第13話 別 れ
寒い真冬の明け方、烏羽玉は嫌な声で目を覚ました。
「なんだよ、やけにカラスが騒がしいな。」
その騒ぎの元へ行ってみると、珍しくカラスが群れている。
「なんだ?何か餌になる物でおちているのか?」
そう言いながらよく近づいてみると、誰かが倒れている
「笠やん‼」
駆け寄った烏羽玉はその姿を見て叫んだ。
既に息が細い。ぐったりとしたままの笠やんに必死で声をかける。が、反応は鈍い。
「笠やん、一体何があった!オイッ、起きろ!」
体を揺すり、必死に呼びかけるがピクリとも動かない。
「クソッ、どうすれば。」
何とか蘇生を試みるが、烏羽玉にはどうする事も出来ない。
「そうだ!」
烏羽玉は笠やんに両手を乗せると、
「ハアーッ」
と、自分の妖気を送り込んだ。
「頼む、効いてくれ!」
トクン!と心臓が鳴った。
「笠やん!」
すると、うっすらと目を開けて
「・・・・あぁ・・う・ばた・ま・・さん?」
と、かすかに声を出す。
「そうだ!俺だ、烏羽玉だ」
「あぁ・・や、やっと・・あえました・・ね・・うば・・たまさ・・んは、・・く・・くろ・・ね・・こなん‥です‥ね‥」
「そうだ!見えるのか、笠やん!俺の姿が見えるんだな!」
烏羽玉の妖力がそうさせたのか今、笠やんの目にはその姿が見えている。
「よか・・た、こ、これ・・・でよう・・・か・い・・に・・ナ・・れ・・」
「もう、しゃべるな!このままゆっくりと息をしろ!」
今にも途切れそうな呼吸の中、笠やんはやっと烏羽玉の姿が見られたと、まだ話そうとする。
「すみ・・ません・・・ぼ・・く・・あそ・こ・・に・・はい・・て・・し・・って」
烏羽玉に何かを伝えようと必死に話そうとしている。
しかし、もう今にも息は止まりそうである。
「いいから、話すな!」
烏羽玉はその手から妖気を送り続ける。だが、その反応はもう無いに等しい。
「しっかりしろ、笠やん!」
「うばた・・ま・・さ・・あ・・り・・・」
「笠やん!オイッ!」
その呼びかけにもう、答える事は無く、ぐったりと体から力が抜け、動かなくなってしまった。
「なんだよ、俺の事が見えたんじゃないのか!妖に成れたんじゃなかったのかよ!」
さらに妖気を送り続けるが、再び鼓動が動き出すことは無かった。冷たくなり始めたその体から手を離すと烏羽玉は、明け始めた空に向かってありったけの悲痛を解き放った。
「明、明、起きろ、明!」
小窓を叩きながら烏羽玉は呼びかける。
早朝の部屋には明だけである。二人目の妹ができた明は、父親と寝起きを共にしている。朝が早い父親は、既に庫裡で朝のお勤めの準備をしているはずだ。
「だれ?う~ん、」
長兄とはいえ、まだ小さい子供である。すぐには起き上がらない。
「明、早くしろ!大事な問題なんだ、庵で待ってるからすぐに来るんだぞ!いいな。」
烏羽玉は明が立ち上がったのを見届けると、慈影の庵に向かって走っていった。すると、老僧がこちらにやってくるのが見えた。
「慈影!」
「お主の異様な妖気を感じてな。何があった?」
「・・・来てくれ」
拝観受付を少し進んだ所、石段の手前に笠やんは静かに横たわっている。
「駆け付けたんだが、どうにも出来なかった。」
事の経緯を話すと
「・・・そうであったか、」
ゆっくりとしゃがんだ慈影は、両手で笠やんを抱き上げ、
「寺によく貢献してくれたのう。ゆっくりと休むがよい」
言葉をかけると、そのまま庵に歩を進めた。
戻ってしばらくのち
「ねぇ、烏羽玉。どうしたのさ?」
やっと着替えた明がやって来た。
「明、こっちに来い」
部屋には真綿に横たわるその姿があった。促されるまま部屋に入り、何気なく笠やんを見ていた明であったが、幼いながらも違和感を感じたらしく
「!、え、かさ・・やん?」
立ち尽くしたまま、笠やんを見つめている。一体何がおこっているのか理解が追いついていないらしく
「笠やん、どうしたの?ねぇ、ひいじいちゃん笠やんはどうしたの!」
しきりに曾祖父に問いかける。その小さな体は小刻みに震えて、崩れるように座り込むと、笠やんに近づき覗き込んでいる。そして、動かない友にしきりに問いかける。
「ねぇ、笠やん?どうしたの?ねぇ・・・」
つぶらな瞳からは、大粒の涙がポロポロとこぼれだした。
「笠やん、笠やん、かさやーん!」
そう泣きながら叫んで、必死に揺すって起こそうとしている。
「明、笠やんは死んでしまったんだ。もう、起きないんだよ。」
「なんでだよ、笠やん、起きてよ!」
冷たくなったその体をゆすり続ける明は
「烏羽玉、なんとかしてよ!妖の力で笠やんを生き返らせてよ!お願いだから!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、そう烏羽玉に懇願している。
「はやくっ!はやく笠やんを生き返らせて!」
烏羽玉に縋り付き必死になって訴えている。
「明、すまない。俺にはどうする事も出来ないんだ。」
その姿を直視できずに目を伏せながら応える烏羽玉。
「なんでだよ!妖だったらできるだろう!」
烏羽玉を睨みつけるように泣きじゃくり、取り乱す曾孫に
「いい加減せぬか明。お前と同じ様に烏羽玉も辛いのじゃ。出来る事ならそうしたいのは烏羽玉が一番、思っておる。よいか、生あるものはいつか必ず死を迎える。儂はお前にそう教えてきたつもりじゃ。年端もいかぬお前には、まだまだ理解はできんじゃろう。
よく見るがよい、笠やんはもう息絶えてしまったのじゃ。悲しむのは良い。それだけ大事な存在だったという事じゃ。大事なものならば大切に見送ってやる事もまた、残された者の務めなのじゃ。」
如何に寺を継ぐもの、妖が見える者だとしても、まだわずか六歳の明には悲しみと涙以外何も出て来ないのは、無理もない事である。そんな明を見つめている烏羽玉も目の前の出来事に無力さを感じている。
「さあ、明。一緒に笠やんを綺麗に拭いてやろうな。そして笠やんが天国にいけるように弥勒様にお願いしよう。」
烏羽玉は泣きじゃくる明の頭を撫でて、その小さな後継者を強く抱きしめた。
平成六年二月二日、案内猫笠やんはこの世を去った。
その日は奇しくも猫の日といわれる日であった。
「そうかい逝っちまったのかい、あの子。」
「ああ、どうもしてやれなかった。」
森の岩窟で二匹は、向かい合って座っている。
「そんなの仕方ない事さ。生き死にの事は、神や仏がお決めになるものさ。アタシらがどうにかできる事ではないよ。」
「ああ、よく解ってる。」
「何か心残りがあるのかい?言ってみなよ。」
古ノ森は浮かない顔の烏羽玉を見てそう言った。
「あの時、笠やんには俺の姿が見えたんだよ。あれほど何も気付かなかったのに、命が尽きるその時に妖が見える者になったんだ。なのにそのまま戻ることは出来なかった。妖が見えたって、妖に成れるとは限らないんだな。」
自分がそうであった事と、今回の出来事との違いに気づかされたのである。
「それはね、多分だけど笠やんは妖が見える者にはやっぱり、なれなかったんだと思うよ。アンタの強い思いが、送り込んだ妖力が最後に烏羽玉の姿を見せたんじゃないかい?笠やんに妖の力が備わったのなら恐らく結果は違ったのかもしれないね。」
「・・・・そうだな。」
「でもね、笠やんは嬉しかったんだと思う。アンタの姿が見れて、アンタと話せて。最後に願いが叶ったんだよ、そう思ってやりな。」
「フッ、オマエにはいつも慰められてるな。」
烏羽玉は少し笑ってそう言った。
「まあね、坊やのお守は長いからね。」
「さて、もう一人の坊やを慰めに行こうかね。」
そう言って立ち上がると外に向かって歩き出した。
その後、明が十三歳を迎えたこの年、もう一つの別れがやってきた。
学校から帰ると、真っ直ぐに庵に向かって行く明。数日前から曾祖父・慈影が臥せっていたのだ。
「ひいじいちゃん、ただいま。具合はどう?」
「明か。無事に帰ったようだな。」
いつものようにかかる声が細くなっている。
「僕なんかより、ひいじいちゃんが大丈夫?」
身体も大きくなり、しっかりしてきた曾孫を見て
「もう、大丈夫のようじゃな。明、今日はお前に言い残すことがある。よく聞いておくんじゃぞ。」
布団から体を起こすと
「儂はもうすぐこの世を去る。この寺に来てからからずっと、お前のような“妖が見える者”が現れるのを待つことが我が役目であった。そしてその者に、妖の事を伝え、またそれを次の世に伝えさせる事が出来る様になるまでこの世に留まり続ける事が使命なのじゃ。」
「明、お前はもう妖が何たるかを理解できておる。儂の使命も果たせたのじゃ。よいか、これから先は、お前の使命を果たすべく、精進するのじゃぞ。」
その顔は後継者を見る眼差しではなく、可愛い曾孫を見つめるものであった。
「ひいじいちゃん、まだ何処にもいかないでよ。笠やんもいなくなって、ひいじいちゃんまでいなくなっちゃたら、どうしていいかわかんないよ。もっともっと、妖の事や色んな事を教えてほしいんだ。」
半べそをかき、慈影にしがみつく明を離し、
「何を言うとるか。もうお前は大丈夫じゃ。それにな、儂が居なくなっても、あ奴らがおる。烏羽玉と古ノ森がおれば、何の心配もない。必ず、お前の力に、支えになってくれる。じゃからお前はその分、妖達の事を後の世に伝えられるようになるんじゃぞ。ふうーっ、話しをしたら少し、疲れてきたわい。どれ、横になるかのう。」
すぐに、寝息を立て始めた曾祖父の傍に、暗くなるまで座り続ける明だった。
深夜、目覚めた慈影の傍らには二匹がジッと座っていた。
「来てくれたのか・・。いよいよらしい。もう時がない。烏羽玉、古ノ森、あの子を・・明を頼んだぞ。儂の人生はお主らと共にあった。世話になったのう。」
か細いが、しっかりとした口調で慈影は話す。
「明の事は心配するな、俺たちが必ず守る。」
「永い間ご苦労だったね。アタシらが世話になった方が多かったよ。ありがとね。」
二匹は力強く答えると、去りゆく盟友の目を見つめた。
「では、さらばじゃ・・・・」
老僧は静かに目を閉じると永遠の眠りについた。
享年百一歳、大往生であった。
主の居なくなった庵に、声がする。
「僕はこれから何をどうしたらいいんだよ。」
曾祖父の弔いも終わり、少しだけ日常が戻ってきていたが、やはり明には苦い経験であったのだろう。
「慈影がいってたろ、お前の役目を果たせって。」
窓から外を眺める少年と、一匹の黒猫はそれぞれに想いを残していた。
「でもまあ、まだお前は子供だ。今は難しく考えるな。もう少し大人になってからでいい。とりあえずは一人でここで寝られるようになる事だな。」
烏羽玉はそう言って微笑んだ。
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