第6話 夢の浮橋

左内が村に戻った時には日は暮れており、明かりのついた離れの一室では木村が

その帰りを待っていた。

「失礼いたしまする」

そう声をかけ戸を開いた左内に

「おお、無事戻ったか。」

と木村が声をかける

「はっ、遅くなりました。」

左内は言うと部屋には入ろうとせずその場でしゃがみ込む。

起きてはいるが、今だ左内の肩に乗ったままの烏羽玉を見た木村は

「何故、そちの肩に乗っておるのじゃ?」

「仔細は後ほどお話しますが、先ずは姫様にお渡しを」

そう言って奥の部屋に居る恋志姫の侍女を呼んで烏羽玉を手渡した。

「改めてご報告いたしまする。」

居住まいを正して木村に笠置山の状況を話し始めた。焼け落ちた寺の状況や帝の現在の状態など一通り説明を受けた木村は

「なるほどのう、それでは帝は既に京におられるのであるな。幕府方に拘束はされて

おられるであろうが直ぐにお命に関わることはないであろう。しかしながら予断は

ゆるさぬのう。」

状況からして京の都は幕府の力で抑えられているのは明らかであった。後醍醐天皇は

恐らく宮中のどこかに幽閉されていると考えるのが妥当であろう。

「我らが今、都に戻っても直ぐに捕まるのはあきらか。かと言ってここに居っても何も出来ずではある。どういたしたものか。」

腕を組みうーん、と唸りながら木村は悩んでいる。

「あれから姫様のご様子は?」

恋志姫が倒れて直ぐに笠置に向かった左内は経過が気になっていた。

「うむ、少しは落ち着かれた様子ではあるが、まだ眠られたままじゃ。伊賀より僧医を連れて来て診てもらっておるがあまり芳しくないようじゃ。」

「左様でございますか。姫様だけでも京の都にお戻しして帝のお近くにお連れできれば良いのですが。」

「左様したいのはやまやまなれど、今のままでは動かせる状態ではあるまい。」

「われらは今後どういたしまするか?」

「姫様のご様子次第じゃ。暫くはここを動けまい。ご苦労であった今日はゆっくりと休むがよい。」

不安げな左内の問いに対しそう答え、労いの言葉をかける。

「ははっ、それではお言葉に甘えて休ませていただきまする。」

左内は一礼をして部屋を出ていった。

「さて、如何したものか。」

この日木村は、中々寝付けぬ夜を過ごした。


その後、数日は何事もなく過ぎていたがここにきて恋志姫の容体が急変し、予断を許さない状況にあった。

「言いにくいことですが、あまり芳しくありません。もしもの時のご備えが必要かと

思われます。」

控えの部屋で木村と向かい合った僧医はそう言って立ち上がると部屋を後にした。

「姫様・・・」

しばらくの間黙って考え込んでいた木村は

「左内、左内はおらぬか」

と供侍の左内を探して庭に出た。少しして

「お呼びでしょうか?」

と垣根脇から現れた左内に

「お主に命じておった京の都への探索は取りやめじゃ。恋志姫の容体が思わしくない。今は姫のご容体が一番肝心じゃ。よいか、他の者たちにはまだ言うではないぞ。」

「かしこまりました。しかし、姫様はさほどによろしくないのですか?」

「僧医の見立てでは覚悟をしておかねばならぬようじゃ」

そういったまま二人はしばらくの間黙したままであった。更に翌日、恋志姫の周りが慌ただしくなっていた。

「烏羽玉を見かけませなんだでしょうか?」

侍女たちがあわてた様子で烏羽玉を探している。

「何ごとじゃ」

木村は侍女を呼び止め

「姫に何かあったのか」

そう問うた。

「姫様が意識を戻されてしきりに烏羽玉を呼んでおられます」

「気が付かれたのか?ならば皆に手分けして探すようつたえよ。わしは姫のご寝所に。」

そう言うと小走りで向かう途中で庭を抜けていく左内を見つけると

「左内っ、烏羽玉を探してまいれ。姫様が呼んでおられるのじゃ。その方、何故か烏羽玉になつかれておるであろう。一刻を争うやもしれぬ、頼んだぞ。」

言い残すとそのまま姫の元へと再び走っていった。

「姫様、お気が付かれたのか。ならば急がねばならぬ。烏羽玉が居そうな所と

いえば・・・」

しばらく思案したのち

「あ、あそこか!」

思い当たる節があるのか左内は村はずれに向かって走り出した。屋敷は烏羽玉を探す呼び声で喧噪としていた。



「なあ、いい加減に教えろよ」

「だから何度も言わせるんじゃないよ、全く」

村はずれの森で二匹は何やら言い合っている。

「いいかい、妖力は教えてどうにかなるもんじゃないんだよ。妖でない者が手に入れる事なんてできやしないのさ。アタシのように生まれつきの妖か、後は齢(よわい)を経て妖になるかのどっちかなんだよ。」

そう言い聞かせているのは白狐の妖・古ノ森である。

「だけど俺には妖力に反応する事ができるんだ。だったら使えるようになるんじゃ

ないのか!」

烏羽玉は妖力を使えるようにしてもらおうと、笠置山の一件以来、なんどもこの森に来ては古ノ森に談判しているのである。

「前にも言ったけど、坊やが妖力に反応する理由がわからないんだよ。わからない以上、どうすることもできやしないんだよ!」

段々と二人の語気が上がって言い争いの様になってきている。そのうち

「なんだよ、妖狐って言ったって何もできやしないんじゃないか!せいぜい人を脅かすぐらいかよ!」

烏羽玉がそう毒づくと

「なんだってー!仔猫が偉そうに言うんじゃないよ。危ない所を助けてやったのは誰だと思ってるんだい、この恩知らずのガキが!」

もはや言葉尻も悪態でしかない。

「こうしてやるよ!」

古ノ森が一睨みすると

「ツッ!」

烏羽玉は金縛り状態になり

「ハハハ、坊やを黙らせるのは訳ないね。これでもアタシを馬鹿にするのかい?

妖をなめるんじゃないよ。」

古ノ森はそう言うとケラケラと笑っている。

(クソッ、また妖力を使いやがって!今に見てろ、必ず俺も使えるようになってやる!)

動けずに固まったままの烏羽玉は古ノ森をにらみ返すことしかできないのであった。

その時、

「うばたま~、うばたま~。」

森をぬける道筋から人の声がきこえてきた。

「どこにいるんだ、烏羽玉~」

叫んでいるのは左内である。実は烏羽玉がよくこの辺りに向かって歩いていくのを見かけていたのである。

「早く出てこい!姫様が姫様が探しておられるんだ!」

切羽詰まったその声に

「何があったんだい?何やらあわてたようすだね。」

古ノ森は烏羽玉に向き合うとスッと目を細め

「もう動けるだろう、坊やを探しに来たようだねぇ。何か知らないが早く戻った方が

よさそうだよ。」

金縛りの解けた烏羽玉が飛びかかろうとするのをひらりと躱し、

「遊んでる場合じゃあなさそうだよ、早く行きな。」

そう言われた烏羽玉も左内が気になるらしく

「あきらめないからな、俺は。それに坊やじゃなくて烏羽玉だ。」

言うや直ぐに左内の元に駆け出して行った。

「・・・試練だねぇ、これも」

古ノ森はそう呟いた。


「烏羽玉が見つかりました!」

左内はそう言いながら恋志姫の寝所に静かに参じた。

「おお・・烏羽玉や・・・こちらに」

か細い声で恋志姫は愛猫を呼び、近づいた烏羽玉に手を伸ばすとそっとその体を撫でた。その手は細く瘦せており、透き通るような白さだ。

「烏羽玉や、わらわは夢をみておった・・・その夢は帝と共に真っ白な世界に

たって・・・手をつなぎながら微笑みあっておった・・・じゃが何も無い空間にたった一つ・・不思議な形の岩があってその岩に二人で腰かけたのじゃ・・・」

触れる恋志姫の手の温もりを感じながら烏羽玉はジッとしている。

「帝はお優しくわらわの手をずっと握ってくださった・・・幸せな夢であった・・・あの不思議な岩は笠置のお山に来た際に見せてくだされた・・・帝が大事に持っておられた『夢の浮橋』に違いない・・・」


『夢の浮橋』とは後醍醐天皇が終生肌身離さず持っていた盆石の事である。

その名は源氏物語の最終巻『夢浮橋』になぞられた中国の霊石と伝わるもので、後世に徳川家康が所有し、尾張徳川家に伝わり現在は徳川美術館でその姿を見ることができる。

「その石がわらわに・・・帝のお姿をみせてくれたのじゃ・・・帝はご無事でおられるということじゃ・・・ならば必ずや帝にお会いできる・・・そう言うことじゃ・・・」

恋志姫は、弱々しく途切れ途切れながらもハッキリとそう話すと烏羽玉をジッと見つめ

「その日までわらわの・・・傍にいておくれ・・・のう烏羽玉や・・・」

そう言うとひとすじ、涙をながされた。


その夜、恋志姫は静かに息を引き取った。愛しい後醍醐帝にもう一度会いたいと願いながらその望みは叶えられることはなかった。お付の女官達は嘆き悲しみ、木村達供侍も肩を落とした。そして村人達も共に恋志姫の亡骸に手を合わせ弔ったのである。


世の中は 夢の渡りの浮橋か 

うち渡りつつ ものをこそ想へ

                 出典未詳



笠置寺の本堂跡で烏羽玉は、弥勒菩薩摩崖仏をジッと見つめていた。その見つめる先に仏の姿は無く、笠置に来て以来、欠かさずに弥勒菩薩摩崖仏に手を合わせ、安寧を願い続けた美しい飼い主をその姿に重ねていた。

「よいか、烏羽玉や。そなたもこの世に生を受けたのは仏様の導きによるものじゃ。

生涯、感謝の心を持たねばならぬぞよ。そして信念をもって生きねばなりませぬ。

そうじゃ、そなたはずっとわらわと共にあっておくれ。それをそなたの信念として」

そう言って微笑んだ恋志姫の言葉を思い出しながら

(俺はこの先どうすればいい?姫はずっと一緒にと願っていた。でもその姫がいなく

なってしまった。)

と、自問しながら暗くなるまで居続けることが、日課になりつつあった。恋志姫が亡くなってから数日が過ぎて、この先をどうするかを人間たちが話し込んでいるのをよそ眼に毎日、笠置山に通っている。烏羽玉自身も同じようにこの先をどうするのか決めねばならないが、まだ今は無理なようである。そうして十日ほどたったある日、木村達は大川原村を後にし、京の都に向かうことになった。

「元気で暮らせ、烏羽玉」

左内はそう言って烏羽玉の頭をなでると旅立っていった。

数名の女官が今しばらく此処に留まり、恋志姫の菩提を弔いたいと申し出たのでその者たちは村にのこり、烏羽玉はその女官達と共に一軒家に住むことになった。それからも烏羽玉の笠置山行きは続き、そのせいか体つきもしっかりとなり、大人の猫に成長していった。

「毎日精が出るねぇ。姫様もお喜びだろうさ、きかん坊の仔猫が御仏への御祈りが

続くのは。」

いつものように摩崖仏と向かい合っている烏羽玉の後ろから聞きなれた声がかかる。「・・・」

何故か烏羽玉は黙ったまま前を向いたままである。

「はぁ、なんだい張り合いがないね。いつもの調子はどうしたんだい?」

毎日のように妖力を教えろときかなかった相手がまるで腑抜けたように押し黙っているのに調子が狂ったのか不思議そうな顔をしている。

「・・今はそんな気分じゃないんだ。」

そう呟く烏羽玉に

「よいしょっと。いつまでそうして呆けてるつもりだい?坊やがそうしていたって姫様が生き返ることはないんだよ。悲しいのはわかるけど。」

横に座りながら話しかける。

「そろそろ自分の事を考えないといけないんじゃないかい?これからどうする

つもりだい?」

と、

「なぁ、妖術で死んだ人を甦らせることはできないのか?」

烏羽玉はぼそりと古ノ森に問いかける

「前にも言ったけど妖力や妖術ったって万能じゃないんだよ。そんな話は聞いたことがないよ。」

「生き物の寿命はね、生まれ持って決まっているのさ。それは神様や仏様がお決めになることさ。人やあんた達猫や他の生き物の寿命は元々短い。アタシら妖はその何十倍も寿命が長い。それぞれに与えられた役割を果たす為に寿命が決まっているのさ」

烏羽玉は黙って聞いている。

「姫様には姫様の役割があり、それを全うしたからこの世を去ったんだよ。残された坊やはまだ役割が果たせていないからこの世に生きているのさ。」

説き伏せるかのようにゆっくりと古ノ森は話す。すると

「姫は・・姫はわらわの傍にずっと居ろと、それがそなたの役割だと言ったんだ!」

と、急に叫んだかと思うと

「なのに俺は勝手に出かけて死にそうになったり、妖力がほしいとアンタの所に出かけたり。姫の傍に居ることが・・・、役割が果たせなかった・・・」

今度は声をつまらせうなだれている。

「姫は良くなると思ってた。また一緒にここへ来て弥勒様を見られると思ってた。

弥勒様だけでなく、姫までいなくなってしまった。」

強い後悔の念と喪失感が烏羽玉を包んでいた。それを見た古ノ森は

「姫様はずっと傍に居ろと言ったんだろう?だったら坊やがする事はひとつじゃないか。後悔しているんだろ?それじゃあ次は離れずに傍に居ておやりよ。此処で寿命を

全うするまで。」

そして

「その時までアタシも付き合ってあげるからさ。」

そう言って弥勒菩薩を見上げた。

気が付けば日が西に傾き始めていた。

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