第2話 笠置山

京の都は一見穏やかに見えるものの、宮中では都を揺るがす出来事が起こり始めていた。時の帝である後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、建武政権を見事に成し遂げた偉大な統治者であり、学問芸術の天才と称され文武共に秀でた天皇であるがそれはもう少し先の事で、この時は鎌倉幕府の討幕を企てたとされる正中の変が治まってから7年程で幕府との関係も良好で治世に専念している良き天皇である。一方で正妃の中宮とのおしどり夫婦ぶりは有名で和歌を贈り合うなど内情の細やかな人でもあった。都での評判も良く、安寧な時が流れているかのようであったが、残念なことに中宮との間に御世継ぎはなかったのである。

そんなこともあってか天皇には正妃だけではなく寵愛を受ける女性も少なからずおり、その中に一人の若く美しい女官がいた。名を「恋志姫(こいしひめ)」といい、

後醍醐天皇から特別愛でられていた。元々は高官であった身で、天皇の覚えがめでたく女御の一人として宮中で暮らしていた。

「たれぞ、烏羽玉(うばたま)をみかけなんだか?何処にもおらぬのじゃ」

そう言うと自ら庭に出て行こうとしている。

「恋志様、私達が探してまいりますゆえ、お部屋におもどりくださりませ。」

お付きの女官達は慌て后妃を止めている。

「烏羽玉やいずこぞ」

しかし当の妃は構わずに出て行こうとしている。すると、庭の隅に植わっている橘の陰から一匹の猫が姿を現した。

「ああ、烏羽玉。どこに行っておったのじゃ」

『烏羽玉』と呼ばれたのは、その名の通り烏の濡れ羽の如く艶やかな毛色の生後半年余りの雄の仔猫で、成猫になる前のしなやかな姿の黒猫である。主の声に反応してかトコトコと縁に近づきピョンと軽やかに飛び乗った。

「心配したぞよ」

そう言うと恋志姫は足元の黒猫を抱き上げて頬ずりをした。

「ニャオ」

抱き上げられた烏羽玉は甘えたように一声鳴き、美しい飼い主の顔をジッと見つめていたかと思うとその頬をペロッとひと舐めした。

「勝手にどこぞに行ってはならぬ。そなたはわらわの傍におらねばならぬのじゃ。

よいな。」

そう言われた烏羽玉は主の問いに答えるかのようにと再びニャアと返事をするのだった。

この後、穏やかな日常が大きく変動するとは思いもせず、子猫を抱きながら微笑む恋志姫なのであった。


それからひと月ほどたったある夜。

「申し上げまする」

天皇の御座に側近の公家達が集まり声を潜めながら帝に進言をしている。

「吉田定房が六波羅に密告いたした由にございます」

「なんと申した?吉田が朕を裏切っただと!」

吉田定房は後醍醐天皇の側近中の側近である。

「仔細はわかりかねまするが、ここはしばらくご用心召されませ」

「なにゆえに吉田は朕を・・・事を急がねばならぬか。」

後醍醐帝は顔を曇らせ吐き出すようにつぶやかれた。その後、側近が次々と幕府に捉えられ関係機関が六波羅探題の取り調べを受ける中、八月九日(西暦一三三一年九月十一日)後醍醐天皇は元号を新たに『元弘』へと変え、元弘元年八月二十四日(同年九月二十六日)夜、

「恋志姫よ、そなたは今より南都の寺に詣でるのじゃ。その輿に朕はひそみ都をでる。そなたと一緒にじゃ。」

突然、帝から思いもよらぬ事を言われた恋志姫は、一瞬は驚いたもののすぐにその場に指をつき

「わかりました。帝のお傍にいられるのであらば何処へも。」

そう言って後醍醐帝を真っ直ぐに見つめ返した。

深夜、恋志姫の乗る輿が牛車に引かれて宮中から静かに出発する。

女性用の輿に隠れた後醍醐天皇は、三種の神器とともに京を脱出し、密かに南へ向かった。そして、天皇が使う輿は反対の北に向かったのである。


「よいか、帝をお守りし幕府のものどもを一歩もこの地に入れるな!」

後醍醐天皇を迎え入れた延暦寺宗徒は押し寄せる六波羅の幕府軍を撃退し、大いに士気をあげていた。

後に判明するのであるが、帝と思われていた人物は身代わりとして追手の目をくらます為に後醍醐天皇に成りすました『花山院(かざんいん)師賢(もろかた)』という公卿であった。素性がばれた後は延暦寺から落ち延び後醍醐天皇と共に過ごすが、今はまだ身代わりという役割を果たしている。

そうとは知らぬ六波羅の軍勢はここ比叡山延暦寺を取り囲み、後醍醐天皇を捕縛する為に門徒宗と対峙していた。延暦寺側の守りは固く容易には落とせずに膠着状態が続いていた。

そして、この間に本物の天皇は、奈良・東大寺から鷲峰山金胎寺(現・和束町)に移り、元弘元年八月二十七日(西暦一三三一年九月二十九日)ついに笠置山(かさぎやま)に到着、東大寺の末寺でもある笠置寺(かさぎでら)に行在所(あんざいしょ)を設けて討幕の拠点としたのである。


「しばらくはこの様な山中にてお過ごしいただかねばなりませぬが、御上もご一緒故何分にもご心配はいりませぬ」

山寺の一坊で恋志姫は、そう諭されて

「さようであるの。帝とご一緒なれば心も落ちつく。それにほれ、烏羽玉も

一緒じゃ。のう」

慣れない場所に落ち着かないのか、興味津々なのか烏羽玉は部屋のあちこちをうろついている。

「ここは山深き地ゆえくれぐれも勝手に外に出てはならぬぞ。その方たちも烏羽玉の事を頼むぞよ」

「かしこまりましてございます。」

しかし、当の烏羽玉はどうにも部屋から出たいらしく襖をカリカリと掻いては

「ニャーッ、ニャーッ」

と声をあげているのであった。



此処、笠置寺は京の都から南の山城(現京都府南部地域)の最南端にあり、奈良との境をなす笠置山に所在し、その創建は白鳳時代とされる。本尊は巨大な一枚岩に刻まれた弥勒菩薩(みろくぼさつ)磨崖仏(まがいぶつ)で、その姿は高さ五丈(約十五メートル)にもなり覆い被さる様な形状の岩肌にある姿は見るものを圧倒する迫力である。平安時代には末法思想の浸透と共に弥勒信仰を背景に天皇や貴族達の信仰を得て京の都からも多くの参拝者が訪れた。

鎌倉時代初期に奈良・興福寺の高僧『貞慶』が入寺したことでさらに繫栄し、弥勒信仰の一大拠点の地位を得ていた。山寺とはいえ、四十九もの坊があり、京や奈良の大寺院に決して引けを取らない名古刹であった。一方、東大寺とのかかわりも深く、東大寺の創建やお水取りなどの行事に大きくかかわっており、東大寺の高僧、良弁や実忠がこの寺を舞台に活躍した。もう一つ、巨石が多く点在する山中は修験道の道場としての信仰も集め、吉野山、金峯山と結びついて霊地として発展し、かの役行者も修行を行ったとされる。

また、笠置寺の草創の謂れによると天智天皇の御代十年、鹿鷺山(かさぎさん)(笠置山)に狩りに来た皇子が山上で鹿を追っている際に高い崖の先端に行き当たり、追っていた鹿はそのまま絶壁から落ち、皇子の乗る馬も寸でのところで止まったが、足を固めたまま一歩も動けなくなってしまった。谷底までは十数メートルはあり、このまま落ちれば助からない。進退窮まった皇子は

「この山の神よ、もし私の命をお救い下さればこの岩壁に弥勒菩薩の像を刻み以後祭り奉らん。」

そう願うと、たちまちにして馬は後ろに下がり始め皇子は難を逃れることができた。助かった皇子は被っていた笠を脱ぎ、傍らの石の上にそれを置き、後日訪れる際の目印とした。これが『笠置』名の基になっている。

一両日を経て再び山を訪れるが、目印の笠を置いた場所にたどり着けない。困っていると一羽の白鷺がその頭上を三度回り、笠を置いた石に舞い降り、導かれた皇子は無事に目的地にたどり着いた。しかし、巨大な岩壁のたもとに立ち、仰ぎ見ると、

「とても私の力ではこんな険しい場所に仏の像を彫れぬ。」

と途方に暮れてしまった。その時、突然黒雲が沸き上がり、辺りを覆いつくすと周囲は闇につつまれた。そしてその暗闇の中から石を刻む槌音が聞こえ始め、破片の小石までが飛んできた。どの位たったか黒雲が消えると、皇子の目の前の岩肌に見事な弥勒菩薩像が刻まれていたのである。

これは皇子の悲観を哀れんだ天人が皇子の誓いを助けるために現れたのだと言われている。

この時の皇子が、大友皇子とも大海人皇子(後の天武天皇)とも言われているが定かではない。しかし、そんな逸話もあって、天皇家と笠置寺は深く結びついており、

後醍醐天皇はこの笠置寺を鎌倉幕府討伐の拠点としたのである。

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