第11話 変 化
古ノ森は修行の際に心当たりのある者がいた事を思い出したのだ。それを聞いた烏羽玉は
「なんでそんな大事な事を忘れてたんだよ!だったら帰ったすぐに話せよ!」
と、こちらは怒りが倍増したかのように叫んでいる。
「だって帰ってきたらもう死んじまったと思ってた仔猫は化け猫になってるし、不思議な洞窟の話は出るし、妖を見れる人間は現れるし、いっぺんに色んな事がおこりゃ、忘れもするだろう普通。思い出しただけでもアタシは偉い方だよ。」
無理矢理に自分を正当化する相手に呆れつつ、話の核心に触れたい烏羽玉はグッと古ノ森に近寄ると食いつくように問いただす。
「それでどうだったんだよ、何か解ったのか?」
「ちょっ、近いわねぇ。話すから落ち着きなって。」
伏見の稲荷山に着いた古ノ森は、各地から集まった数匹の妖狐達と修行を始めていた。最初の主な鍛錬は今の自分達の妖気を更に練り上げ増幅させていく精神修養であった。その合間を縫って周りの妖狐達に烏羽玉の様子を説明しながら心当たりがないか尋ねていたのだ。
しかし皆、一様に首を傾げるばかりで
「やっぱりあの子は何か特異なのかねぇ」
そう諦めかけていた。すると、そのうちの一匹が
「うーん、よく解んねえけど、俺の知り合いに猫又ならいるよ。」
と言ったのだ。
「えっ、猫又?」
聞き直す古ノ森に
「ああ。長生きをした猫の尻尾が裂けて化け猫になるってあれさ。」
そう答えた相手に
「その話詳しく教えて」
何か少しでも烏羽玉の謎に迫る話が聞けるかもと間髪入れずに問いかける。
「詳しくって言っても何時何処で猫又になったかは知らないんだ。ただ、猫又になってからは人間に化けて人として暮らしてるんだよ。うちの神社にもちょくちょくお参りに来るから気になって声をかけたのさ。そしたら何やらやりたい事があるそうで、住み込みで働きながら人の暮らしを学んでいるらしい。」
「へぇー。猫又も人に化けられるんだね、初めて知ったよ。」
元々、人に化けられる妖は少なからずいる。妖狐などはその典型で化けられないと周りから馬鹿にされるほどだ。なので当然、古ノ森も化けることが出来る。しかし、猫又が人に化けられるとは初耳だったようだ。
「じゃあその猫又に会えば話が聞けるんだね。」
古ノ森は直接話を聞こうと思ったようだ。だが、
「それは難しいかもな。何せ人見知りで、俺が話せる様になるまでに一年近くかかったからなー。」
「そうなのかい! うーん」
せっかく何か聞けると思った古ノ森は振り出しに戻ってしまった。
「それに俺たちは今、修行中の身だ。自由に出かけることは出来ないだろう?」
「それもそうだねぇ。」
「修行が終わって戻ったらそれと無く尋ねてやるよ。俺は男山の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の使狐見習いの吉次だ。」
使狐(つかいぎつね)とは稲荷社や神社の神様に仕える妖狐達の事で大きな社ほど仕える妖狐の数は多い。吉次が見習いなのはそのあたりもあってだろう。
「ありがとね。アタシは古ノ森。もしかしたら訪ねる事があるかもしれないからその時は頼むわよ。」
そしてその話はその後十五年の間、忘れられていたのだ。
古ノ森の話を聞いて
「なんだよ、結局は解らずじまいかよ。」
そう言って肩を落とす烏羽玉に
「まあいいじゃないか。何だか知らない内にだけど猫又になったんだし。今更聞いてもしかたないだろ?」
話をうやむやにしたい古ノ森は
「それに今アタシが話したこと、ちゃんと聞いてたかい?」
そう問いただす。
「何の事だよ。」
むくれた様子の烏羽玉に
「アンタが言ってた猫又に何ができるかって事だよ。さっきの話の猫又は人に化けて暮らしてる。そうさ、アンタも人に化けられるって事さ。」
「俺が、人に?」
「どうだい?化ける修行をやってみるかい?アタシがきっちりと教えてあげるからさ。」
ここは妖狐の得意とするところである。
「人に化けるか・・・」
少し考え込んで
「やってみるか。」
と答える。何か一つでもできるのならばと考えたようだ。
「決まりだね、じゃあ明日から始めるよ。いいかい?」
「ああ、わかったよ」
こうして烏羽玉の『変化(へんげ)の術(じゅつ)』修行が早速次の日から始まった。
「いいかい、先ずアタシが人に化けて見せるからね。それをよく見ておきな。」
古ノ森はそう言うと、クルリと後ろ向きに宙返りをし、着地した時には女性の姿に変わっていた。
「どうだい?何かわかったかい?」
聞かれた烏羽玉は
「いや、一瞬の事で何もわかんねぇよ。」
と、至極まっとうな答えを出す
「まあね、そんなに直ぐに解るわけはないよ。一応、確認したまでさ。じゃあ、今のアタシはどう見えてる?」
「どうって、人の姿さ。女の人だ。」
「だよね。どこかおかしな所はあるかい?」
くるくると回りながら尋ねてくる。
「どこもおかしくはない。普通に人だ。」
と、じっくりと観察して答える。
「だろう?これが正しく変化出来ているって事。失敗していると何処かにほつれが出るんだよ。そうなったら狐が化けてるってバレちまうのさ。」
最初に完全な変化姿を見せてお手本を示し、何処か少しでもおかしなところがあればそれは失敗であると言っているのだ。古ノ森は存外に教え方が上手である。
「其れが解ったら始めていこうか。先ずは妖気を練ることからだね。いいかい、おへその辺りに妖気を集めて。おへそあるよねアンタ?」
「そりゃあ、あるさ。こうか?」
険しい顔で何やら腹をくねらせている。
「少し違うね。おなかに意識は行ってるけどそれだけ。もっとこう、お餅を捏ねるようにだよ。わかるかい?」
「餅ったってわかんねえよ。俺、猫だぞ。」
「そりゃあそうだけど。えーとね、こう、こんな感じに。どうだい?」
古ノ森は両の前脚で何か捏ねるような仕草をやって見せる。
「こ、こうか?」
それを見まねでやりながら烏羽玉は腹をくねらせている。
「まあそんな感じだけど、手はいらないね。クスッ」
「わかってる!笑うな!」
そんなやり取りをしながら、一刻ほど繰り返したところで
「うん、良いね。妖気を練れるようにはなったわね。これが瞬時に自然と出来るようにならなきゃ駄目。いざって時に役にたたないからね。」
「なんとなくコツは掴めた。これで化けられるのか?」
「まだだね。もう一つ肝心な事があるのさ。それはね、人だよ。」
何やら謎かけをされている様な顔の烏羽玉は
「人って、今からそれに化けるんじゃないか。何で人が出てくるんだよ。」
そう問いかける。
「違うわよ、化ける相手がいるって事。いいかい、化けるってことは、誰かの姿を真似る事なんだよ。人ったって色んな姿形があるだろ?男、女、子供、爺さんや婆さん。姿だって公家や武士に商人、様々さ。化けたい相手を頭に思い浮かべて妖気を練るんだよ。でないと化けられないんだよ。」
「誰かを頭に思い浮かべるのか?誰を思い浮かべりゃいいんだよ。」
迷う烏羽玉に
「その人を強く思い浮かべるとより化けやすいから、先ずはよく知っている人がいいんだよ。」
「だけどねアンタはまだ初めてで慣れてないから、化けやすいのを選ばないとね。身体つきも変えるから最初は小さい子供がいいだろうね。アンタがしばらく暮らした村に子供達がいたろ?覚えてる子はいないかい?」
「子供かぁ。そうだなぁ」
そう言われて思い出そうとした烏羽玉の脳裏に浮かんだ子供がいた。
「そうだ、あの子だ」
烏羽玉が女官達と暮らしていた頃、よく野菜を届けてくれた農婦がいた。そして母親に隠れるようについて来る四才位の男の子を思い出したのだ。
「何故だかこの子だけ口が遅くてねぇ。」
母親はよくそう話していた。その子は言葉を話せない子だったのだ。その為、内気で母親から離れようとしなかった。しかし、烏羽玉が気になるらしく、いつもジイッと見つめてくる。ある日、烏羽玉はそっと近づいてみた。すると、直ぐに母親にしがみついたが恐る恐る前に出てくると震えながらも手を伸ばしてきて、怖がらせまいとじっと座ったままの烏羽玉の背中を触ると嬉しそうに笑ったのだ。それ以来、烏羽玉を見かけると近づいてくるようになった。烏羽玉はその子の事を思い出したのだ。
「覚えてる子がいたかい?じゃあ、今からいうようにやるんだよ。先ずお腹で妖気を練って頭にその子を思い浮かべる。そしてそのままとんぼ返りをうつんだけど、それがきっかけだよ。飛んだ瞬間に一気に妖気を全身に行き渡らせるんだ、いいね、一気にだよ。」
「わかった。よしっ、いくぞ!」
「ハッ!」
気合いと共に飛び跳ねた烏羽玉は綺麗に宙返りするとストンと地に立った。
「どうだ?上手くいったか?」
そこには確かに男の子がいたのだが、すぐに黒猫に戻る。
「あれ?」
「惜しいねぇ、アンタ気が緩んだね。ダメじゃないか、すぐしゃべっちゃ。」
どうやら上手くいったと思って話したのがまずかったようだ。
「いいかい、妖気を解き放ったら身体から出ないようにしなきゃ駄目さ。人の形どおりに留めておくんだよ。」
「でもまあ、一回目にしちゃあ上出来だよ。今日はこのくらいにしておこうかね。」
古ノ森はニコッと笑ってそう言った。
「なんだよ、もう一回やらせてくれよ。次は失敗しないからさ。」
烏羽玉はまだやる気満々で
「さっきの感覚を忘れねえ内にやってみたいんだ。」
言うや否や気を練り始める。
「まあ、いいけどさ~最初から飛ばしすぎると堪えるヨ。」
古ノ森の忠告を無視してその後、数回試した烏羽玉だったが翌日、
「おーい、起きてるのかい?」
何故か修練に現れない烏羽玉の様子を見にきた古ノ森は
「もうお天道様も高い所におられるよ、目が覚めてるのかい?」
ともう一度問いかける。
「ヴ~~っ」
岩と岩との間の小さな隙間の奥からうめき声が聞こえる。
「やっと起きたかい?」
「・・・か、体が・・痛てぇ・・・動けねぇよ・・・」
それを聞いた古ノ森は大笑いして
「ハハハハハ! 馬鹿な子だねぇー。だから言ったじゃないか堪えるって。あーあ、しばらくは無理なようだね。アタシの言うことを聞かなかったからさ。後でなんか食べ物を持ってきてやるから大人しくしてな。」
「ハハハ、ああ可笑しい。」
古ノ森は楽しそうに言うとユラユラと尻尾を揺らしながら戻っていった。
数日後に体調の戻った烏羽玉は変化の術の修練に戻り、今日も古ノ森の元に来ていた。
「どうやら子供姿は安定してきたようだね。じゃあ、そろそろ大人に化けてみるかい?」
「そうだな。人に化けられても子供じゃ格好つかねえし。」
「坊やだから子供でもいいんだけどさーハハハ。」
烏羽玉は言い返しかけてグッとこらえた。何せ今は術を習っている身だ。
(アイツめ、見てろよ術を完璧に覚えて吠え面かかせてやるからな。)
ふくれっ面の烏羽玉を見て
(フフッやっぱり坊やだねぇ。)
そう思いながら
「それじゃあいいかい?やり方は同じだよ。コツは化ける相手を強く思う事。そうすれば身体つきも自然と合ってくるから。強く念じるんだよ。」
「わかった。」
すうーっと大きく息を吸うと、目を閉じて妖気を練る。そして、ゆっくりと呼吸を整えて目を開くと
「行くぞ。」
静かに言ってクルリと宙返りをする。次の瞬間にその場に立っていたのは
「・・・・」
「・・・・」
「ん?どうだ古ノ森?」
しばしの沈黙の後、烏羽玉は問う。しげしげとその姿を見ていた古ノ森は、
「・・・何処にもボロは出てないね、上手くいっているよ。」
「本当か!よし、やった!」
「感覚も悪くないし身体も大丈夫だ!これで変化の術を覚えられたぞ!」
嬉しそうにその場ではしゃぐ烏羽玉に対して何故か冷めた様子の相手に
「なんだよ、なんかこう褒めるような事はねえのかよ、よくやったとか」
自分との温度差がありすぎて気をそがれた感の烏羽玉は古ノ森を見てそう言った。
「イヤ、そのね、変化の術自体は上手くいっているよ。多分もう大丈夫だよ。ただね。」
「ただなんだよ。」
「アンタ、その姿。」
「ん?」
「確かに想いの強い人を思い浮かべたんだろうさ。よく解るよ。でも、アンタは“男”だよ。何でそうなったんだい?」
「え?」
そこに、古ノ森の眼前に立っているのは綺麗な着物をまとった長い黒髪の見目麗しい姿であった。
「それって『恋志姫』だよね。まあね、想いが強いから自然と出てしまったんだろうけど」
そう言われて慌てて自分の身体を見回した烏羽玉は
「んなぁ!」
と叫ぶと
「イヤイヤ! ち、違うんだよ。何も考えてなかったんだよ。いや、そうじゃない考えてはいたさ、大人の人間って。そこまでは考えたんだ!別にその・・」
「良いって良いって。わかってるから」
クスクス笑いながら話す古ノ森。慌てた烏羽玉は術を解くと元の黒猫に戻って
「俺にとっては姫はその、特別なんだよ。だから。」
「わかったってば。なにも責めちゃいないだろう。よく化けられていたよ、綺麗なお姫様。」
まだ揶揄い足りない様子の古ノ森はそう言って笑い続けている。
「今度はちゃんと出来るから、な。もう一回!」
「もういいよ、ちゃんと術は出来てるよ。だからさ」
「いや、駄目だ。やり直す!」
烏羽玉はそう言ってきかない。
(落ち着け、大丈夫だ変化の術は出来てるんだ。思い浮かべろ・・・・そうだ!あの人だ!うん、いけるぞ!)
烏羽玉は心の中でそうつぶやき呼吸を整えると、
「えい!」
と、とんぼを切った。
「これならどうだ!どうだよ、古ノ森!」
着地した姿は立派な成人男性である。その見覚えのある姿を見た古ノ森は、
「なるほどねー。上手く考えたね。ああ、それなら可笑しくはないね。アンタが化けるにゃあピッタリじゃあないかい。」
今度は真面目に頷いている。
「これからはそれをアンタの人姿にしなよ。うん、いい男っぷりだよ。」
「へへっ、これで俺も立派な猫又だな。」
烏羽玉が化けた姿とは、あの若侍『左内』であった。恋志姫を警護し、烏羽玉が姫以外に唯一、親しんだ人物である。
「よし、この先はいずれ火の玉も吐けるように修錬するか!」
「いや、だからそれは無理だって」
ともあれ、猫又の力を身につけた烏羽玉はまたひとつ先に進むべく日々を送っていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます