第3話 旅 路

笠置に着いてしばらくの事、恋志姫は慣れない地での疲れからか体調不良となり、

急遽、伊勢の国に療養に行くこととなった。

往時は病気の治癒に祈禱など神仏に祈ることが普通であり、天皇家ゆかりの伊勢神宮にて祈禱を行うためである。

「わらわは何処にも行きとうはありませぬ。帝のお傍に居りとうございます。」

京の都から遠く離れた山寺にあっても帝と一緒ならばとそれだけを心の拠り所にして

過ごしてきた恋志姫にとっては承諾し難い話ではあったが

「朕はこの笠置の山にて待っておるゆえ、身体を厭い元気に戻ってまいるが良い」

後醍醐天皇はそう言って恋志姫をなだめ、送り出した。これが今生の別れとなることなど知る由もない二人は、お互いの手を握り合い笑顔で一時の別れを惜しんだ。

翌朝、

「それでは姫様、参りましょう。」

数人の供侍と身の回りの世話をする女官達数人を連れ、一行は泉川(現在の木津川)沿いの伊賀街道を東へと向かった。勿論、烏羽玉も一緒である。輿に乗った恋志姫の傍らで今は大人しくしている。笠置から伊勢まではおよそ三十里、病の姫を連れての旅路はゆるりとしたものであった。

笠置山の対岸の峠を越えると小さな集落に出る。有市(ありいち)の村で、その名の通りここには市が立ち、旅に必要なものを幾つか買い求める事が出来た。

さらに上流に向かって進んで大川原(おおかわら)村(現南山城村大河原)に差し掛かろうとした時である。そこは深い森の中を通る道で昼間でも薄暗く、しんと静まりかえっていた。すると、不意に木陰からバラバラと数人の男達がとびだしてきた。

「おい、命が惜しくば金目の物を置いて行け!」

やせ型の長身の男がそう言って腰から刀を引き抜いた。そして一行を見渡すと

「ほう!大層な身なりの連中だな。こりゃあ、たんまりと持っていそうだな。大人しく言う事を聞いてサッサとこっちに渡しな。」

「野盗か!その様な者に臆すると思うか!」

警護の供侍はそう言うとこちらも刀を抜き放った。

「その方たちは姫の輿を御守りしろ。」

年配の侍は傍らにいる若い侍二人にそう言うと、残りを連れて一歩前へと乗り出した。

「それなら力づくでお宝をいただくとするか。お前ら行くぞ!」

野盗の頭らしい男が子分達に合図をすると一斉に襲い掛かってきた。キン!と刀が合わさる音と野盗達の怒号が入り混じりながら戦いが始まった。供侍達は流石に武芸を学んでいるので簡単にはやられる事はないが、相手の野盗達も手慣れたもので、以外にも苦戦を強いられている。数も野盗の方が多く、姫や女官達を守りながらではかなり分が悪い。

「はっはっは、さっきの勢いはどうした?そうらっ。」

頭目はともすれば楽しそうに刀を振り回しながら輿へと近づいてくる。侍達は姫の乗る輿を取り囲むようにしながら、野盗達を近づけないようにするのがやっとで、相手を倒す事は出来ずにいた。

「さてと、いただくとするか。」

野盗達はじりじりとその周りを取り囲みながら迫ってくる。

「よいかっ、何があっても姫様をお守りせねばならんぞ!」

年配の侍はそう叫ぶと刀をギュッと握り直した。輿の中では恋志姫が烏羽玉を抱きしめて「烏羽玉や大丈夫じゃ。わらわが守ってあげるぞよ。」

そう言った声が震えている。自分が守られている状況がかなり劣勢であり、わが身に危険が迫ってはいるが、烏羽玉を抱いている事で少し自分を落ち着かせているようだ。

「フーッ‼」

烏羽玉は低く唸りながら全身の毛を逆立てている。油断すれば輿から飛び出しそうな勢いをみせて、体に力を込めていた。

動物の本能なのだろうか、危険を察知しているのである。

「まずはその輿を改めさせていただくとするか」

野盗の頭目はそう言うとさらに近づいてくる。このままではおそらく、全員が刃にかかるのも時間の問題であった。その時、一筋の風が吹き、ほのかに香の匂いがしたかと思うと辺りが急に暗闇に包まれ、その闇の中から

「フフッ、我が森で悪さをするとは見上げた度胸じゃな。」

と、不気味な声が響いてきた。

「な、なんじゃ!」

「お、お頭!」

「ヒィッ」

数人の野盗達の叫び声がし、

「クックックッ、悪さをする割には他愛のない連中じゃな。ほうれ。」

「アッアッ、助け…」

次々と野盗の悲鳴が聞こえてはシンと静まり、一人また一人と、手下達が消えてゆく。

暗闇の中で何かが起こっているのだが、野党の頭目には何が起きているのか判らない。

「オイッ!どうした?誰か返事をしろ。」

「お、お頭こ、こりゃあ物の怪の仕業じゃ。」

辛うじて声を出した手下に

「馬鹿野郎!そんなもんがいるものか!」

「ですが、こ、この森には化け狐が居て人を取って喰うって話が」

「何を言ってやがる、そんなもんは作り話に決まってる。ビビってないでこっちに来い!」

「…」

「どうした?」

頭目が声をかけるが返事が無く、

「作り話かどうか己で確かめてみるかい?」

代わりに先ほどの不気味な声が帰ってきた。

「畜生!どこにいやがる!出てこい!」

見えない恐怖からか流石の頭目も闇雲に刀を振り回している。

「これはいったい何が起こっているのじゃ」

年配の侍も事態が吞み込めず、その場から動くことも出来ずにいる。

「皆、無事か?誰も欠けてはおらぬか?」

「私はこちらに」

「拙者も輿の傍におりまする。」

とそれぞれの返事が帰る。

「女子(おなご)達も無事か?」

「はい、大丈夫でござります」

こちらも無事な様子で微かに震えながらも答えている。

「姫のご様子は」

「恋志姫、大事はござりませぬか?」

輿の傍にいた若侍が問いかけると

「何があったのじゃ?わらわは大事ない。」

「ようございました。今しばらくお出にならぬよう」

皆の無事が確認できたものの、動けないことには変わりがなく、その間も野盗の頭目は闇の声の主に叫んでいる。

「子分達をどうした!」

強がって叫んではいるが、声に脅えが見て取れる。

「もうお前一人さ、さあそろそろお前にも消えてもらおうかね。」

「何をっ!うわぁ」

その声を最後に辺りは静寂に包まれた。

そして輿の中では烏羽玉が終始全身の毛を逆立てたまま硬直している。

(何なんだこのビリビリする感じは?体中が痺れて変な感じだ)

初めての異様な空気に烏羽玉は驚きながらも

(外で何がおきているんだ?)

まだ一歳にもなっていない仔猫の為か、怖いもの知らずの好奇心で表に出てみたくて

ウズウズもしている。どれほど経ったのだろうか?突然パアッと明るくなり、

「おおっ」

と皆が声を上げて辺りを見回すと、そこには野盗達の姿はなく先程の出来事がウソのような普通の森に戻っていた。

「これはいったい。」

と供侍達が驚いていると、スッと輿の格子が開き

「これはきっと、笠置寺の弥勒菩薩様のご加護でしょう。伊勢より戻りし折にはお礼を致さねばならぬのう。」

恋志姫はそう言うと笠置山に向かって手をあわせた。その隙を狙って烏羽玉は外に出て輿の上にヒョイと飛び乗り、キョロキョロと辺りを見回すと

(さっきのは何だったんだ?もう何も感じないぞ。)

匂いを嗅いだり耳をしきりに動かして気配を探っている。

(おかしいな、何かがいたのは間違いないのに。どこに行ったんだ?)

そうしてふと、元来た方の森の入り口を振り返ると、あっと目を見張った。

そこには真っ白な毛色の生き物が立ってこちらを見ている。

(あれは何者だ?猫じゃあ無いし、町で見かける犬のようだけど。)

すると、

(ッ、まただ!)

烏羽玉の背中の毛が逆立ち始めた。

(何でアイツからこのビリビリがくるんだ?)

動こうにも動けない不思議な感覚に包まれたまま、烏羽玉は道の向こうの姿をみつめている。すると、白い生き物は

「フフン」

と笑うとクルリと背を向けて森の奥に消えていった。と同時に烏羽玉の体は緩まり正常に戻った。

(アイツは一体何者だ?大きな耳にふさふさした尻尾が。それも二本もあったぞ。さっき野盗達が化け狐とか言ってたな。それはなんだ?)

外の世界をあまり知らない烏羽玉にとっては何もかもが解らずじまいであった。

「これ、烏羽玉を中へ。」

恋志姫に言われたお付の女官が輿の上の烏羽玉を抱き上げ、恋志姫へと手渡した。

「難儀は弥勒菩薩様のおかげにて祓うことが出来た。そなたも無事でよかったのう。」

烏羽玉に優しく語る恋志姫

「何か合点のいかぬ事ではございましたが、皆が無事で何よりでございました。物騒な森はさっさと抜けてこの先の大川原村まで参りましょう。」

年配の侍はそう言うと先頭に立って歩き始めた。

(うーん、気になる、アイツは何なんだろう)

烏羽玉はしばらくの間あの不思議な生き物の事が頭から離れなかった。


大川原村で少しの間、休息をとっていると村人が何やらさわいでいる。

「さっき古森の川辺で変な奴らがずぶぬれで騒いでおったぞ。ありゃあ、なんじゃろな。」

「伊賀からこっちゃ辺りをうろついとるゴロツキ共じゃ。もう、水も冷たくなってきたのに難儀なこっちゃの。ハハハハ」

「木村様、今の話は先ほどの連中では」

年配の侍木村に若侍が話しかける。

「おそらくそうであろう。まさか川に放りこまれたとは。」

「ちと、尋ねるが」

木村はそう言って村人に先ほどの顚末を説明した。

「その不思議な声の主にたすけられたのだ。して、あれは何者であろうか?」

「そりゃあ古森の白狐様じゃな。ずっと昔からあの森にはそう言う云われがあるんじゃ。わしらも姿を見たことは無いんじゃが、言い伝えではそうなっとる。」

「じゃから無事に森を抜けられたら礼を言って帰るんじゃ、『古森さんおおきに』と」

村人たちはそう話してくれた。

「恋志姫様、お体は大丈夫でございますか?今のお話お聞きになりましたか?」

お付の女官が姫を気遣いながら、そう問うた

「少し休んだので大事ない。なるほどのう、白狐様とは。弥勒菩薩様が遣わされておるに違いない。やはり笠置山に戻り次第お礼をせねば。白狐様共々に。」

「さようでございますね。戻り次第お手配いたします。」

横で話を聞いていた烏羽玉は、

(白狐様?やっぱりあの白い奴の事だ。そうかあれが狐なのか。よし、今度会ったら確かめてやるぞ。)

何をする気なのか決意を固める烏羽玉であった。

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