ケーキ屋さんで働いて、自分の特性を再認識した件について

西しまこ

第1話「カラダで覚える」が無理な件について

 近況ノートでたびたび愚痴っていた話であります。

 わたしは現在、ケーキ屋さんで働いています。生まれて初めての、小売店での販売の仕事です。スイーツ好きだし、家から近いし、という理由で働き始めましたが、まったく向いていませんでした。自分に合わない仕事をしていると、こんな劣等感が溜まるんだ(日々罵倒される)と、目から鱗が落ちる思いでおります(実際は劣等感を溜めずに、観察する日々ですが)。


 わたしは生まれて初めて、場当たり的に仕事を教えられる、ということを経験しました。

 さっぱり覚えられません。

 これまで、体系的に論理的に物事を覚えて来たのです。記憶力にはわりに自信がありました。

 それが、その場その場で教えられ、時に前後の繫がりはなく、教えられます。一番困るのは、その時によって言うことが異なることです。また、人によっても言うことが異なります。

 さっぱり覚えられません。

 というか、混乱します。

 覚えられないから混乱するというよりも、意味が分からない上に、違うことを言われるから混乱するのだ、ということなのです。


 わたしには無秩序記憶は出来ないようです。

 論理的でないこと理由の分からないことは、それだけで「どうしてだろう?」と考えてしまうので、固まってしまうのです。また、そのときどきで、或いは人によって言うことが異なることも混乱を招きます。要するに、どちらも覚えていて、どちらを優先させるべきか悩むので、作業の手が止まるのです。


 これきっと、ASD(アスペルガー)の特性だなあと思います。

 こだわりが強いのです。

 ちゃんとしよう、と思うゆえに出来ないのです。


 生まれて初めて肉体労働をして思ったのは、こういう、いわゆる「カラダで覚えて」は出来ないのだ、ということ。

 運動神経ないし、「カラダで覚える」は出来ません。

 膨大な枝葉のことばかり教えられ、「本当は何が大切か」がさっぱり分かりません。そして「本当は何が大切なんだろう?」「この作業にはどんな意味があるんだろう?」とずっと考えてしまいます。

 でも、どうやら「ふつう」の人はそんなこと考えないらしいです。


 最近「ふつうにやって」とよく言われます。

 わたしは心の中で「あなたの言う『ふつう』って、どんな意味? 『ふつう』っていう言葉の意味を定義してくれる?」とつぶやきます。

 

「ふつうに生きて」

 よく両親に言われました。

 一番嫌いな言葉です。


 まあ要するに向いていないので、お互いに不幸なんです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る