第29話 昔のふたり・前編

 ◇◆◇◆◇◆


「殿下は勉強が好きなん? 嫌いなん?」


「……何故そんな事を聞く」


 ディアナと目も合わさず、相変わらず机で次の授業の予習をしながら返事をするエドワード王子。

 メモを取る字は美しく、子供とは思えぬ高度で多岐にわたる内容を書きつけています。


「だってそんなに熱心に勉強してるのに、全然楽しそうやないし。なんか怒ってへん?」


「怒ってなどいない」


「ふーん? まぁええけど」


 小さなディアナは王子の部屋の椅子にちょこんと腰かけます。新たに王子から貸して貰った本をしっかり抱えて読み始めました。


「……お前こそ、どうなんだ」


「何が?」


「せっかく王都に来たのに他の貴族子女と遊びもせず、ここで本を読むだけでつまらなくないか?」


「なぁんや、やっぱり勉強は"つまらない"と思ってるから嫌いやねんな!」


「違う。好き嫌いの問題ではなく、必要な事だ」


「へー。流石王子様は偉いなぁ。私は他の子と遊ぶより、ここで本を読んだり殿下に色々教えて貰う方が楽しいからやけど」


「!」


 今まで机の上にしか視線を向けなかったエドワード王子が今日始めてディアナをまじまじと見つめます。しかし本を読みながら返答し、しかも今は別の事を考えていたディアナはその事に気づいていません。


(だって王都の貴族の子て、みんな感じ悪いもん。私の喋り方カンサイ弁がオカシイて嗤ったり、自分で稼ごうとするなんて頭がオカシイ、それより新しいドレスや髪飾りも買わないの? ~みたいな事言うて!)


「……殿下。領民や国民から税金で得たお金を自分の贅沢のためだけに使うんと、巧く活かして増やしたり国を豊かにするんやったらどっちがええ?」


「なんだそれは。新手のなぞなぞか? どう考えても後者だろう」


「うん。そやね」

(殿下はあの子達とは違うから一緒にいて嫌な感じはせえへん。……まぁ、いっつも怒っとるみたいな顔やけど)


「?」


「失礼致します」


 王子がディアナの言葉の意味がわからず首を傾げた所へ、王宮の侍女がお茶のセットを持って入ってきました。美しい手つきで3つのカップにお茶を入れ、王子の指示を待ちます。


「……手前の」


 侍女は手前のカップに入った紅茶をぐっと飲み干しました。残りのカップの内ひとつを手にし、また指示を待ちます。


「それはアキンドー公爵令嬢に」


 それをディアナの前に置き、最後のひとつのカップを手に取り近づく侍女に王子が声をかけます。


「ああ、それもお前が飲んでみせろ」


「!」


 思わずディアナが侍女を見ると、真っ青になって震え出しています。カップがカタカタと音を立て、中の紅茶も溢れそうです。

 そんな様子を見ても顔色ひとつ変えず、むしろ余裕の笑みを口元に浮かべるエドワード王子。


「どうした? 飲めないのか?――――毒でも仕込んだか」


 カップを取り落としガチャンと床で派手な音を立てた次の瞬間には、侍女は部屋付きの侍従や護衛達によって取り押さえられていました。

 床に這わされた格好の女は、王子を睨み付けながら叫びます。


「やはり悪魔の子だわ! その烏のような禍々しい髪!! この国の王子には相応しくな……!」


 これ以上は口を塞がれ、何も言えなくなった侍女は拘束され引きずられていきます。目の前で起こった出来事にディアナは怯え、思わずドロランダのスカートを握りしめて抱きついていました。


「ははは。悪魔の子、ねえ……。どうせ金で買収されたくせに、悪魔側に立ってるのはどっちなんだか」


 と、面白そうに言う王子の顔を見て、ディアナはハッとしました。

 王子はディアナの前のカップを指差します。


だからお前を巻き込むような事はしないだろうが、念のためそれも飲むな。代わりを用意させる」


「殿下……」


「お前の侍女は優秀だな。あの女が最後のカップを持った時にいち早く見抜き、僕に手の動きで『飲むな』と伝えたのはその者だ」


「ドロランダが?」


 ディアナが涙目で見上げると、侍女が優しく頭を撫でてくれました。


「余計なことだとは思ったのですが……殿下に万が一の事があってはなりませんので」


「流石はアキンドー公爵家の者だ。敵に回したくはないな」


「!!」


 ディアナはカッと頭に血が上りました。王子のその物言いが、まるでこの状況を楽しむようだったからです。


「何言うてんの……敵て! 私やドロランダが殿下の敵になるわけないやないの!」


「お前やヘリオスがそうでも公爵やその配下はわからん。それに昔のカンサイ国についていた外様の貴族達が、お前達を勝手に反王家の旗印に担ぎ上げる可能性だってあるんだぞ?……もっと言えば、今見たように僕は王宮の中にも敵がいるんだ。奴らと公爵か反王家が手を結べば、僕などあっという間に潰されるだろうな」


「……なんで、そない」


(なんでそないに面白そうに言うねん。……殿下がなに考えてんのか全然わからへん……)


 ディアナはドロランダのスカートを更にぎゅうと握りました。その可愛らしい手が白くなって震えるほど力が入っています。

 一方の王子はディアナの言葉を、なぜそんな事をする人間が王宮の中に居るのか、という意味に取ったようです。


「なんで?……さあ。僕が前王妃の息子だから……かな?」


「!!」

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