第4話 酔気が変える距離

「…っなのよ、そうなのよ!」


 酒も食事も進んだ。二人が選んだだけあって質の高いメニューが多く、弾む会話が後押しして、会話は一気に盛り上がるのである。


「分かる?分かるわよね!」

「ハイハイ」

「こっちもね、言いたくないの!雰囲気悪くなるのぐらい、分からない訳ないでしょ!」

「うんうん」

「だけどね、流石にね、テーブル拭いたぐらいを報告されてりゃ、業務に差し支えるのよ!」


 顔を真っ赤にしながら、河嶋さんは机に頭を突っ伏す。彼女は今、職場での愚痴を溢していた。


「こっちがああいえば、言葉がキツイだのパワハラだの…何よ、私が悪いのよ!」

「まぁ、言葉はキツイでしょうね」

「そうなのよ…違うわ!そこは否定しなさい!」

「それは無理ですよ」

「何でよ!どこがよ!」

「そこがでしょうね」

「むぎぃー!!!」


 クールな外見とは正反対な呻き声に、俺は思わず笑ってしまう。


「三嶋さん、先輩の口調には怒らないですよね」

「慣れましたからね」

「言い方ー!!」

「慣れればこんなのどうだって。それに」

「沙織ー!ビール!」

「もう頼んでます」


 いつのまにか手を回している上田さんに、俺と河嶋さんは感嘆の声を出した。河嶋さんに至っては、その顔を自分の胸に押し付けて猫撫でしてしまう。


「ダァー!さすが沙織、愛しき後輩よ!」

「ちょ、ちょっと先輩先輩!」

「持つべきものは可愛い後輩、これに限る!」


 運ばれてきたビールを二人の前にスライドさせた俺は、ふと自分の分に口をつけながら思った。


(俺には居ないんだな、こういう人)


 無理矢理剥がして背筋を伸ばさせた後、上田さんが俺にお礼を言う。


「あっ、ありがとうございます」

「え?ああ…」

「ごめんなさい、労われる立場なのに」

「いえこんくらいは」

「フフ」

「ダァー!ビール美味しい!」


 豪快にビールを呑む河嶋さんを、俺が少し悲しそうに見ていた事がバレたのだろうか。上田さんが麻婆豆腐を取り分けて小皿を差し出しながら、話を向けてきた。


「どうしました?」

「いえ、ただ大変そうだなって」

「先輩がですか?」

「色々溜め込んでるんですね。こんなに砕けた姿、見た事ないですよ」

「そう…かもしれませんね。私の前では、普段こういう感じです」

「へぇ…知らないなぁ」

「明るくて優しいんです。河嶋先輩は」

「ですよね」

「分かりますか?」

「何年この人と仕事したと思ってます?優しくなけりゃ、続かないですよ」


 河嶋さんは口調がキツい。仲のいい上田さんが優しい雰囲気だから殊更目立っている感じがあるが、注意していると分かる事もある。

 本人に出来そうにない事を絶対言わないし、主語述語はハッキリ示す。言葉のキツさに気を取られると気が付かないが、非常に簡潔な指示を出してくれるのだ。


「河嶋さんには色々教わりましたね。振り返れば」

「そう!アンタには色々教えたもの!」

「どうもありがとうございます」

「本心で言っている?」

「当たり前ですよ。どうにか仕事出来ていたのも、河嶋さんのお陰です」


 慣れない始めたての頃、河嶋さんが時間を割いてくれなかったら、俺はとうの昔に解雇されていただろう。まごつく俺に苛立つ社員ばかりだった中、キツイながらも付き添ってくれていた彼女のお陰なのだ。


「それに上田さんも」

「私も、ですか」

「いやー、上田さんに励まされなかったら、続かなかったかも。中々上手くいかなかったですから」


 とはいえ覚えの悪い俺は、進展の余地が見られない期間が長かった。そんな時、時折上田さんが応援の言葉を何気なく投げかけてくれていたのだ。


「そんな…私、ただ頑張っていた三嶋さんを応援したくて」

「助かりましたよ。あれなかったらもっと早く辞めてました」

「辞める?」

「ええ、はい。未練ないですからね、あの工場には」


 俺はビールを空にしてお代わりを頼もうとした。その時、向かいの二人が口を閉ざした事に気がつく。


「辞めるって、何?」

「…ああそうか。言ってなかったですよね」

「解雇されたんですよね?」

「ええ、でもまぁ、辞めたと言ってもいいでしょう。強がりですが」

「知ってたの?アンタ」

「うーん、確かに他人のミスを被せられていたのには驚きましたが、いいんです。どうでも」

「何で言わないんですか、気がついてないとばかりに」

「気がついたんです。俺あの工場にそこまで居たい訳じゃないってね」



 俺が解雇されたのは、良く行動を共にする派遣社員のミスが、肩代わりさせられていたからだ。その人は自分の犯した細かなミスの数々を、俺のせいにして報告していたのである。


「そういう同僚にも、知っていて俺に擦りつける社員にも会社にも嫌気がさしました。閉鎖的ですしね」

「三嶋君…」

「二人も辞めたらどうです?」

「え?」

「いいですよぉ。へへ、決心ついてから楽ですから」

「私達が、何で辞めるの?」

「あんなに言われなくてもいいでしょ。頑張っているのに」


 二人の顔が強張った。


「鈍感ですがね、そりゃ二人が裏で色々言われていることぐらい、知ってますよ」

「そう、だったの…」

「へへ、でも俺に出来たことと言えば、話しかけるぐらいでしたが…」

「もしかして、あの時の質問、ですか?」

「ほら俺が質問する分には、不自然じゃないでしょ?質問するぐらい出来ないやつは、もう俺ぐらいでしたからね」


 単なる悪あがきだったが、あれが俺にできる精一杯の抵抗だったんだ。

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