第5話 出会い

恋志姫とその一行が、笠置の手前の大川原村まで戻ったのは、笠置山陥落の数日後のことであった。村に差し掛かると数人の村人が出迎え

「お武家様、これより西は危ねえ、笠置で戦があって天皇様が負けたと」

「今は落武者狩りに幕府のお侍がうろついて、行ったらつかまっちまう」

そう言って

「こっちにしばらくの間お隠れくだせえ」

と村の長の家に案内した。

「こんな所ですまねえですが、お使いくだされ」

「かたじけない、しばらく厄介をかけるが宜しく頼む」

木村はそう言って村おさに頭を下げた。

「取り急ぎ姫のご寝床をご用意いたせ」

侍従の女官達に指示を出し、

「姫様、お聞きの通り笠置山にて異変があった由、帝がご無事なのかどうか、分からぬ事が多々ございます。しばらくはこちらにて留まり、笠置の様子を調べようと思いまする。」

と不安げな姫に声をかける。

「帝は、帝はご無事なのか、今、いずこにおわすのじゃ?」

「帝はご無事だと思われまする。ただ、今おられる所はわかりませぬ故、今少しこちらにてお過ごしいただきまする。」

「せっかく戻ってまいったというに、何故このよう・・・」

立ち上がろうとした恋志姫が不意にバタッと倒れ込んだ。

「姫様っ!」

慌てて木村が抱き留める

「姫様がお倒れに、誰かまいれっ」

その声に侍女たちが駆け寄り寝所に連れて行き横に寝かせると、

「近くに僧医はおらぬか聞いてまいれ」

と供侍の一人に命じた。

この時代、まだ広く医術は浸透しておらず一部の僧侶が医術を理解し、普及させていた。

「左内(さない)」

と傍らの若侍が

「はっ」

と返事をする。

「その方、急ぎこれより笠置に向かい、帝の安否や現状を調べてまいれ。」

「かしこまりました。」

「よいか、敵方に悟られぬように動くのだ。万が一、遭遇しても戦わずに逃げよ。その方の情報がなくてはこちらは動けぬ、よいな。」

「承知、しからばすぐに」

「うむ」

左内と呼ばれた若侍はすぐさま笠置に向かう支度をした。

(なんだか、あわただしいな?)

恋志姫のそばにいた烏羽玉は人の動きを目で追いながら

(姫がまた倒れられた。病気が治ったんじゃなかったのか?)

病弱な姫を気にしながらも

(あの左内ってお侍、どこに行くんだろう。ちょっと気になるな。)

そう思うと直ぐに部屋を抜け出し、

(後をついて行ってみよう)

と、庭を駆けだしていった。


左内は一人、笠置に向かっていた。若いが、腕が立ち思慮深く木村から信頼されており、この任務には最適と言える人選である。その後ろ姿見ながら距離を保ちつつ烏羽玉はちょこちょことついて歩いている。そして、伊勢に向かう途中で野盗に襲われた森にさしかかった。

(そういえばここで、アイツを見かけたんだ。)

烏羽玉はあの日の事を思い出していた。と、

「坊や、どこに行くんだい?」

森の陰から声がかかった。

「エッ?」

と思った瞬間に体が硬直した。

(まただ!)

烏羽玉は立ち止まったままで、目だけをキョロキョロさせて辺りを窺った。

その間に左内は何事もなく歩を進め、道の先に見えなくなっていった。

(あっ、行ってしまった。ちくしょうどうなってるんだ)

体を動かそうと必死にもがいてみたが、一向に動く気配はない。すると、ふわりと

白い影が現れ

「ん?どうしたんだい?アタシにビビって動けないのかい?」

(馬鹿言うな!そんなんじゃねえよ!)

声までも出せないでいる烏羽玉をジッと眺めた相手は、

(おや?もしかしてこの子、アタシの妖気にあてられてるのかい?珍しいねえ)

と、烏羽玉の前に来てスッと目を細めた。

「これで動けるだろう?大丈夫かい?」

そう言ってニコニコしている。その言葉通り先程まで固まっていた烏羽玉の身体が緩んでいる

「・・・動く。・・・お前何者だ?」

水を切るようにバタバタと体を震わせながら烏羽玉は、いきなり目の前の白い生き物に嚙みつくように問いかけた。

「おやおや、折角動けるようにしてやったのに礼の一つも言えないのかい、この子は」

相手はあきれたように呟く。

「何言ってんだよ、お前が俺をうごけなくしたんだろう!」

こちらは全く礼を言う気はなさそうで

「お前のせいであの人を見失ったじゃないか!」

と文句まで言っている。

「向こうっ気が強い子だねェ。アタシは何もしちゃいないよ。坊やが勝手に動けなく

なっちまっただけさ。」

そういってあきれ顔で話す相手に

「そんな事あるか!お前が変な事して俺をうごけなくしたんだろう!」

と、全く悪びれることなく言い返し、

「それに俺は坊やじゃない!もう大人だ。」

「どっからどう見ても坊やだけどねえ。クスッ、そうやってムキになるあたりは。そして大人はちゃんと年上には挨拶できるけどね。」

言われた烏羽玉はムスッとしながら

「・・俺の名は烏羽玉だ。アンタは?」

「はい、よくできました。アタシは『古ノ森(ふるのもり)』。この森に棲んでる妖狐、いわゆる“あやかし”ってやつさ。」

「妖狐?あやかしってなんだよ、村人たちが言ってた化け狐ってことか。」

「化け狐だって!失礼ね、こんな美人を化け物扱いかい。村に何かあったって

今後一切、助けてやらないからね!。」

白狐(しろぎつね)の妖狐・古ノ森は口を尖らせプンプンと怒っている。

( あれ?白狐様だったか?まあいいや)

どうやら烏羽玉は野党達が言っていた事と村人達の話を間違えていた様だ。

しかしそう思ったのも一瞬の間で矢継ぎ早に

「妖だから変な術みたいなものをつかえるのか?この前の時もさっきも、体がしびれて動かなくなった。それに野盗達が消えたのも。」

烏羽玉は自分が動けなくなったことやあの時の不思議な出来事について問うた。

「なんだい、色々知りたがる仔だねぇ」

呆れた顔の古ノ森だが、意外にも乗り気で

「この間の連中かい?あれはそう、まあ妖術といえば妖術かね。真っ昼間なのに辺りが暗闇につつまれただろ?でも本当は明るいまんまさ。アタシの声を聴いただろ、それで幻を見る術にかかってしまったのさ。」

可笑し気にカラカラと笑いながら続けて

「でも、坊やが動けなくなったのは別の理由。何故だか坊やは、妖力に反応するみたいだねェ。普通は妖ででもない限りそんな事はないんだけどねェ。」

古ノ森はしげしげと烏羽玉の顔を覗き込んで首をかしげている。

「だから俺は坊やじゃない!それに妖なんかでもないぞ。」

「そうだよねェ。どっからどう見ても普通の仔猫だよね。」

どうやら古ノ森は烏羽玉を子供扱いするのが気に入ったようだ。

「何度も言わせるな!俺は・・」

怒っている烏羽玉を気にもせず

「ひょっとしたらどっかに妖の血がまじってるのかもしれないねェ。だから自分より妖力の強い相手に驚いちまって体が動かなくなるんだろう。」

うんうんと、一人で納得している。

(ただ、あの子からは妖気を感じないんだけどねェ、只の普通の仔猫。不思議だよ。)

少し疑問を持ちながら何も言わずに烏羽玉を観察している。

そんな相手に焦れたのか

「もういい!俺はあのお侍に追いつかなきゃ見失ってしまう。アンタの相手はこれまでだ」

そう古ノ森に言うと笠置の方に向かって走り出した。

「やめておきな。坊やが行っても何も出来やしないよ、怪我しても知らないよ、主人の所にお帰り。」

烏羽玉はちょっと振り向くと

「大きなお世話だ。」

そう言って駆け出していった。

「やれやれ、とんだやんちゃ坊主だねェ。」

白狐は走り去る小さな黒猫の後ろ姿を眺めながらポツリと呟いた。



笠置山に着いた烏羽玉ではあったが、追いかけていた侍・左内を見失ってしまっていた。

「そんなに遅れたわけでも無いのにどこ行った?」

「クソッ、あの狐のせいだ!全く。」

一人ぶつくさと言いながら笠置寺の敷地に入っていくと、そこは見る影もなく

全てが焼き尽くされていた。

「これは・・・」

あまりの光景にその場で立ち尽くしてしまう。

「何にも無くなってるぞ。」

辺りは焼け焦げた臭いだけが立ち込め、人がいる気配が全くしない。

あれだけ有った建物は全てが灰となり、影も形もないとはこのことである。

それでも境内の通路らしきものは辛うじて残っており、それを頼りにすすんでいく。

長い通路を奥まで行くと笠置寺のご本尊である弥勒菩薩摩崖仏の所までたどり着いた。

そこは京の都からここに来て直ぐに、恋志姫に連れられてきた場所である。

「烏羽玉や、ごらんなさい。こちらがこの笠置のお山の御本尊である弥勒菩薩様。

お釈迦様の次に偉い仏様なのですよ。」

そう烏羽玉に語っていたことを思い出した。

弥勒菩薩とは釈迦の入滅後五十六億七千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる菩薩の一人である。

しかし、その御本尊を見上げた烏羽玉は

「ああっ!」

と声を上げた。そこにはかつての見事なまでの線刻で描かれた弥勒菩薩摩崖仏の姿は無く、真っ黒に焼かれ、その光背のみが辛うじてわかる驚愕の姿があった。

「御本尊様が、弥勒様がいなくなってる。」

烏羽玉はそう呟いたままで後は声も出せずに立ち尽くしたままであった。



その頃左内は、南の山門を抜け、山を少し下って点在する民家を訪ね歩いていた。

「そうか、やはり帝は幕府方によって京の都へ連れ戻されておられたか。」

戦火を免れた村人によると山中で幕府方に捕らえられたと言う事のようだ。数日たったからか、残党狩りも緩み、笠置に居る幕府軍は数えるほどらしい。

「さすれば、この事を一刻も早く木村様におつたえせねば。」

村人に礼を言うと左内は急ぎ元来た道を登っていった。


四半刻ほど無言で焼けてしまった弥勒菩薩を眺めていた烏羽玉は

「これを知ったら姫はかなしむだろうな。あんなにここに戻るのを楽しみにしていたのに。」

そう言うと恋志姫の顔を思い浮かべ、

「・・・帰ろう」

と、主が待つ大川原村に向かって歩き出した。その姿は珍しく元気のない姿であった。あと少しで寺内を抜けようかとしたその時、ガサッと微かな音がしたかと思うと横手から大きな影が飛びついてきた。

「うわっ」

驚いて咄嗟に飛びのいた烏羽玉がさっきまでいた場所に大きな野犬が飛び込んでいた。

「あぶねぇ。」

間一髪でかわした烏羽玉ではあったが、野犬はもうすでに烏羽玉を狙っている。

「野犬か!まずいな、逃げないと」

向こうっ気の強い烏羽玉でも流石に相手が悪い。

「走って逃げきれるか?」

自問するもここは逃げの一手しかない状況である。そうしている間にも野犬はじりじりと近づいてくる。

「シャアーッ」

全身の毛を逆立てながら威嚇をするも野犬には効き目がない。あと一歩まで野犬が近づいた時、烏羽玉は石畳の道をダッと駆けだした。素早い烏羽玉ではあるが身体もまだ一人前にはなっておらず小さい。相手の野犬はその倍以上の大きさで動きも俊敏で、直ぐに追いつかれそうになる。

「クソッ」

焦る烏羽玉はジグザクに走りながら追いつかれまいとし、振りほどこうと必死である。獲物を逃すまいと野犬は烏羽玉から離れずついて来る。周りは焼け野原となっていて身を隠す建物も何も無い状態である。

「ハア、ハアッ」

逃げる烏羽玉の息が上がってきている。瞬発的な運動能力は猫の方が勝るが、持久力は犬の方が上回る。それでも必死で境内跡をぐるぐると逃げ回っていると目の前に

高い土塀が見えた。

「しめた!あそこに飛び乗れば」

烏羽玉は後ろを気にしながら

「この距離なら大丈夫だ」

と一気に速度を上げて土塀に向かっていき、

「今だ!」

と、そのまま跳躍した。が、無事に土塀に飛び乗れたと思った次の瞬間、

「わぁっ!」

なんと塀瓦が脆くなっていたのかガラガラと烏羽玉ごと地面に落下してしまった。

「イテッ」

バランスを崩した烏羽玉は体をぶつけて転がっている。そこに野犬が迫ってきていた。

「ダメだ!やられる!」

体制を立て直す間もなく襲い来る野犬を見つめていた烏羽玉に相手の牙が襲い掛かる。万事休すと思われた時、目の前を白い影がよぎったかと思うと

「ギャワン!」

と悲鳴に似た声がし、野犬が横に吹っ飛んでいく。そして起き上がるとそのまま何処かに逃げるように走り去っていった。

「ふう、危ないとこだったねぇ。間一髪間に合ったよ。怪我はないかい坊や?」

と、そこには古ノ森が立っていた。

「だから言ったろ、坊やには危ない場所だって。危うく食べられちまうとこだった

じゃないか。」

その場にうずくまったままの烏羽玉にそう、声をかけている。

「動けるかい?何ならおんぶしてあげようか?」

からかうように言う古ノ森に

「大丈夫だよ!」

とカラ元気で答えたものの

(本当に死ぬかと思った。)

と内心では思っている。

「おやおや、相変わらずのはねっかえりだねぇ。」

やれやれという感じの古ノ森に

「・・・ありがとう。助かったよ」

照れくさそうに言うと

「どうしてここに?」

と突然現れた訳を聞いた。

「ふうん、ちょっとはお灸になったのかい?ちゃんと礼が言えるなんて。」

そう茶化すように答える

「坊やが駆けて行った後にちょっと気になってねぇ。それと笠置のお山の様子も

知りたかったからね、後をつけてきたのさ。」

「アタシってなんて優しいんだろうねぇ。」

うんうんと、何故か満足げである。

「坊やが、弥勒菩薩の前で黄昏てるんで退屈になっちゃってねぇ。お寺を見て回ってたのさ。そしたら何やら騒がしいんで戻ってきたら坊やが襲われてたってわけ。」

「ホントに間に合ったからよかったけれど、二回目は無いからね」

烏羽玉にとっては救世主となった古ノ森にそう言われて、

「気を付けるよ。」

そう素直に答える烏羽玉であった。

(本当はあの子に妖力があるかどうかをギリギリまで見極めるつもりだったけど、

やっぱり何も無い普通の仔猫だったようだねぇ。)

古ノ森はそう心の中でつぶやくと

「ならいいよ。さて、もうそろそろ帰った方がいいねぇ。

若いお侍さんも戻ってきた様だし。」

そう言われて見回すと、気が付けば烏羽玉たちは南の山門近くにいたのである。

そこへ左内が下から登ってきたところであった。

「あの人と一緒なら無事に帰れるだろう?暫くは大人しくしてるんだね。さあ、お行き。」

古ノ森はそう言って烏羽玉を促した。

「アンタはどうするんだ?」

問いかける烏羽玉に

「子供に心配される事はないよアタシは。何年この辺りに棲んでると思ってるんだい?」

そう言うとクルリと背を向けて歩き出した。その後ろ姿を見ながら

「不思議な奴だ・・・・でもアイツのおかげで助かったんだ。」

そうつぶやく烏羽玉であった。


「早く戻らねば日が暮れてしまうな。」

左内が山門をくぐり、東に向かって歩き出した時

「ニャア」

と土塀脇から現れた黒猫に気付いた。

「ん?お前、もしや烏羽玉なのか?どうしてこんな所に。」

驚いたように言うと黒猫は足元に近寄ってきて

「ニャア」

ともう一度鳴いた。

「やっぱり烏羽玉か。どうした?まさかお前、俺についてきてしまったのか?うーん、困ったやつだな。姫様が心配なされるぞ。さあ、一緒に戻ろう、おいで。」

左内の言葉に従うように烏羽玉はその肩に飛び乗った。

「おいおい、自分で歩かないのか?しょうがない奴だな。」

苦笑いの左内をよそに、緊張から解き放たれた烏羽玉は全身の力が抜けて左内の肩で

ウトウトとし始めていた。

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