わなかった。ずっと勘違いしたままだったら、あと1日長く生きられたのに」

 あどけない声で悍ましい言葉を告げられる。そのままぬっと伸びた化け物の腕にあっという間に捕まった陽奈は、そのままギリギリと首を締め上げられた。

「本当は明日たべたかったけど、仕方ないよね。せっかくの獲物を逃すより全然マシだから」

 女子であるために浮き出てはいない喉仏に親指がかけられ、ゆっくりと押し込まれる。窒息しそうな苦しみであるはずなのに、一向に意識が遠のかない。永遠にも思えるような苦しさの中、陽奈のできる抵抗は自分の首を絞める手を引っ掻くだけだった。

「たすけ……て…………ば、めいさ……」

 脳裏によぎるのは、数週間前に出会った彼女の言葉。藁をも縋る思いで、少女は助けを呼んだ。

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