第7話 開店準備

    ――――つい出し過ぎてしまった。


 俺の目の前にはケーキやスコーン、ガトーショコラにプリンにマフィンにマカロンに・・・・と、いろいろな菓子が並べられていた。決してコーヒーを売りにした喫茶店という趣旨を変更したわけではない。


これはまぁなんというか・・・所謂『保険』だ。


この世界にはコーヒーというものがない。そんな世界の人たちからすればコーヒーなんてものは泥を土で溶かしたような飲み物だろう。俺がいくら優秀なバリスタであったとしてもそんな人たちを初見で納得させるなんてことはまず無理だ。


それならば、しばらくはコーヒー以外にも力を入れなければならないのではないだろうかと俺は考え、初めて俺の店に来たライラが夢中になって結局5皿もおかわりした甘味とコーヒー以外にもジュースやいろいろなお茶を提供しつつコーヒーを布教していくつもりだ。


昔、学生時代にバイトをしていた珈琲店『とりあえず』のマスターであるロクさんが、「コーヒーの好みや楽しみ方は人それぞれ。多様性を理解したうえでコーヒーの個性を100%引き出し、技術で客の注文に応えるのが一流というものだ」と言っていた。ならばカフェオレやカフェモカから徐々にお客の口を慣らしていくのもいいかもしれない。


そしていずれは俺の作るエスプレッソをこの世界の人たちにじっくりと味わってもらうつもりだ。なにせエスプレッソほどバリスタの腕がものをいうコーヒーはないと俺は確信しているからだ。現に俺は未だにロクさんのエスプレッソを超えるコーヒーに出会った事がない。


だがまさかコーヒーがない世界で喫茶店をやるなどとは思わなかったからその辺の経営戦略など一切考えてなかったため手探りで一つ一つ課題をクリアしていくしかないだろう。俺はふと「こんな状況でロクさんならどうしただろう」などと一人考えていると店の玄関の方から声がした。



「ますたぁ、お店の前のおそうじ終わったよです。次は何やるますですか?」


この相変わらず変な言葉を喋っているのは新しくうちの従業員となったニナだ。ニナは冒険者ギルドで無事冒険者としての登録を済ませると、さっそくライラと共に依頼された薬草の採取を成功させ初任務をやり遂げたらしい。


町の外へと薬草を取りに行ったと聞いた時は少し心配だったが、外と言ってもどうやら町のすぐ近くで採取可能な薬草だったようで魔物と遭遇する事もなく無事に帰って来た。ニナ自身は町の外に出ると必ず魔物に遭遇すると思っていたようで、手に持った木の棒を離さずキョロキョロと辺りを警戒していたようだ。


手が塞がってしまっては薬草の採取などできなかったのではないかと聞いたところ、右手に木の棒を持ち左手で薬草を採取していたとライラが笑いながら報告してくれた。町の近くで、しかもライラが一緒にいるのにも関わらずニナがそこまで魔物を警戒するのは俺がゴブリンに殺されかけた事がニナのトラウマになってしまっているのかもしれないなと思い少し申し訳なく感じた。


ニナは冒険者となったのはいいが寝泊りするところがないとのことだったので俺がうちの店の休憩所を使えばいいと言うとニナは泊めてもらう代わりに給金はいらないから暇な時はうちで働きたいと申し出た。俺の店なんてこの先どうなるかわからないが手伝ってもらえるならありがたかったのでその条件でニナと契約しそして今ニナには店の前の通りを掃除してもらっていたのだ。


商業ギルドに出店の許可を貰ったはいいが良い場所はだいたい他の商人たちの店に取られてしまい俺の店は町はずれの酒場や娼館、それに連れ込み宿なんかが立ち並ぶ場所の一角しか残っていなかった。あまりいい環境とはいえないが生活がかかっている俺としては背に腹は代えられず渋々その場所でスキルを使い店を出したのだ。


ニナやライラの手前そんな所に店を出すのは少し気が引けたが、そんなことを2人とも全然気にしていなかったようで俺の出店を祝ってくれていた。



「お疲れ。今は特にやることないからこっちきて休んでな。午後からはライラさんと剣術の稽古なんだろ?」


俺はオレンジジュースをカウンター席に出しニナを呼んで休憩するようにと伝えるとニナは駆け足でジュースが用意されているカウンター席へ来ると椅子に座りオレンジジュースをゴクゴクと飲んだ。


オレンジジュースが入ったコップにはストローを差しておいたのだが使い方がわからなかったのかストローを無視して直接コップに口を付けて飲んでいた。


「わぁ、これ美味しい! これもコーヒーなのですますか???」


ニナには俺に対して敬語は必要ないと言っているのだが、どうやら前の主人から相当厳しく刷り込まれたようで俺に対しても変わらず変な敬語を使っていた。まぁ無理に変える事もないだろうと思いほっとくことにした。


「それはオレンジジュースだよ。コーヒーみたいに黒くもなければ苦くもないだろ?」


「そうなのですね。ますたぁが出す飲み物は全部コーヒーなのだと思いましたのですよ。いつか私もコーヒーを飲めるようになるますですよ、ますたぁ」


嬉しい事を言ってくれる。だが、子供にコーヒーを飲ませるのは体に良くないと何かに書いてあった。小学生の時に俺は砂糖&ミルク入りコーヒーの魅力にハマりがぶ飲みしてその夜眠れなくなり両親からめちゃくちゃ怒られたという苦い記憶もあるし、ニナには15歳になるまでコーヒーは我慢してもらおう。


15歳というのはこの世界で成人として認められる年のようだ。15歳になり教会での洗礼を受けた者を成人とみなし商業ギルドでは店を持つことを許され、冒険者ギルドでは高ランクの討伐依頼や他のパーティと協力して行う大型の魔物討伐への参加も認められるようだ。


この町ではそれほどいないようだが、大きな町や都なんかに行くとニナと同じくらいの年の親のいない子たちや職を失った人たちが路上で生活しているらしく、この町では町を管理する領主とギルドが協力し冒険者ギルドでは8歳以上の子供冒険者を認めたり職を失った人たちへの職業斡旋なども行い、商業ギルドでは商人を目指す子供と商会をつなぎ将来の大商人を育成すべく徒弟制度を設け孤児たちを受け入れ、また職を失った者たちにも商人と連携して職を斡旋し救済しているようだ。


領主だの貴族だの政治家だのは私腹を肥やし民から集めた税金を自分の金だと勘違いし湯水のごとく使うことしかできない無能ばかりだと思っていたがここの町の領主は立派な人のようだ。



「さっそく来たぞマスター殿! とりあえずパンケーキと紅茶を大至急だ!!」


ハァハァと息を切らせたライラが凄い勢いで店に飛び込んできた。ニナと一緒に請け負ったギルドの依頼を終わらせた後もニナをここまで送るとすぐに仕事がまだ残っているとかで冒険者ギルドへと引き返して行ったが、どうやらその仕事も終わりケーキを食べたくて慌ててここへと戻って来たようだ。


「いらっしゃいませ。ごゆっくりおくつろぎください」


俺は暖かいおしぼりを添えパンケーキと紅茶のセットをカウンター席に座ってオレンジジュースを飲んでいるニナの隣に座ったライラに出すと店の外へと出て『営業中』の札を店の玄関にかけ店の中へと戻る。


    ―――――あ、そうだ忘れてた。


俺は再び店の外に出ると立て看板を玄関の前に置く。立て看板にはこちらの世界の文字でこう書かれていた。もちろん書いたのはライラだ。

 

 

 『当店の自慢は日本という国で愛されているコーヒーとケーキのセットです』

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