第13話 綾香 過去~復讐決意
小さい頃から、私の家にお父さんはいなかった。
母と子の二人だけの家族だったけれど、決して寂しくなんてなかった。生活は苦しかったし、狭いアパートで同世代の子共達と比べたら、貧しい家庭だったのは間違いない。
そんな環境でも、私が負の感情に流されず、非行に走ることもなく、親に対する反抗期も少なかったのは、母が本当にパワフルで強い人だったから。
喧嘩も沢山したけれど、仲たがいしないように私も母も、本音を言い合って改善していこうと、親一人、子一人の二人三脚でがんばってた。
小中高大、そして今に至るまで…腐れ縁の幼馴染である響一がいたことも、私が間違わずに生きてこれた、一因だったと思う。
頭は悪くないけど、喧嘩っ早く、情に厚いが、頼れるんだかそうでもないんだか。弟寄りの兄貴分? ほんと、ちぐはぐでほっとけない。お互い恋愛感情もあったけど、心地いい関係のまま高校卒業まで、ズルズルといってしまった気もする。
実際は、高校でそんな甘い雰囲気になるどころか、自分の命を絶っていた可能性もあったけれど。
私は学業や部活動に精を出し、先生受けもよかった。
そうなると『目立つ』は言い過ぎだけど、注目されることも多くなる。
注目され頼りにされると、それに応えてがんばって、より注目される。
そして本人が望んでもいない、妬みや嫉妬も…引き付けてしまうことになった。
簡単に言えば、いじめにあった。
物がなくなる、壊されるなんて当たり前。
廊下やトイレ、学校の死角になる部分での暴行。
水をぶっかけられることもあった。
私の家が貧困な母子家庭であることを、知っていたのだろう。
『あいつは簡単にやらせる淫売だ』『相場の10分の1で相手してくれる』、など好き勝手な嘘の噂までばらまかれた。
身近な友人や懇意にしてくれた先生は、そんな噂を信じたりしないで、学年全体でもすぐに問題として取り上げてくれた。
でも、噂の出所も、証拠を見つける事もできず、主犯らしき集団…私を目の敵にしてる人物がわかるのに、吊るし上げる事もできなかった。
陰湿、
お母さんも凄く心配してくれたけど、私が大学に入って就職してお母さんを楽にさせるためには、遠回りなんかしてられない。
無理だったらすぐにギプアップするよって、大したことないように説得したけど…。負けてたまるか、負けてやるもんか、私は、私がこの世で一番尊敬して愛している母の娘だ、お前らなんかには絶対に屈しないと。
響一は卒業間際まで、噂を話している生徒がいたら、詰め寄ったりして危うく一緒に、卒業できなくなるところだった。
私が我慢して相手にしないと、あと一年も無いからってあれだけ言ってるのに。
バカ、ほんとバカでほっとけなくて、喜んじゃいけないのに…嬉しかった。
もうこの頃には明確に、響一のことが好きだったわね。
我慢に我慢を重ねた末、ようやく卒業したその日に響一に告白して、そのまま奪ってやったわ。フラストレーションが溜まっていたのか、私も響一も初めて同士だったけど、とことんやったわね。予め買い置きしていた、栄養剤も飲んで飲ませて―――
本当のところは、つらくて苦しくて、周りに迷惑をかけたくなくて、独りだったら…とても耐えられなかった。自●が頭をかすめたり、反対にあいつらを●してやろうと、…私の中で無機質な目の蛇が
その蛇が牙を剥こうとしたのを
大学に入って響一と本格的に付き合いだし、あかりと菫という親友もできて、剛君と友也君という男友達もできた。
バイトをしたり、友人達と遊んだり、もちろん学業にも励んだ。
そんな大学生活は、本当に楽しかった。
高校のつらい時期を乗り越えたからこそ、今の幸せがある。もう、あんな奴らに会うこともないだろうし、そういう奴らが現れたら立ち向かうだけ。
楽しかった大学生活も、あっと言う間。
そして自分の将来、就職先は特別支援学校の先生を選んだ。
良い企業に入って、母を楽にさせることが一番の目標ではあったが、教職に感じ入るものもあった。この選択肢を選べる大学に入って、単位も取ったが…迷い続けてもいた。
いじめてきた相手に対して、●してやろうという気持ちを持った私が、人を教え育てるなんて。
お母さんに相談したら、
「綾香の好きな道を進みなさい。娘に養ってもらうほど、お婆ちゃんじゃないんだからね」と笑い飛ばされた。
響一からは、
「綾香は思うだけで、
私は、なんて恵まれているんだろう。母に、響一に、背中を押してもらえる幸せ。
自分のやってみたい進路に、向かうことができる。がんばろう…そう思った。
先生になってからは、想像していたよりもはるかに大変で忙しく、くじけそうにもなったが充実していた。様々な障害を持っていたり、苦難に満ちた人生を送っているのに、そんなものに囚われない、自由さや優しさを持っていた子供達。
腕を噛まれたり、ひっかかれたり、手のかかる子共達ばっかりだったけどね。
教えられることの多い、私にとっては学ばせてくれる、先生のような子共達だった。
そんな生活のなかだった、母が倒れ入院したのは。
私が一人立ちしてからは、母の働く時間も減らし気味にして、ゆっくり過ごしてもらっていたのに…大病を患うなんて。
死期を悟っていたんだろう…自分が亡くなったあとに、一人残されてしまう私のことを、ずっと気にし続けていた。
それとなく察していた私は、響一と相談して母を安心させたいから、結婚を早めてもいい? って。失礼だし最低だとも思ったけど、響一は笑ってた。
「お前がお義母さんのことを、一番大切にしてることをわかってるし、俺を蔑ろにしてるわけじゃないのもわかってる。ガキの頃から、お世話になってるお義母さんになる人を、喜ばせられるんならこっちこそ頼むわ。綾香、俺と結婚してください。綾香を幸せにする。そしてお義母さんも…順番じゃない、欲張っていこうぜ」
あのとき、諦めないで良かった。
たくさんの人に助けられてがんばったことで、こんな素敵な人をつかまえることができた。泣き顔のまま響一を引っ張って、母の元に連れて行ってしまったのは、今思い出すと恥ずかしい。
私と響一を見て安心したお母さんの顔は、一生忘れられない。
*
結婚式を見せることはできなかったが、安心してくれた母を送ることができた。
もっともっと親孝行も、孫の顔だって見せてあげたかった。
とても悲しかったけれど、最後に母は満足だと、幸せになりなさいと。
母の思いを胸に、生きていこうと思う。
母の葬儀のあと、忌中後すぐに結婚式をするのはやめておいた。
お義父さんと御母さんも、二人の好きにして構わないと言ってくれたのもあるが、響一も私も仕事が忙しくなったこともあり、母が亡くなる前なら決行してたけれど、慌てなくてもいいかと。
響一も私も、籍だけ入れとこうかとも思ったが、婚約指輪を作って互いにつけ合うことにした。
漠然と、このまま波風が立つこともなく過ごせていけたなら。響一と共に友人とも穏やかに年を重ねて、手のかかる可愛い子供たちと…。
自分の中にいた、あの蛇もどこかへ行ってしまったのか…眠りについたのか。
ある日、学校で長年勤めてきた先生の送別会があった。
お酒の席を用意して別れを惜しんだが、気持ちのいい席だったと思う。
そのお店で思いがけず、声をかけられた。
かけられたくもなかった。昔、私をいじめた主犯の女だったから。
「あら、綾香ちゃんじゃない。高校の同級生だった私のこと、覚えてる?」
「…覚えてるわ。櫻井さん…だったわよね」
忘れる…わけがない。その顔を。
「そうそう、ひさしぶり~懐かしいなぁ~。元気してた?」
「そうね、元気と言えば元気よ…それじゃ。私、戻らないといけないから」
「なにそれ、おっかし~。せっかく会えたんだから、もう少しお喋りしようよ~」
この時に嫌われても構わないと、切り上げておけば。でも教育者としての自分が…邪魔をした。結局、その場に残ってしまった。後悔の発端に、なるとも知らずに。
「お友達から聞いたんだけど、綾香ちゃん学校の先生になったんだって? 頭良かったもんね。媚び売るのも得意だったし~」
変わっていない…。構っちゃダメ。最低限言葉を返して、この場を離れなきゃ。
「…やりがいのある仕事よ」
「そうなんだ~、でも特別養護? っておかしな子が、い~っぱいいるんでしょ? 危なくないのかな~って 」
一瞬で、頭が沸騰した。
こういう輩とは再三、出会ってきてたはずなのに。
「何を言ってるの!? 子供たちを、危険人物みたいな言い方するのはやめて!」
「ごめんごめんって、怒んないでよ。よく知らないけど、怖いな~って。でも、そんなところで働く綾香ちゃんは、偉いな~って、思っただけ」
「よく知りもしないで、酷いことを言うのはやめなさい! 話はそれだけ? それじゃ」
時間の無駄だった。話を切り上げて、すぐにここから…。
「待って、待ってって。慌てなくてもいいじゃない。綾香ちゃん、高校の時いじめられてたから私心配で、綾香ちゃんもお母さんと二人だけで、大変だったでしょ~」
こいつの言葉に、囚われちゃダメ。
「そうね、でも今はもう大変じゃないから、心配無用よ」
「そっかぁ~、そうだよね。良かったねぇ、お母さんも早めに亡くなられたから、綾香ちゃん的にも助かったんじゃない?」
!?
「親の面倒なんて見たくないじゃない? だから綾香ちゃんはラッキーだなって。私の親も早めに逝ってくれればな~。ほ~んと、羨まし~」
「あなた正気。本気で言ってるの、親に亡くなって欲しいなんて」
「そんなこと言ってないよ? 怖いよ綾香ちゃん。ただ、そうだったらいいよね~ってだけ」
この女は、なにを言っているのか。
「片親で苦労して、高校でもいじめられて~、おかしい子供たちの相手なんて、綾香ちゃんは凄いな~って。でも~、親心で最後に早く亡くなってくれたんだから、綾香ちゃんのことを思ってくれた、良いお母さんだよね~」
思わず手が、…出るところだった。
こんなに純粋な怒りを感じたのは、高校の時以来。でも、あの時は怒りと自暴自棄が混ざっていてもっと…。
「あ、私もう行かなくっちゃ~。またね~。出来損ないのお母さんの娘が、出来損ないの子供を育てるって面白~い。がんばってね~、あ・や・か・ちゃん、バイバ~イ」
―——————————
だめ。
…だめ。
……今すぐ響一の元に行って、抱きしめてもらうの。
こんなものに囚われちゃだめ。
飲み込まれちゃだめ。
思い出したらだめ。
塞ぎこんで、自分自身が濁っていく感覚。
なにもかもがどうでもよく、どうやって迷惑にならないように自●すればいいか。
あいつらを●せば、解放されるんじゃ…そう考えていた日々を。
私の中の蛇が、舌をチロチロ出しながら、あの無機質な目を向けてこちらを見ていた。黒い、真っ黒な目。何も写さない全てを飲み込むような、黒。
少しづつ近寄って来るにつれて、長く大きくなるソレが、私の体に巻き付いていく…。
だめ、だめ、だめ。だめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだ――――――――――――
なにがだめなんだろう…だめなことなんて、ないよ?
いちどでも
あくいにまみれてしまえば
あらいおとすこともできない
そのあくいというよごれは、きえてなくならない
きずになるのだから
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