第9話 ヴィエラからの提案

「マスターさん。ちょっと私から提案があるのだけれども・・・・」


 カウンター席に座りガトーショコラと紅茶のセットを食べているヴィエラが真剣な顔で俺に話しかけて来た。彼女は先日、一人で俺の店に訪れてからというものほぼ毎日のように通い今やライラと共にうちの店の常連客となっていた。また、ヴィエラが俺の店を同僚たちにも紹介してくれたようで今やこの店はヴィエラの仕事仲間の女性たちで賑わっていた。


正直俺は彼女が何の仕事をしているのか知らないし聞くつもりもない。なぜならそれは俺が勝手に師匠と仰いでいる喫茶『とりあえず』のマスターからの教えである『俺たちの仕事はお客さんに美味いコーヒーを提供し満足して帰ってもらうこと』を徹底しているからだ。


だが、この世界にはそもそもコーヒーがないため美味いコーヒーを提供しても満足してもらえることなど今のところ一度も無い。それどころか『泥をお湯で溶かしたような飲み物』などという不名誉なレッテルを貼られてしまいほとんどの客から敬遠されている。


そんな俺の店だが、連日来店しては菓子やケーキに舌鼓を打っているヴィエラやヴィエラの仲間たちのおかげでそれなりに忙しい日々を送っている。まぁ、コーヒーを売りにしているくせにコーヒー自体は全然売れないうちの店ではあるのだが、菓子やスイーツなどといった甘味は大好評なのだ。今目の前でガトーショコラを頬張っているヴィエラも俺の店の甘味に魅了された客の一人で彼女の場合、店の開店と同時に訪れるとほぼ毎日ガトーショコラを最低でも3皿は平らげてしまうほどだ。


俺も甘いものは好きだが毎日ガトーショコラを食べる気にはなれない。


「ねぇマスターさん、聞いてる?」


「あ、失礼しました。ちょっと考え事をしていて・・・・。それで提案とは?」


「私ね思うのよ・・・モグモグ マスターさんの出す甘味は・・・モグモグ たしかに絶品だわ・・・もぐもぐ」


食うか喋るかどっちかにしてほしいと思ったが俺は黙ってヴィエラの話を聞く。


「だからね・・・・もぐもぐ 甘味一本でやっていくのはどうかしら?  もぐもぐ」


とんでもないことを言いだした。たしかにヴィエラのおかげで今では町を歩いていると俺に声をかけて挨拶してくれる人も増えた。だが、俺に声をかけてくれる町の人たちは口を揃えて俺のことを『甘味屋』と呼ぶのだ。


俺は甘味屋ではなく喫茶店のマスターであって、呼ぶならせめてコーヒー屋と呼んでもらいたいものだ。彼女たちが毎日食べに来てくれる甘味は謂わばコーヒーのオマケのような物なのだから。少し前、ニナと共にこの世界の文字を学ぶため冒険者ギルドへ行った時も冒険者たちに『甘味屋』と呼ばれこの町では自分が甘味屋で定着してしまったのだなと思い知らされ愕然としたものだ。


「いえいえ、それはできません。私の店はあくまでコーヒーがメインでございますので。それに甘い物はコーヒーと一緒に食べるのがいいのですよ」


ヴィエラは口に運ぼうとしたガトーショコラの刺さったフォークを持つ手を止める。


「なぜかしら? あんな泥湯と一緒に食べてしまってはせっかくの甘味が損なわれると思うのだけれど・・・」


きっとこの人に悪気はないのだろう。コーヒー1杯作るのにどれだけ手間がかかっているか見せてやりたくなった。だが今はコーヒーと甘味についての説明が先だ。


「コーヒーというのはヴィエラさんのような甘党の大敵である血糖値の上昇を抑えて脂肪の燃焼を促進してくれるのです。まぁ簡単に言えばコーヒーにはダイエット効果や老化防止、それに肉体の疲労回復効果もあるなんてことが言われてますね」


「え!? それ本当!? ダイエットや老化防止なんてまさに私達のためにあるような飲み物じゃない!!」


「私も医者ではないのではっきりとはわかりませんが、私がいた国ではそういう研究結果が発表されてます」


「・・・・」


突然俯きヴィエラは何やら真剣な顔で1~2分ほど考えると興奮したのか俺に向かって早口で捲し立てるように言った。



「ちょっと! それ先に言いなさいよ!! マスターさん、コーヒー! コーヒーをいただくわ!!! 大至急!!! どんどん出してちょうだい!!!」



俺はヴィエラの注文を受けてコーヒーを出す。どうやらダイエット効果とか老化防止なんて言葉が彼女に刺さったようだ。だが、それはあくまで無糖のブラックで飲んだ場合の話だろう。 俺がコーヒーを出すとヴィエラはカウンターに置いてあった砂糖をザバザバとコーヒーに入れグイッと一気に飲み干した。


砂糖を入れているのだ、彼女の言う泥水のような味はしないはずだがあまりにも苦くて黒い不気味な飲み物に対して彼女の頭には泥水と刷り込まれてしまったのかもしれない。その後、彼女に砂糖を入れてしまっては意味がないことを伝えると、彼女は再びブラックを注文し苦い薬でも飲むかのように目をギュッと瞑り一気に飲み干していた。


   ―――――ダイエットの薬じゃないんだよ・・・・。





「マスター殿、今日も世話になる! さっそくだがパンケーキだ!!!」


勢いよく開いた入口の扉から依頼を終え店に立ち寄ったライラと、すっかりライラの弟子が板についたニナが入って来た。ヴィエラが2人を呼ぶように笑顔で手を振るとライラがヴィエラの隣に、そしてそのライラの隣にニナが座った。どうやらこの3人は仲が良いらしくさっきまでガトーショコラに夢中だったヴィエラも食べる手を止めてすっかり2人と話し込んでいる。


「そうなのだ、私もマスター殿には甘味処をやるように提案したのだが頑として聞かぬのだよ。マスター殿はどうやら私達が思う以上にこの泥水にご執心のようだぞヴィエラ殿、私のみならずヴィエラ殿のような綺麗な女性から言われてもダメなのだからな」


困り顔で言うライラは別にお世辞を言ったわけではないがヴィエラはライラから綺麗な女性と言われたことが満更でもなかったようで「ふふっ」と笑うと「困ったわね」と言いながら空になったカップを俺に差し出し「紅茶をちょうだい」と言った。


「私もライラちゃんと同じぱんけぇきを注文するますですよ! 今日はライラちゃんと一緒に依頼をこなしたですから報酬もたくさんもらえたです。だからお腹一杯贅沢できますですよ!!」


「あらニナちゃん。いつもマスターさんからお腹一杯食べさせてもらってないの?」


「あ、ますたぁはいつも私にお腹一杯食べさせてくれますですが今日はもっとお腹一杯食べますですよ!!」


「あらあら、お腹壊さないようにね!」


「はいです。ヴィエラちゃんも『がとぉしょこら』食べ過ぎるとお腹壊しますですから気を付けるのですよ!」


「うっ・・・・、気を付けます」


ヴィエラがニナの食べ過ぎを注意するつもりが逆に諭されてしまったようだ。3人に注文の品を出すと店内のテーブル席に座っている他の客からも注文の呼び出しがかかった。他の客もここを甘味処だと思っているのかパンケーキやチョコレートケーキ、スコーンにタルトにフルーツパフェといった甘味ばかり注文が入った。


「甘味屋さん! こっちにチーズタルト2つ、大至急よ!!」


「ちょっと甘味屋さん、紅茶もう一杯もらえるかしら!」


「甘味屋さん、こっちの砂糖なくなっちゃったわ! 補充していただけるかしら」


 店の客は女性ばかりだが彼女たちは甘い物にどん欲である。そのうち今着ている服が着れなくなって腹に付いた肉に焦るのが目に浮かぶようだ。そんな彼女たちからの注文ラッシュを慌ただしく捌きながら働く俺を見たニナは自分が注文したパンケーキを慌てて両手で口に放り込むと口をもぐもぐさせながら立ち上がり、カウンターの中にある蛇口を捻り手を洗う。


そして、制服ができるまではこれを使ってくれと言ってニナに渡した前掛けを口いっぱいに含んだパンケーキを飲み込むのに苦戦しながら付け店の手伝いをしてくれた。


ニナにはまだ難しいと思っていた接客も、ニナはぎこちないながらもしっかりこなし注文の品を間違えることなく客のテーブルへと運んでいる。この世界には獣人に対して偏見や差別があると聞いていたためニナが嫌な思いをしないようなるべく接客はやらせなかったのだが、そんなものはどうやら俺の杞憂に終わったようだ。


ニナは今やこの店のアイドル、いやマスコットと言った方がしっくりくるだろうか、とにかくニナはお客さんたちからも可愛がってもらっていたので俺としても一安心だった。


ニナを心配そうに見守る俺を見たライラが「すっかり親だなマスター殿は」などと言っていたが俺は聞こえないふりをしてやり過ごす。店の中は客の笑い声や笑顔があふれ、賑やかながらも穏やかでゆったりとした時間が流れているように感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る