第二話 亡き母のドレス

 数年ぶりに帰宅した父は、義母の言葉通り私に気づかなかった。

 玄関ポーチで使用人たちと並んで出迎え、食事の給仕をしても、私だと気づいて貰えなかった。


「あの使用人は──」


 父が口を開いた時、私は期待した。けれど続く言葉は「身なりがみすぼらしすぎるな」というものだった。


「伯爵家に従事する召使いとして相応ふさわしい服装をするよう、メイド長に伝えておくように」


 義母がにやりと笑いながら、すぐに答えている。


「支給したお仕着せをすぐダメにするので見せしめです。品を大切に扱わないなんて生意気なので」


 お仕着せなんて、支給されていない。

 最初に与えられた古着がきつくなってほつれても、直しながらずっと着ている。


(お父様! お父様……!!)


 心の中で何度も呼び掛けた。でも口に出して「こんな娘はシエラじゃない」と言われるのが怖かった。

 最後の希望が目の前でついえたら、きっと私は耐えられない。


 父は、出迎えなかった末娘の様子を見に、私の部屋をのぞきに行った。

 もうずっと立ち入ることを許されてない、以前の部屋。


「シエラは部屋にいなかったが」


「ではまた抜け出して、遊び歩いているのですわ。あなたが帰ると伝えてあったのに、本当に奔放な子」


(っつ!)


 義母の言葉に父はどう思ったのか。


 嘆息している様子を見ると、義母の言葉を信じ切っているのかもしれない。

 胸が痛く、苦しい。


 そんな数日が続いた今日も、控える私に気づかないまま、父は義母に話しかける。


「以前伝えたように、今夜は皇太子殿下の十八の誕生日パーティーが開かれる。シエラにもきちんと用意させておくように」


 不満そうに義母が返した。


「伴うのは、姉のモニカだけではいけませんの? シエラでは、家の恥さらしになりますわ」

「それは駄目だ。必ず家族全員揃うようにと言われている。特に殿下の花嫁選びがあるため、招待状が届いた娘たちはみな妃候補になっているんだ」


「まあ。ますますシエラには無縁な話なのに」

「なぜ無縁だと?」 


 鋭い目が義母をとらえた。

 父の迫力にひるんだらしい義母が、しどろもどろに父に言う。


「あ、あのは日頃の態度が悪すぎて……」

「シエラも寂しいのだろう。む無くとはいえ、長く捨て置いた私に顔さえ見せてくれないとは、悲しい話だが……」


(違います、お父様! シエラはここに。お父様のおそばにおります!)


「前の妻……、シエラの母親は王家の流れを汲んでいるから、陛下や殿下も幼いシエラと会っていて、成長したシエラを楽しみにしておられる。そなたの責務として、シエラをパーティーに来させよ。良いな?」


「承知しました」


 義母は不承不承ふしょうぶしょうといった様子で父に返事をした、その夜。


「シエラ! 昼に旦那様のお話は聞いていたわね。お前にドレスを与えます。身なりを整え、今夜のパーティーに出席するように」


 かまどの前で火の始末をしていると、珍しく義母から足を運んできた。


「お前の支度がまだだから、旦那様と私たちは先に出るわ。お前は後から別の馬車でおいでなさい。冴えないお前と、家族だと思われたくないもの」


 バサリ、と義母が投げて寄こしたのは。


「これは、亡くなったお母様の……」


「古びたドレスだけど、上等な布が使われていたようだから、とっておいたの。ああ、ああ、何をしているの。早くドレスを取らないと、火がつくわよ」


 ドレスの裾がかまどに入っていた。

 残り火がドレスにチロチロと伸びてくる。


「きゃあっ!」


「それしかないのだから、台無しにしたら旦那様に言いつけるからね。お前がドレスを燃やしたせいで同席出来なかったと。旦那様はお口にこそ出さないものの、きっとお前にご立腹よ。パーティーに欠席したら、家から追い出されるでしょうね」


 "楽しみだわ!"


 義母の高笑いが去っていく中、私はドレスについた火を懸命に消していた。


「っく……、ううっ、ううう」


 母がのこしたドレスを抱きしめ、涙がこぼれる。

 何とか消した火は、しっかりとドレスの裾を燃やしていた。焦げたドレス、落ちた灰。

 ポロポロと涙が止まらない。

 

「お母様……。助けて、お母様……」


 ギリ、と噛み締めた唇から血が滲む。

 その一滴が。


 ポタリとドレスに落ちた。


「大変──、えっ?!」


 血があっという間にドレスに染み渡る。

 ほんのひとしずくが、ドレスを真っ赤に染め上げていく。


 驚く中ドレスは一瞬で灰になり、崩れ落ち、そして。


「なっ!!」


 いっきにぶわっと舞い上がって、私を包み込んだ。


「ゴホッ、ゴホッッ」


 漂う灰に目を閉じ咳き込んで、次に目を開けた時。

 不思議が起こっていた。


「ドレスが──」


 母のドレスは。古風なデザインのドレスは一新され、あつらえたように私の身体にぴたりと添い、洗練された愛らしい一着へと変わっていた。

 色も鮮やかで刺繍も細やか。最上級のレースがふんだんに使われた、見たこともないような高価なドレス。


「な、何が起こったの?」


 立ち上がると、優雅にドレスが揺れる。

 足元にはいつの間にか、ガラスの靴が光った。青い夜にホタルまたたくような、幻想的な色合いが美しい。

 

「わ、あ……。綺麗キレイ……」


 はっと気づいて頭に手をやると、ボサボサだったはずの髪も艶やかに結い上げられている。

 台所の水瓶をのぞくと、見慣れない美少女がうつった。


 しっかりと施された化粧はせた頬も健康的に見せ、気になっていた赤い瞳は魅惑的に光っている。


「私じゃないみたい……」


(でもこれなら、皇子殿下のパーティーに行ける?)


 魔法としか思えない。

 きっとお母様が起こしてくれた奇跡。

 

 でも喜んで外に出た私を待っていたのは、残酷な現実。


 そこにあったのは、廃棄寸前のような馬車だった。


(これが義母の言っていた馬車──)


 御者も馬もなく、どう進めと言うのか。


 再び途方に暮れていると、騒がしい羽音がした。


「? きゃっ」


 見上げると、たくさんの蝙蝠コウモリ


 蝙蝠たちが包むように馬車にとまると、黒地に金、高貴な紫があしらわれた立派な馬車があらわれた。

 逞しく美々びびしい黒馬が繋がれている。どこからかあらわれた御者が、帽子をとって会釈をした。

 蝙蝠たちは消えている。


(もしかしたら、これは夢かも知れないわね)


 夢でもいいわ。素敵なひとときが過ごせるなら。


 自然と開いた馬車の扉から中に乗り込み座ると、馬はお城に向かって軽やかに走り出した。

 皇子殿下の誕生日パーティーに間に合うように。

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