第12話 使 命

庵に戻った烏羽玉と古ノ森は、笠やんと話した内容を慈影にも聞かせていた。

「そんな事を言っておったか、あやつは。寺に来た経緯は不憫でもあるのう。しかし、妖になりたいとは思いもよらなんだ。」

三人で茶を飲みながら話している。

「驚いたよ、そんな思いで行場を回ってたとは。だけど、そんな事したって妖にはなれないぜ。」

烏羽玉は終始それを言っている。

「そう言えば、さっき言ってたアレ、何が納得できたんだよ。」

それは笠やんと別れた後に、古ノ森が言った言葉だ。

「そう、納得がいったんだよアタシは。烏羽玉、何故アンタが妖に成れたかがね。」

「どういうことだよ?」

「烏羽玉、覚えてるかい?アタシに最初に会った時の事。」

「ああ、よく覚えてる。」

それは、恋志姫と共に伊勢に向かう途中の出来事だった。

「あの時、アンタは私の姿が見えてたかい?」

野党に襲われ、それを古ノ森が救ってくれたのだ。その去り際にハッキリとその白い姿を見たのだ。

「間違いなく見たさ、おまえと目が合った。」

「だったよね、そこなのさ。笠やんは普通の猫だよねぇ。だからアタシ達の姿が見えない。これは人もそうだよね?」

慈影に問いかける。

「そうじゃな、普通の人にはお主達は見えん。」

そう、と頷いた古ノ森は続けて

「だから烏羽玉、アンタは元々普通じゃなかったんだよ。」

しばらくの沈黙の後、

「アッ!」

「ふむ、なるほどのう。」

目から鱗とはこのことで、今まで皆が偶然に烏羽玉は猫又に化けたのだと思っていたのだ。しかし、違ったのだ。

「烏羽玉が本当に普通の猫だったら、あの時アタシを見ることなど、ましてや目が合うなんて考えられないんだよ。」

古ノ森の考えはおそらく正しい。それが人や他の生き物と妖の関係なのだ。

「じゃあ一体、俺はどうして妖に成れたんだ?」

これも道理な質問である。

「おそらくだけど、アンタと慈影とは同じじゃないのかい?はっきりとした理由は解らないけど、あの人も言ってたじゃないか。妖が見える者、それが慈影。そして、妖に成れる者それが烏羽玉、アンタだったんだよ。」

一同が、この話に納得がいったようだ。

「古ノ森の言うようにそれが烏羽玉が妖に成れた理由で間違いなかろう。儂と同じ様に生まれつき妖が見えた、そういう事じゃ。そして古ノ森と過ごすうちにその妖気が練れてきたのであろう。」

烏羽玉が猫又となってから六百数十年、ようやくと謎が判明したのである。その謎を解くきっかけは一匹の野良猫だったのだ。自身の変貌の謎が解けた烏羽玉は

「そうか、俺は“妖が見える者”だったのか。それは人間の事だとばかり思い込んでいた。なんてことだ、最初から違ってたんだ。」

そして、古ノ森に

「お前のおかげでスッキリしたよ。ありがとう。」

と、礼を言ったのだ。

「おやまあ!いつ以来だろうね、アンタがアタシに礼を言うなんて!天変地異でも起こるんじゃないかい!」

そう言う古ノ森だが嬉しそうでもある。

「じゃとすると、笠やんは妖怪にはなれぬのう。」

その横で慈影はポツリと決定打を言い放った。

「・・・そうだよな、妖が見えないようではなれる訳ないな。うーん、どうやって納得させようか?」

「おや、つれなさそうにしていた割には気にかかるのかい?珍しいねぇ。」

てっきり放っておくのかと思っていた古ノ森は、烏羽玉の顔を覗き込んだ。

「近いな!そうじゃないが、今自分が妖に成れた事に気づくと、なんだかちょっと他人事に思えなくてな。」

成るべくして成った者と、成りたくても成れない者、その差はあまりにも大きい。それを知ってしまった烏羽玉は複雑な思いにかられていた。

「このままでいいんじゃないかい?アタシらに会って妖が本当にいることを知った。なので自分も妖になれるように修行する、そう言ったんだ。そのまま信じて生きていくのもいいだろうさ。」

烏羽玉は黙ったままである。

「それとも何かい?どう足掻いたって妖には成れないって、ずっと言い聞かせるのかい?諦めずに修行を続ける奴に、アンタは言い続けられるのかい?」

「それは・・・」

「だろう?だったら言わずにいてやるのも悪くはないだろう?」

烏羽玉は言葉を返せずにいる。

「生きとし生けるものには、それぞれの使命がある。烏羽玉は妖となり、笠やんは普通の猫として生き、そしてその役割を終える時までその使命、生かされた意味を全うするのじゃ。この儂の役目も終わりが近い。明が成長すれば儂は消えるのみじゃて。」

慈影もまた、妖が見える者の役割を果たす時が迫っていた。


平成五年秋。笠置寺には紅葉を見る為、観光客が訪れている。テレビドラマのブームは短期間で去り、かなり減ってはいるが、代わって笠やん目当ての人々が増えていた。全国ネットのテレビで放映されるや、各地から人が訪れ、中には笠やん宛てに、キャットフードを送ってくる人達まで現れだした。しかし、休日以外は寺も静かになり、夕方近くには、幼稚園から帰ってくる明と遊ぶ時間も増えた。

「笠やん、ただいまー。」

今日も、山門の近くで見かけた笠やんに声をかける。するとそのまま明について来るのである。すっかり、お寺に居ついたこの野良猫は、ある指令を受けて明の帰りを待っているのだ。

「じゃあ、行こうか。」

明は制服を脱ぐと直ぐに、慈影の庵に向かう。その後を笠やんはトコトコとついて行く。

「ひいじいちゃん、ただいま!」

「おお、お帰り。今日も無事じゃったか?」

大切な曾孫とあってか、心配の仕方が大層ではある。

「幼稚園に行く位、そんなに危なかねえだろう。」

「毎日これだからねぇ。困っちゃうよね、明。」

今日は妖の二人が来ていたようだ。

「あ、烏羽玉。古ノ森は久しぶりだね。」

明は嬉しそうに靴を脱ぎ捨て部屋に入ってきた。二人の姿を入口で見ていた笠やんは

「ニャオ。」とひと声鳴いた。

「なんだ笠やん、入れよ。」

烏羽玉がそう言うと

「いえ、今日は戻ります。あの烏羽玉さん、明日少しお話しできませんか?」

何やら相談事があるようだ。

「ああ、構わない。どこがいい?」

「お昼過ぎに千手窟の所でどうですか?」

「わかった。じゃあ明日な。」

ぺこりと頭を下げると戻っていった。

実は、笠やんに明のお目付け役をさせているのだ。明も一緒だと喜ぶし、烏羽玉にとっても都合がいいのである。人に見えないとはいえ、万が一があるので昼間は境内をうろつく事は控えている。なので、明に何かあった場合に知らせるように言ってあるのだ。

「ねえねえ、烏羽玉達は笠やんと話ができるだろ?でも僕は話せないよ、なんで?」

「それはだな、うーん、」

困っている烏羽玉に代わって

「それはね、妖だからだよ。」

古ノ森はストレートな答えをだす。

「妖は、普通の人や動物には見えないから話せやしないんだけれど、今みたいに人に化けると何故か話せるんだよ。明にはアタシ達の本当の姿が見えるだろう?だけど、笠やんには見えないんだよ。だからね、人の姿に化けて話をしてやるのさ。」

「そっかー。笠やんには古ノ森のきれいな尻尾は見えないんだね。」

「まあーこの子ったら、何て可愛いんだろうねぇ!」

明を抱きしめ、頬ずりをして大喜びである。

明は小さい頃から尻尾が大好きで、烏羽玉の尻尾を追いかけまわし、古ノ森の尻尾で昼寝をする事もあった。

「明は、妖と人とを繋ぐ者として生まれたのじゃ。わかるか?ひいじいやお前のように烏羽玉達と話が出来る人はいないんじゃよ。じゃからこの事は秘密じゃ。人に言ってはならんぞ。パパとママにも言ってはダメじゃぞ。儂と明だけの秘密じゃぞ。」

「うん!わかってるよ」

「そうか、偉いぞ」

物事が少しづつ理解できるようになってきた明に、慈影は度々この話をするようになった。

それを見て二人の妖は少し寂しさを感じ始めていた。

次の日、笠やんとの待ち合わせ場所にやってきた烏羽玉はむろん、人のなりである。観光客を装いながら千手窟への石段を下る。

「すみません、烏羽玉さん」

笠やんはその前で待っていて声をかけてきた。

「構わないさ、でどうした?」

「はい、実は少し悩んでいて。あれから二年、毎日修行を続けてきたのですが、一向に妖怪には近づいていないように思えてきて。何か違う方法があるんじゃないかと思って、烏羽玉さんに聞けばわかるかなと。」

遂にきたか、と烏羽玉は少し困り顔で

「まだ二年だろ?いくら何でももう少しは、かかるんじゃないか?」

そう言うと、

「それは僕も解ってるんです。だけど、少しくらいは何か変わるのかなって思うんですよ。」

これは笠やんだけではなく、何かを目指す者にとって、一度は通る道であろう。修練を積んだ成果が如実に表れないと、虚無感に襲われることはよくある事だ。

(困ったな、古ノ森を連れてくれば良かった。)

こういう事には不向きな烏羽玉である。

「もうそろそろ、烏羽玉さんの本当の姿を見れてもいいと思うんですよね。」

烏羽玉にとって、一番聞かれたくない質問である。答えがはっきりしているからだ。

「そうだな、一度試してみるか?」

もしかしたら見るくらいはできるかもしれない。そんな気持ちで提案したが、結果は変わらないだろう。

「はい、お願いします!」

笠やんは期待に胸膨らませ待っている。

「じゃあ、いくぞ」

そう言うと、くるっと宙返りをした。

「どうだ?」

と笠やんに聞くが、顔をキョロキョロさせて、しきりに鳴いている。

(はあ、やっぱりな)

そうだとは思っていたが案の定である。仕方なくもう一度、とんぼを切ると、

「烏羽玉さん!何処に消えたんですか?全然見えなかったです。」

現れた姿を見て驚いたのち、しょげかえっている。

(この姿では、話せるのになぜ駄目なんだろうな。)

確かに、人と動物は話が出来ない。かと言って妖と話せるかと言えばそれも出来ない。しかし、妖が化けた人となら話が出来る。これはもう、謎以外の何物でもなく説明は出来ない。妖が見える者達も同様で、動物とは話せないが妖とは話せるので、交互通訳の様な事である。

「やっぱりまだ修行が足りないのかなぁ。」

うなだれる笠やんの前を不意に一匹のネズミが横切った。

「ニャッ!」

本能的にネズミを追いかけた笠やんは千手窟の祠を超えて後ろに回り込んだ。

「オイッ!戻れ笠やん!」

烏羽玉の叫び声に驚いた笠やんは慌てて止まり、

「どうしたんですか?」

と不思議そうに戻ってきた。

「その祠の奥には近づくな!」

何故か険しい表情の烏羽玉の様子に

「ここに何かあるんですか?」

と、恐る恐る聞いている。ひと息吐いてから烏羽玉は

「いいか、笠やん。決してこの奥に近づいてはならん。ここはとても霊気が強い場所だ。もしかしたら体に害が及ぶかも知れない所なんだ。だからむやみやたらに近づくんじゃねえぞ。いいな、判ったな!」

烏羽玉の気迫に押されて毛を逆立てながら

「は、はい、気を付けます。」

「わかったら、それでいい。さあ、もう行こう。そろそろ明が帰ってくる頃だ。」

笠やんの相談事は解決しないまま、時は進んで行った。


そして、その日は突然訪れた。

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