吸血鬼は流れる水が嫌い 話外

紫光なる輝きの幸せを

若子

 もう一度、一目会いたくて生汚いぎたく生にしがみ付いて長らえさせてきた命もあと幾許いくばくか。

 長く生きたことで子供達には迷惑をかけてしまって申し訳ないと思う。

 それでももう少しだけ。

 今は見ることもできない首にあるはずの星の黒子ほくろが微かに繋がっていると想いたい。

 一方的な想いであっても間際には会いに来てくれる、そう願っている。



 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 東京へ帰る深夜バスの中で夜景を見ながら考える。

 雨の中を泣き叫んで皮膚が破れるほど門を叩いて、今は涙も枯れ果てて手は感覚が無い。

 濡れた服は体に張り付いて、漏れ出た精液と破瓜のちで汚れた下着が気持ち悪い

 精一杯の求婚の言葉を誤魔化されたと悲観して。御屋敷を飛び出して待ち構えるようにいた良造に身を委ねてしまったのはなんて浅はかだったのだろう。

 しとねで目覚めた時にもしかしたら奥の方様はあの言葉の意味を知らなかったのではないかと思い至った。殆ど俗世と関わらず私のお古の教科書で現代史を学び始めたなかりなのだから。

 慌てて戻ったものの御屋敷の前のそこに見知った奥の方様の御姿は無かった。

 怒りを体現したかのような怒気凄まじく嫉妬かと一瞬嬉しく思った矢先にリュックを目の前に投げ捨てられた。

 贈ろうと用意したヴァレンタインデーのハートチョコレートの赤い包みがリュックから飛び出して割れた。

 それはまるで私の心臓の様に見え、嫉妬では無いく怒りだと理解した。

 聞いたことも無い冷たい言葉の刃で切られて打ち震えていると奥の方様の姿が消えて門が閉ざされた。

 泣いて許しを乞うても雨が降り始めても二度と門が開くことは無かった。

 ああ、東京に戻ったら二人で暮らそうと仮契約したアパートの取り消しに行かないと。

 ぼおっと考えているうちに東京に戻ってしまった。

 あちこちの痛みと重い身体を引きずって家まで辿りつくと家の近くで良造が待ち構えていた。

 先に着いてるのは特急か何かで来たからだろう。国鉄職員はお大臣だ。

「ちゃんと責任は……」

 何か思うところがあったか良造は黙ってうつむき、私が横を通り過ぎてからもう一度口を開いた。

「子供の頃から好きだった! 若子、俺と結婚してくれ!!」

 苛めっ子が何を今更。

 お前のせいで恋敗れたと言うのに。

 違う。そうじゃない。

 悪いのは流された自分だと頭では分かっていても良造がいなければと感情が追い付かない。

 でも好きだと言い直した事に些かの好感を持った私が馬鹿だった。

「せっかくあの化け物から――」

 奥の方様を化け物呼ばわりするとは。

 私は、さらに喚く良造を無視して家路に就いた。

 その後、許してもらおうと、せめてお顔だけでもと何度もお屋敷を訪ねたけれど物音一つせず人気も無かった。

 村長もここ最近は御姿を見ることも無く、もしかすると他に移り住んだのかもしれないと言った。

 失意のうちに東京へ戻ると又良造が待ち伏せしていた。

 あれから良造は何度も待ち伏せしている。

 その都度求婚されたが無視した。


 そうして一か月程して気付く。

 月の物が来ない。まさか、あれで……

 遅れているだけだと自分に言い聞かせて、さらに半月もすると酷い吐き気に襲われて妊娠を確信した。

 そんな私に同じ女性の母が妊娠に気付かない筈も無く

「お前がSでもあのお方が相手だから納得していたのに! ここ最近、お屋敷に行く様子がないと思ったらそういうことかい。とんだ阿婆擦あばずれ育ったもんだよ」

 子供の頃に自慰を見咎められて以来に母に頬を叩かれ、箒で散々殴られた。

 当時で言えば母の怒りは当然だった。

 女性は貞淑で清らかである事が当然であり、嫁入り前の娘が妊娠するなど破廉恥はれんちで恥ずべき行為だった。

 もし父が止めてくれなければ、そのまま殺されていたか放り出されて路頭に迷っていたかもしれない。

「相手はどこの馬の骨だい!」

 母に追及されても名前は出さなかった。責任は自分にあって相手に押し付ける物ではないから。

「土屋んとこの良造だろ」

 母の言葉に思わず息を飲んだ。言わなくても母は知っていた。

「あれだけ道端で派手に求婚しているんだ。近所で噂になってるんだよ」

 母の言う通りだった。

 いくら無視しようと良造は、必ず若子と名前を読んで求婚した。聞いている人がいない訳がない。


 それからそう日を置かず良造が呼び出された。

「責任を取るつもりでプロポーズしています。若子さんを俺に下さい」

 隠すことなく堂々と言ったスーツ姿の良造は両親に頭を下げた。

 安どした様子の両親を余所に

「私は奥の方様を愛しています」

 私ははっきりと言った。

「失恋したと思って流されたのは過ちで私の責任です。それに子供の頃から苛めっ子だった貴方を好きではありません」

「若子!!」

 責任を取ると言う良造を前に否定的な言葉を並べれば母が怒るのは当然だ。

 叩かれる覚悟もしていたが、その手を止めたのは良造だった。

「すみません、お母さん。続きを聞きたいのでご辛抱ください。若子、続きを」

「仮に結婚しても好きになることはあっても愛することはありません。それは他の方であっても同じです。そんな私と結婚したいですか?」

「したい」

 私が酷い事を言っているにも関わらず、良造は即答した。

「私は子供達に奥の方様の話をしますよ」

「それは…嫌だが……俺はいつか若子に愛されるようになってみせる」

 思っていたより良造は良い意味で一途なおバカさんだった。

 正直に言って私に打算が無かったとは言えば噓になる。

 現実は厳しい。

 普通に考えれば女手一つで私生児を育てるのはまず無理だ。世間からも白い目で見られるだろう。

それでも家の為に中卒で働いて来たことを思えば頑張れる。

 奥の方様に会う為の頑張りを今度はお腹の子供へ向けるだけ。

 実際に子育てをして苦労を知るまで私はどうとでもなると楽観的に考えていたのだった。

 そして私は妊娠したと確信した時に感じたのだ。

(これが命を繋ぐと言うこと)

 だと。

 話から察するに奥の方様は平安より前から生きている。

 対して人の命は短い。

 でも命を繋いでいけば、そうしていれば奥の方様が孤独から解放される日が来る。

 私は奥の方様には嫌われてしまったけれど、子に孫に奥の方様の話を繋いでいけば何時か誰かが――血縁でなくても良い――御傍に居られるのではないかと。




 私は良造と結婚した。

 ちょうど産めよ殖やせよと言う時代の後押しもあって八人の子を産み育てては奥の方様の話を聞かせた。私の浅慮で振られたことも。

 子供にはお母さんの、孫にはお祖母ちゃんの恋物語。

 死ぬ間際に奥の方様が来てくれると言う所だけは私の一方的な願望。

 先に逝った良造には少しだけ悪い事をしたと思うが、結婚後はその背を支えた人生だったし子供の頃の酷い苛めと何度か浮気をしたのだからトントンと言うことにしてあげよう。

 ……そろそろ考えるのも辛い。

 動かない手足と遠い耳。目もほとんど見えない閉ざされた世界で微かに声がする。

「――――ったんよ」

 辛うじて指先を動かして目を開けても姿は薄ぼんやりとしている。

 それでも奥の方様が来てくれて事だけは分かる。

 幾つかの言葉を交わして私は今でも愛していますと伝えようとして、止めた。

 もう後に繋いだのだから。

「愛…して…いましたから……」

 過去にするのが正しい伝え方だ。

 今際の際の私に奥の方様は、身の内に住まわせてくれると優しいことを言って下さる。

 最後に奥の方様のキスで愉悦を感じながら果てるのであれば本望と口を開けて舌を伸ばした。

 何十年ぶりかの奥の方様のキス。

 チクッとした感触の後に奥の方様の言う快楽けらくの波が私を襲う。

 その波に抗わず飲まれながら、私の命は消えて逝く。

 魂は吸われないように強い意志を抱いて。



 終わった。

 そう思った私の命の炎はまだ残っていたらしい。

 気づけばいつものように右側から奥の方様の首に抱き着いている。

私の姿は出会った頃に戻り、奥の方様は見知らぬ姿に変わっている。けれど姿形がちがっていても奥の方様だと全身で感じ取れた。

 残り僅かな時を名残惜しんでいると、いきなり怖気おぞけを感じて、その方向を見る。

二段ベッドの下の段に人の形をした化け物が奥の方様を視線で殺さんとばかりに睨んでいた。

 私は奥の方様に強く抱き着いて化け物を睨み返す。

 奥の方様と化け物が二言三言、もう私には分らない言葉を交わす。

 ああ、大丈夫だ。

 この化け物は奥の方様を好いている。

 ほっとしたからなのか残った魂がほどけていく。

 薄れ逝く魂を感じながら、私は奥の方様の頬に初めてした時のようにお別れのキスをする。

 さようなら、奥の方様。

 本当にお別れです。

 貴女は私の全てでした。

 奥の方様、愛しています。





 消えながら私は切に願う。

 どうか。

 どうか。

 奥の方様が幸せでありますように………

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