第22話 井の中の蛙

       バンッ!!


 店の窓ガラスに突然、大人の拳サイズの石が投げつけられた。もちろん神のジイさんのおかげで窓ガラスには傷一つなく、石は投げた者へと跳ね返って飛んでいきゴンッという鈍い音とともに、「ぎぇっ」という声が聞こえた。


俺は原因を確認するため石が投げつけられた店の窓から外を覗く。するとそこには会った事もない体格のいい犬の獣人が地面に尻もちをつき額を手で押さえながら驚いた表情でこちらを見ていた。


「な、なんだこりゃ!? なんで割れねぇんだ!!? しかも石まで跳ね返ってきやがったぞ・・・・???」


犬獣人がなぜ俺の店に石を投げたのかはわからないが、ライラからニナと俺はこのまま店内で待機しているようにと言われたので犬獣人のことはライラに任せた。正直、男としては女性の背に隠れて守ってもらうというのはどうかと思ったが、ここは俺がいた世界とは違うのだと自分に言い聞かせあまり深く考えないようにする。


この村へ来る以前にも、場所代を払えばこの店の用心棒をしてやるなどと言って因縁をつけてきたチンピラがいたのを思い出した。その時はたまたま店にいたヴィエラが追い払ってくれたのだが、3人の男相手ではヴィエラも分が悪いのではと思った俺は、ヴィエラを手伝おうと休憩所から持ち出したフライパンを手に持ち、頭には鍋をかぶって参戦したものだ。


だがすぐに、「マスターさんは弱いんだから無理しなくていいわよ」などとヴィエラに軽くあしらわれてしまった俺は、頭に鍋をかぶり右手にフライパンを持った何とも珍奇な恰好でヴィエラがチンピラ3人を叩きのめす数分の間、呆然と立ち尽くして見ていることしかできなかった。


   ―――――あの獣人もその手の類だろうか?


 そんなことを考えていると、ライラが犬獣人の首根っこを掴んで店の中へと連れて来た。犬獣人はライラにこっぴどくやられたようで、目には痣を作り、顔は腫れ完全に戦意喪失といった感じで引きずられていた。方やライラの方はというと、ケガをするどころか息一つ切れておらず何事もなかったかのようにケロッとしている。


この犬獣人も店内に入れたという事は俺たちを害する気も無くなったのだろう。まぁ、これだけこっぴどくやられれば誰だってそんなものは無くなる。


ライラは腰に手を当て犬獣人を威圧するように怒っている。ヴィエラの方はライラが対応していれば自分は必要ないとでも言わんばかりに我関せずを貫き、俺にハニーコールドのおかわりを要求していた。


「そなた、なぜあのような事をしたのだ? マスター殿の店でなかったらケガ人も出ていたかも知れぬのだぞ!?」


そんなライラの怒気を含んだ声が聞こえると、犬獣人は「ヒィッ」と怯え大きな体をニナよりも小さくしていた。


「お店の窓は全部私が拭いていますです! 壊したり傷つけたりするのはいけないことなのですよ?」


「あ゛ぁ゛?」


ニナがライラの真似をして腰に手を当てながら頬を膨らませ犬獣人を注意するが、逆に犬獣人に凄まれてしまいニナは慌ててライラの背中に隠れる。


怯えたニナの方を向き「大丈夫だニナ」と言って頭を撫でるライラが犬獣人に背を向ける。その隙をついて逃げようとした犬獣人をカウンター席に座ってハニーコールドとガトーショコラを堪能しているヴィエラが殺気を込めて睨みつけると、犬獣人は空気が抜けた風船のようにしなしなと床に座り込んでしまった。


「では改めて聞こう。なぜあのようなことをしたのだ?」


「・・・・人族が俺たちの縄張りで店なんか出してんじゃねぇよ」


    ―――――やっぱりそれか。


何となく予想はついていたが、それに関しては俺にだって言い分はある。


「待ってくれ。俺たちはちゃんと商業ギルドの許可を得て営業しているんだぞ!?」


「ふん、そんなもの知った事か!! ここは俺たちの縄張りだ。人族共は出て行け!!! どうしてもここで店をやりたいなら俺に場所代を払え!!!」


獣区の族長に払えとかいうのであればまだわかるが、何故コイツに金を払わなければならないのだろう。

    ――――そもそもコイツはどちら様だよ? 


「何故そなたに金を払う必要があるのだ? 見たところ、そなたは町のゴロツキといったところだろう?」


「この辺りは俺が仕切ってる俺の縄張りだ! だからお前らは俺に金を払うのが筋ってものだろうが!!」


呆れた言い分で俺もライラも言葉が出なかった。つまりコイツとこの場所で俺たちが店をやることの法的な因果関係は一切なく、ただ腕っぷしが強いという理由でこの辺を仕切っていただけのようだ。


ようするに村の、それもごく一部にだけ顔の知れた不良のようなものなのだろう。地元で腕自慢の不良が突然現れた俺の店に目を付け金をせしめようとしたが、自分より強い奴に完膚なきまでに叩きのめされてしまい、井の中の蛙は大海を知ることとなったようだ。


「くだらぬことをしてないで働けばよいであろう? そなたなら冒険者としてやっていけるはずだ」


「けっ、そんなもんやるより弱ぇ奴らから奪った方が楽に稼げるだろが! 弱ぇ奴は奪われたって文句は言えねぇんだからな!!」


    ―――――とんでもないクズだ。


「それいいわね!?」


カウンター席で俺たちの会話を聞いていたヴィエラがこちらを向いて笑って犬獣人に同意する。


「ヴィ、ヴィエラ殿?」


「何言ってますですか!? ダメに決まっていますですよ!!」


「へ、へへへっ そうだろ? ネェちゃんはわかってるじゃねぇか!」


ヴィエラは椅子から立ち上がるとゆっくり俺たちの方へと向かってくる。その顔は笑っているがどこか冷たく感じた。


ヴィエラは俺たちに囲まれて床に座り込んでしまっている犬獣人にそっと手を差し伸べる。


「へへ、ネェちゃん俺と組むか? ネェちゃんなら俺の女にしてやっても・・・」


そこまで言うと犬獣人の体は凄い勢いで壁に叩きつけられる。どうやらヴィエラが殴り飛ばしたようだが、俺にはいつヴィエラが殴ったのか全然わからなかった。


「テメェ、いきなり何しやがる!?」


「何を言っているの? 弱い奴は奪われても文句は言えないのでしょ? だから私はアンタから『命を奪う』ことにしたの」


「なっ!?」


その後、ヴィエラの平手打ちが一発、今度は犬獣人の右頬を張り倒すとライラだけではなくヴィエラにもかなわないと悟った犬獣人は、床に額を擦りつけながら土下座をしていた。


俺はこの世界にも土下座があるのだな、などとくだらない事に感心し、後の事はライラやヴィエラに任せカウンターの中へと戻った。


それから数分経ってライラやヴィエラがカウンター席に戻って来ると、犬獣人も2人に殴られ痛々しく腫れあがった顔でヘラヘラ笑いながらついてきた。


獣人族は自分より強い者に付き従う本能のようなものがあるらしく、ライラやヴィエラのことを『姉(あね)さん』と呼びニナの事を『お嬢』と呼んでいた。


本当にこの世界は力こそ正義の脳筋ワールドだ。



    ぐるるるるるるぅぅぅぅぅ・・・・・


犬獣人の腹が鳴る。


「こ、これは失礼しました。みっともねぇ所を見せちまった」


「あなた、お腹すいてるの?」


「へ、へぇ。何分ここ最近道端の草や人区で出た残飯を漁って食いつないでいたもので・・・・」


どうやらこの犬獣人もまともな生活はしていないようだ。自分の縄張りだと主張するならこの辺に住む人たちから金やら食料を巻き上げて生活していたのではないかとライラが聞くと、「獣区の同胞はみんな日々食うのに困っている。そんな奴らから奪う事はできない」などとチンピラとは思えない発言が飛び出した。


獣人は仲間意識が強く同胞を見捨てないとは聞いていたが、さっきまで『弱い奴は奪われても文句が言えない』などと言って凄んでいたのは何だったんだろう?


「あ、あれは人族だけっすよ。同胞から奪うなんてのは俺にはできやせん」


心なしか喋り方までさっきとは違うような気がするが、スルーしてやるのが優しさだろう。


「人族だけといっても獣区にわざわざ住むような変わり者の人族などいないだろう?」


ライラのその言葉を聞いてライラ以外の全員が俺を見た。

   ――――変わり者で悪かったな。


「へぇ、ですから人族の店が俺の縄張りにできたと聞き急いで奪いに来たんです。そこにまさか姉さんたちのようなお人たちがいるとも知らず・・・・」


「私もいますです! 私だってお店を守っているのですよ?」


「もちろんです、お嬢。お嬢のさっきのお説教には俺も恐ろしくて冷や汗出ましたぜ」


「えへへへへぇ」


ニナはもう少し人を疑う事を覚えた方がいいかもしれない。その辺は正直者で真っ直ぐなライラには教えられそうにないから腹に一物抱えていそうなヴィエラにでも相談してみよう。


それから俺は腹を減らしているという犬獣人にパンケーキやガトーショコラを出した。甘いものよりちゃんとした飯を食べるかと聞いたのだが、彼から返って来た言葉は「姉さんたちと同じものを」というものだった。


また、男の名前はピピアという何ともチンピラらしくない可愛らしい名前だが、俺はこのピピアを少し気に入っていた。


彼はなんと、俺が出したブラックコーヒーをコクがあって美味いと言い飲んだのだ。ライラやヴィエラからは「変わり者の偏食家」などと言われていたが、この世界に来て2人目のコーヒー理解者に俺はすっかり気を良くしていた。


だが、ピピアはコーヒーを飲み干すと、出されたパンケーキやガトーショコラには一切手を付けずにいたのだ。俺は彼が遠慮をしているのだと思い食べるように勧めたのだが、どうやらそうではなく家で自分の帰りを待っている奥さんと子供に持って帰りたいのだと言った。


自分が生きていくだけでも精一杯だろうに、まさか彼に奥さんと子供がいるとは思わなかった。嫁や子供にはいつも苦労させているからと申し訳なさそうに言うピピアを見ていると俺は居た堪れない気持ちになり、菓子やパンなどをタッパーに入れピピアに渡す。


「アニキ、こりゃあ一体・・・・」


  ――――アニキになったつもりはない。


「これは奥さんと子供用だよ。だから気にせず今目の前にある菓子は全部食べちゃってくれ、捨てるの勿体ないしな」


「すまねぇ、すまねぇ・・・・。甘味屋のアニキ、本当にすまねぇ」


ピピアは目に涙を浮かべながらガトーショコラとパンケーキを夢中で頬張っていた。というか、ここは甘味屋ではない。


   ―――――いや、店名こそ甘味屋で間違ってはいないのだが。


自分用に出されたパンケーキとガトーショコラを食べきったピピアは先ほど飲み干して空になったグラスに再び注がれたアイスコーヒーをじっと見つめると、何か覚悟を決めたようにバッと手に取り目を瞑りながら一気に飲み干す。


さっきはコーヒーを美味いと褒めてくれたのだが、あれはお世辞だったのだろうか?


「おいおい、口に合わなかったのなら無理に飲まなくても大丈夫だぞ?」


「いえ口に合わねぇなんてことはないのですが、どうにもこのコォシィって野郎のどす黒い色を見ると飲むのを躊躇しちまって・・・・」  


「じゃあこれを入れてみるといいよ」


そう言って俺は日本で市販されているポーションミルクをピピアのコーヒーに入れ掻き混ぜる。ポーションミルクは『どす黒いコーヒー』と混ざり見た目も味もマイルドに変えていく。


「おお、これなら見た目も怖くねぇ」


    ――――いや怖かったのかよ。


ピピアは出された物を全て食べ終わると、嫁と子供にも俺たちを紹介したいと言い出した。たいしたことをしたわけではないから気にするなと言ったのだが、頼み込むピピアに負け、結局俺たち4人はその日の営業を終え店を閉めると彼の家へと向かうこととなったのだった。

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