第二話 謎多き探偵達

 それからの陽奈の日常は変わらなかった。朝早くに起きて支度をしたら、1日二本しか無いバスに乗って学校へ行き、放課後は部活がなくとも学校に残る。そうして夕方に来る最後のバスに乗ったらそのまま家に帰るだけだった。

「結局あの噂も眉唾物かぁ……」

 最初から期待していなかった。バスに揺られながら陽奈は思う。そうしてゆらゆらと眠くなりながら住んでいる町にバスが着けば、そのまま降りて家へと向かった。ドアが開いた瞬間肌に刺す寒さに震えながら、短い秋の終わりを感じ取る。

 バス停から家に向かう道のりは短くない。今はまだ10分程度で辿り着けるが、あと一週間もすれば倍以上の時間をかけて家へ向かわなければいけなくなる。

「はぁ……」

 これからの季節を思えば気が重くなる。陽奈の人生を一変させた季節がやってくるからだ。

「先日ご依頼くださりました、たちばな陽奈ひな様でしょうか」

 あの時と同じ声がした。川のほとりで聞いたあの声。

 橘は振り返った。今度は振り返った先に人がいた。腰元まで伸びた真白い髪は夕日を受けて艶やかに輝き、大きな黒い瞳が真っ直ぐに橘を見ている。年は陽奈と変わらぬぐらいの少女であろうか。

稲置いなぎ探偵事務所の者でございます」

 生成りのブラウスと艶やかな檜皮ひわだ色のスカートのワンピースに、上等な革靴、上品な黒いレースのショールを羽織った少女は芍薬のように美しい立ち姿だった。いつも身だしなみを気にかけない陽奈が恥ずかしくなるほどの淑女と呼んで申し分ない女性。

「ご依頼について詳しいお話を伺いたくこちらへ参りました」

「は、はい」



「どこかで腰を据えて話しましょう」

 落ち着いて話ができる場所、というものに陽奈は思い当たる場所が無かったが、少女が町から外れた場所の神社で話そうと提案し、それに頷いた。怪しい人物だと警戒はしていたが、レースのショール以外に持ち物のない少女を注意深く警戒する理由もなく、またその声に既視感を覚えていたために信用に値するとして陽奈は少女の後を歩いた。

「今回のご依頼は“神隠し”についてでしたね」

「はい」

 話しながら歩いていると、小さな神社の境内へたどり着く。寂れた石造りの鳥居に、幼い頃よく遊んでいた記憶が蘇る。

 少女は鳥居の直前で頭を下げ、そのまま鳥居の下を通っていく。それに倣って陽奈も一度礼をして鳥居をくぐれば、辺りの空気が一変した。道を照らしていた赤い夕日は姿を消し、照明を落としたかのように薄暗くなる。それなのに目の前の少女だけは浮かび上がるようにはっきりと姿が見えるのだ。

「少しだけ、ここの鎮守様のお力をお借りしました。ご心配はなさらずに」

 少女の言葉に、陽奈は少しだけ安心して歩を進めた。

 やがて本殿へとたどり着くと、少女は躊躇うことなく靴を脱いで本殿の中へと進む。

「ちょっと、」

「大丈夫です。鎮守様もご承知の上で許可をくださりました」

 慌てて陽奈も靴を脱いで本殿へと上がると、少女は中で腰を下ろした。その向かいで陽奈も腰を下ろすと、肌寒いだろうからと少女は羽織っていたショールを膝掛けにと差し出した。

「あ、ありがとうございます」

 正座の姿さえも洗練された所作の少女は、そのまま依頼の話に入る。

「改めて自己紹介を致します。わたくしの名は稲置いなぎ沙穂さほ稲置いなぎ探偵事務所を営んでおります。今回はかつて神隠しに遭った橘様の姉君に関してでよろしかったでしょうか」

「はい」

「詳しくお話を伺えますか」


 橘陽奈には年子の姉優奈ゆうながいた。歳が近いため双子のように育てられており、幼い頃は姉と学年が違うことに違和感を感じるほどだったという。仲が良く、外で遊ぶ時は必ず二人で遊んでおり、何をするにしても必ず一緒に行動していたほどである。

「その、今から5年前の冬に姉が消えたんです」

 陽奈は冬生まれだった。そのため、雪の降る中父がケーキを買って帰り、優奈が自分よりも嬉しそうに陽奈を祝ったのをよく覚えていた。その次の日、優奈は隣町の中学に行ったきり帰ってこなかったのだ。

「おかしいと思って両親に姉が帰ってこないこと言ったんです。そしたら、『あなたは元々一人っ子でしょ?』と言われてしまって……友達に聞いても私に姉はいなかったと言うんです」

 周囲から気が触れたと指を指されるのを恐れ、姉の話題については何も口に出さなくなった。閉鎖的な田舎で噂になれば居場所がなくなってしまうからだ。

「姉君がいたという物的証拠は無いのですか?」

「姉の持ち物は全て私のものとして扱われました。写真にも、姉の姿は全くなくて……」

 陽奈は誰にも言えなかった過去を話しているうちにボロボロと嗚咽を溢した。誰にも信じてもらえなかった話を、目の前の少女だけが誠実に聞いてくれているのだ。

「もう、忘れようと思ってたんです。顔も、名前も思い出せなくて、よくあるイマジナリーフレンドだって決着を付けたくて……」

 止めようと思っても一度溢れた涙は止まらない。頬を伝う熱い水と柔らかい感覚に、沙穂がハンカチで涙を拭ってくれいているのがわかる。

「お願いします。どうか姉を見つけてください。それでなくても、真相が知りたいんです」

「お話ありがとうございます。このハンカチはお持ちいただいで大丈夫です」

 沙穂は陽奈の涙が止まるまで辛抱強く待っていた。そうして動けるだけの気力を取り戻した陽奈の手を引いて稲置は境内を後にする。

 鳥居をまたくぐると、外は変わらず赤い夕日で照らされていた。スマートフォンで時間を確認すれば、沙穂と出会ってからそう時間は経っていない。

「橘様」

 その声に、陽奈は液晶を覗いていた顔を上げる。そこには変わらず真っ直ぐに橘と向き合う沙穂の姿があった。

「正式にご依頼を承ります。どうか先ほどお渡ししたハンカチはご依頼が解決されるまで手放さぬように」

 境内から離れると、二人が歩みを進める先に一人の青年がいた。緩やかなくせのある黒髪が深緑のベースボールキャップの下からわずかに覗く、パーカーの上にジャケットを着込み、手袋をはめた露出の少ない格好。褐色の肌の顔は日本ではあまり見ないために、彼は外国人なのだろうかと陽奈は見当をつけた。

「バメイ、正式に依頼を受けたから早速動くよ」

「ああ、わかった」

 長いまつ毛に縁取られた大きな瞳に、一目見れば忘れられないほどの美丈夫の青年。バメイと呼ばれた男は、一言二言稲置から指示を受けると、そのまま立ち去って行った。

「今のは……」

「私の助手で、バメイと呼んでいます。何かあれば彼を呼んでください」



 それからの陽奈は、沙穂の言葉通りにハンカチを保管した。一見真っ白なハンカチだが、光に当てると織り込んだ籠目の模様が浮かび、上品な光沢がある布地だった。祖母から譲り受けた正絹の着物と似た光沢に、もしかすればあれは絹ではないかと学校へ向かうバスの中でぼんやりと考える。

 いつも通りの学校を終えると非日常が待っていたあの日から一週間が経った。時々学校帰りにバメイという青年が依頼の進捗を伝えてくれるだけで、特に何かが起きているという実感はない。その進捗も「地域の伝承に気になる文献があった」「似たような事件や事例がなかったか聞き込みをしている」などと大きく進展した内容ではない。

「おはよう、橘さん」

「おはよう……」

 校門で声をかけてきたのは、あの不思議な探偵の噂を教えてくれた同級生だった。

「そういえば、あの試してみた?」

「あ、その……」

「やっぱり嘘だよねー。他の子も試したって言ってたけど何もなかったらしいし」

 そのまま他愛もない会話をしながら靴を履き替えて校内へ入っていく。田舎の学校なだけあり、髪を染めただけで校内のカーストが変わるわけではない。そのため、一見不良に見えてもそこまで周囲が恐れることはなかった。

「そう言えばさ、最近外国人がこの辺に来てるって噂知ってる?」

「知らないけど……」

「シルバーブロンドの女の子と、背の高い褐色肌の外国人だって!この辺外国人って全くいないし、珍しいよね。観光地もないし」

「仕事で来てるんじゃないかな」

 やはりあの容姿は目立つのか、学校でも噂になっていた。周囲の話し声に少し耳を傾ければあの二人の噂がそこかしこから聞こえる。

「すっごい美少女と、すっごいイケメンの二人組だから今度見かけたら写真お願い!」

「その人たちがいいって言ったらね」

 陽奈はとにかく苦笑いでその場を過ごすだけだった。



 今日はバメイが進捗の報告に来なかった。それ以外はいつも通りの日常である。家に帰り、自室に荷物を置くと引き戸を開ける。そこには、手のひら程の大きさの瑪瑙があった。今は亡き曽祖母から相続したもので、本来なら姉の持ち物である。

「お姉ちゃん……」

 依頼の報酬として用意できるものがこれしかなかった。その事情を説明すれば、沙穂は「それで構わない」と言う。数少ない姉が存在した証明だが、これが無ければ事件を解決できないと断腸の思いで手放すことを決めた。

 コンッと窓に固い何かがぶつかる音がする。気になって窓を開けてみれば、庭に植えられた木の太い枝に腰掛けるバメイがいた。

「急ぎの連絡だ。詳しいことは説明できないが、沙穂から渡されたハンカチを持ち歩いてくれ。それと、明日放課後あの神社へ来てくれ」

 バメイの精悍な顔と青い瞳に圧倒された陽奈は頷くしかなかった。

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