第三話 城で、テラスで

 お城はとても華やかだった。

 広間はたくさんの着飾った貴族でひしめき、並ぶ料理は芸術作品のように色とりどりに盛り付けられている。


(これが……、お城のパーティー)


 しかも皇子殿下の成人祝とあって、豪華を極めている。


(お父様はどこかしら)


 この姿ならシエラだと分かってもらえるかも知れない。


 義母と義姉はきっと怒るだろう。

 だけど父に現状を訴えよう。

 そして日々の改善をお願いするの。


 決意を胸にきょろきょろしながら進む私を、並み居る貴族たちが驚くように道を開ける。


(そんなに変じゃないと思うんだけど……)


 不鮮明な水瓶で見た限りだけど、貴族令嬢に見える程度にはよそおえているはず。


 ふと気づくと、私の周りには誰もいなかった。

 代わりに目の前に、ひとりの青年が立っている。端正な顔立ちに、華やかな礼服を品よく着こなしていて、どう見ても良家の令息。それもただならぬ家柄の。


(え……?)


 胸元の刺繍に目を見張った。

 皇太子にしか許されない文様が、縫いとられてある。


「こんばんは、美しいご令嬢。僕と踊っていただけますか?」


 赤い瞳・・・が嬉しそうな色をたたえて、真っ直ぐに私を見ていた。


(!! まさか、皇子殿下!?)


 今日の主役の??


 殿下の瞳も私と同じ赤なのね。

 ……じゃなくて、うっかり見惚れてしまったけど。


「あっ、あの、私……」


 なんといってお断りしたら良いのかわからない。ダンスに自信がない。

 けれど殿下から差し出された手を取らないと、皇族に恥をかかせてしまう?


(……っ)


 私は精一杯の笑顔を作った。


「よ、喜んで」


 声が引きつってしまったのに、そんな私に殿下は優しく微笑まれた。


 楽団が曲を奏で出す。

 ホールに私のドレスが咲く。


 くるりくるりと鮮やかに。


 自分でもこんなに踊れるとは思ってなかった。ダンスの練習なんてもうずっとしていないのに、軽やかに体が動く。殿下の足運びが常に私を庇い、導いてくれている。


(なんて素敵な方……)


 ホールに舞うのは私と殿下で、周りの人たちは場所をあけて見守っていた。贈られるのは、うっとりとした賞賛の眼差し。

 輪の中に、義母と義姉の姿を認めた。父も。


 私は目的を思い出す。

 

(お父様とお話ししなきゃ)


 けれど一曲が終わり殿下に深く礼をすると。


 すぐに二曲目を申し込まれた。

 今度は他の貴族たちも踊り始める。


(えええ、待って……!)


 こうして私は息つく間もなく、殿下と三曲踊り切り、その足でテラスへと誘われる。

 体力が持った自分を褒めたい……!

 

 そして今は、皇子殿下と取り留めのない会話をしている。

 どんな味が好きか、とか、どんな色が好きか、とか。


 そわそわする。

 きっと一生に一度の幸運だけど、でもそれ以上に落ち着かないのは、先ほどから甘く香る何か。


 手元のグラスからじゃない。

 目の前のこの方から──。


「僕との時間は、つまらないですか?」


「つ!! そ、そんなことはありません!!」


 気がそぞろだったことを見抜かれた。

 慌てていると、殿下の目が面白そうにスッと細くなる。


「あなたが何を欲しているか、わかっています──」

「え?」


 顔を上げると、目の前に彼の顔があり、そのまま。

 殿下にそっと口づけされていた。


「!!」


(血っ??)


 殿下はみずから、口の中を噛み切られたのだろうか。

 合わせた口から、血の味が流れ込んでくる。 

 

 それは抗えない芳香となり、甘美な甘さは痺れるように全身を打ち抜いた。


「んっ……、ん」


 気がつけば私は、ねだるように"もっと"と血を追いかけている。

 欲しくて、吸いたくて、私たちはかなり密着した状態にあった。


「っつ」


 なのに肩に手を置かれ、いったん身体を離された。


「あなたばかりだとズルい。僕にもあなたを味わわせてください」


「え……?」


 整わない呼吸、喘ぐ息の中、私の意識が恍惚に微睡まどろんでいると、かぷりと小さな痛みを首筋に感じた。


(殿下に歯を立てられた?)


 理解した時には、テラスに私の血の匂いが立ちのぼっている。


(ズルイ、ズルイ、ズルイ。私だって血管から吸いたい──)


 ハッとした。


(私、何を思っ──!)


 自分の思考に青ざめる。


 私はいま、明確に血を吸いたいと。

 殿下の血を吸いたいと、そう願ってしまった??!!


(なんて浅ましい────!)



 バンと殿下の身体を押しのけて、その腕から逃れた。

 そのまま庭に走り出て、後ろも見ずに場を逃げ出す。


「あっ、待ってください──」


 殿下の声を背中で返し、私は。

 一心にパーティー会場から離れた。


 お城を出る時に靴を片方落としたけれど、拾っている余裕はなく。

 馬車に飛び乗ると、家へと向かって出して貰う。


 


 奇跡の時間は尽きたのか。


 伯爵邸へと向かう途中で、お母様のドレスは灰と化して夜空に散り、私は下着姿になってしまった。

 御者と馬も闇に消え、馬車はちた木箱へと戻る。

 私は徒歩で家に辿り着くと、台所でもとのボロ服を纏った。


 父たちはまだ帰っていない。

 

 明日はきっとまた怒られるのだろう。


(どうしてパーティーに来なかったのか、って……)


 私は行ったけども。

 着飾って皇子殿下と踊ったのが私だと、証明するすべは何ひとつ残ってなかったから。


 私に残るのは、口の中に広がった、殿下の血の余韻だけ。


 私の頬を濡らしたのが夜露か涙か、きっとお月様もご存知ないわね──。

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