第4話

 今日のお店は、ホテルの中にあった。エレベーターを降りると、少し広めのロビーになっており、絨毯が敷きつめられ、座り心地の良さそうなソファーが所々に配置されていた。待ち合わせに使ったり、食後のマダムたちがまだ足りないお喋りに華を咲かせたりするのにちょうど良さそうな空間だ。

 大学生男子には不似合いの場所だが、仕方がない。品の良いご子息風で、襟を正して店の扉に向かう。すると、右方向から視線を感じた。視線に先には、ソファから立ち上がる由美子の姿が見えた。


「あ、由美子!」

駆け寄ると、由美子が私を抱きしめた。

「ごめん……。少しだけ、このままで……」

弱々しい声が、かすかに震えている。

どのくらい時が経っただろう。強く抱きつく由美子の髪を、私は優しく撫でてやった。


 腕を緩め、顔を離して見つめ合う体制となった。

「ごめん。こんなつもりじゃなかったんだけどな」

鼻をすすりながら、目を潤ませた由美子が切なそうに笑う。


「ちょっと、お手洗いにいって、お化粧直してくるね!」

そう言うと走り去ってしまった。


 私は、さっきまで由美子が座っていたソファに腰を下ろす。

『大丈夫かな……、由美子』


 程なくして、由美子が戻ってきた。

「美奈子、ごめんね。もう大丈夫だから! さぁ、美味しいランチ食べに行こう!」

と、私の腕に自分の腕を絡ませると、元気よく扉を開けた。


 大きなホールには、いくつもテーブルが配置されていたが、テーブル同士の間隔は広く、しっかりとプライベート空間が保たれていた。私たちはガラス張りの窓際の席に通された。

「うわぁ、素敵!夜はきっと夜景が綺麗なんだろうな!」

いつもより、ややテンションが高めの由美子が嬉しそうに笑う。


 無理をさせているのではないかと心配したが、心地よい緊張感の中、懐かしいあの頃にタイムスリップでもしたかのようにも見えた。傍から見れば、親子に見えているか、ただならぬ関係に見えているか、微妙なところだが、私たちは気にも留めなかった。


 コースはすでに予約してあったので、ドリンクだけ注文して、やっと席に落ち着いた。

「改めて、お誕生日おめでとう!」

プレゼントを渡す。キャリアウーマンに人気のPCケースをセレクトしていた。


「うわぁ! ありがとう! 手持ちのケースが古くなってたから、新しいのが欲しかったんだよね。嬉しい! 美奈子は私のこと、何でもわかっちゃうね。私より私のことを理解してる気がする。敵わないな。」

そう言って、大事そうにPCケースを眺めながめながら、こう続けた。


「……あの時もさ、私のこと支えてくれてありがとうね。あの日、雅人に『由美子といると苦しい。別れてほしい』って、はっきり言われちゃってさ。張り詰めた糸がプツンって切れたわけよ。自分が障がい者になって、私を想いやっての言葉だったのかもしれないし、本当に私という存在が傍にいるだけで辛かったのかもしれない……。どちらにしろ、あの時の私はもう頑張ることに疲れちゃったんだよね」


「うん……。由美子はよく頑張ってたよ。それは私が認める」

「ありがと。結局、逃げたんだよね……私」

「そんなことないよ。支えようとしてたじゃない。恋人が突然、生涯車いす生活になって、普通の精神状態じゃいられないよ。もし逃げたのだとしても、誰も由美子を責められないよ」


「うん、ありがと……。あの日から、直接本人とは話はしてないんだけどさ、卒業して10年ぐらいたった頃かな……?、ちょうど事実婚の時ぐらいに、風のたよりで、雅人のこと聞いたんだよね」

「そうなの? どんな?」

「うん。あの後、内定していた会社は辞退して、猛勉強してエンジニアになったんだって。アメリカのMakerosoft社で、働いてるって」

「え?!あのMakerosoft? すごいっ!! 超エリートじゃない!!」

「そうなの。さすが私の元カレ、ヤリ手でしょ?」

ふふふっと、由美子が優しく笑う。

「私も負けてられないなって思ってさ! だから、バリバリ働いているわけよ! ……あぁ、やっと美奈子に言えた。いつも、心配させてごめんね。私は今、幸せに生きてるよ。美奈子いつもありがとう。これからもよろしくね」


 そうだったのか。由美子は、もうずっと前向きに生きてきたのか。事実婚の時?ちょうど、事実婚を解消して、今のフリーライターに転職した時かな?もしかしたら、その噂を聞いて、由美子も何か心境の変化があったのかもしれない……。そう思ったが、言わないでおいた。

 今や、由美子も売れっ子のフリーライター兼ジャーナリストだ。最近はテレビにもよく出演している。私の自慢の親友だ。


 素敵なコース料理が次々と運ばれ、私たちは、優雅で素晴らしい一時を過ごした。最後のデザートは、バースデイソングが流れ、由美子のもとへ花火付きのケーキが運ばれた。周りのお客さんも拍手で祝ってくれた。

「ちょっと! 恥ずかしいじゃん! 私、もう45歳だよ!」

小声で言う由美子に

「いいじゃない! 誕生日くらい、派手にいこうよ!」

ケーキとフルーツの盛り合わせが運ばれてくる中、私は急な眩暈に襲われる。


「ごめん由美子。ちょっと席外していい?」

「うん、いいけど……、大丈夫? 顔色悪いよ? 一緒に出ようか? 帰る?」

「ううん、まだ、ケーキ食べてないし! ちょっとだけ休んでみる。あ、先に食べてていいからね!」

そういって、ロビーに出て端のソファに横たわる。何だこの眩暈と頭痛は……。えも言われぬ不安に襲われるが、しばらくすると治まったので、席に戻ることにした。


 私たちのテーブルに目をやると、由美子が誰かと話しているのが見えた。車椅子の男性と話している……。雅人君だ!そこには、私たちと同じように年を取った、雅人君の姿があった。

 それを確認した途端、視界がぐにゃりと歪み、意識を失った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る