第8章「妖魔」(2)

 エスリンは意識を失ったまま、倒れていた。

 部屋の中には、蝋燭が灯され、エスリンは台座の上に横たえられていた。

 闇の中で、エスリンの白い肌と金色の髪、金色の翼が光り輝いている。

 そこに、何者かがやって来た。

「これは美しい。」

 女のような声。

「若く、みずみずしい肉体。だが、人間ではないな。この醜い足。羽は、素晴らしいが。」

「では、足だけを切り落としましょうか。」

 その後ろには、悪魔が一匹控えていた。

「そうだな…、足を切り落としなさい。…いや、太腿の部分は切らなくてもよい。そこは人と同じだ。醜い部分だけを削ぎ落とすのだ。」

「はい。」

「人の肉は奈落に落としてオロチ様のもとへ。あとはお前たちの好きにしなさい。」

「はい。」

 悪魔は手に大きな鎌を持って、エスリンに近付いた。

 鎌の先を、エスリンの二の腕に当てると、柔らかな肉から鮮やかな赤い血が流れ出た。悪魔はそれを見て、舌なめずりした。思わず、鎌を持つ手が緩んだ。

「ラアッ!!」

 悪魔の持っていた鎌が空に飛ばされた。エスリンの片足が高く上がっていた。すばやく身を起こしたエスリンは、悪魔を蹴り飛ばした。悪魔は壁に激突して気絶した。

「なかなか、威勢がいいな。」

 その者が、蝋燭の光で照らし出された。

 青く長い衣を纏った姿は、男とも女ともつかなかった。透き通るほど白い肌。切れ長の紫の目。長い黒髪。妖艶な美しさを湛えた顔。だがその額の中央には、傷のような大きな割れ目があった。そして、頭には二本の角があった。

「お前は何者だ!」

 エスリンはその者を睨み付けた。

「悪魔だ。だが、そのへんの悪魔とは違う。私は、ヨミト様の部下、メイヴという者だ。」

「ヨミト…。」

「私には特別に、ヨミト様から力を分け与えられた。他の悪魔とは違うのだ。」

「悪魔など、皆同じだ!」

 エスリンは、メイヴに向かって風の刃を飛ばした。しかしそれは軽く避けられた。

「分からせてやろうか。」

 メイヴは妖艶な笑みを浮かべて、額に手を当てた。その手をゆっくりと離すと、額の傷が裂けて、裂け目からぎょろりともう一つの目が現れた。

 その目を見た途端、エスリンの体は動かなくなった。意識はあるのに、体が動かないのだ。

(ミナト…シーロン…!)

 動けないエスリンに、メイヴがゆっくりと近付いてくる。


「何か、音がしたな。」

 シーロンは、大きな音のした方を向いた。

「じゃあ、そっちに行こうぜ!」

「待て。何かまずい気配がする…。」

「どっちにしたって、ヤバイには変わりねーだろ。」

 そのとき、ミナトは、別の方向から、何か声のようなものが聞こえてくるのを感じた。音ではない。心に呼びかけられているような感覚。

(ミナト…)

「…まさか!」

 ミナトは、急いでその方へ向かった。

「ミナト!」

 仕方なく、シーロンはミナトを追いかけて行った。

 そこには部屋があった。

 重い扉を開け、中へ入ると部屋に灯りが点ともった。

 部屋の中央に、透き通った青い石が置いてあった。しかしそれは、ただの石ではなかった。

「カイト!?」

 石の中に、カイトが閉じ込められていたのだ。

(ミナト…。やっぱりお前だったんだな…。気配で気付いたよ。)

 カイトは青い半透明の四角い石の中に閉じ込められていた。その体は動けないようだった。表情も変わらない。

「何でお前がこんな所に?」

(メイヴという悪魔にやられたんだ…。みっともない話さ。せっかくお前の後を継いで、海の王に任命されたってのに…。)

「とにかく、ここから出してやるよ!でも、どうすれば…。」

「ミナト、下がってろ。」

 シーロンが、小さな風の刃を作り出し、石に向けて放った。

 風の刃が石の表面に当たると、そこから石にひびが入り、石はがらがらと崩れて割れた。

「ふう…。助かった。ありがとう。」

 崩れた石の中から、カイトが出てきた。カイトは埃を払い、人の良さそうな笑顔でミナトたちを見た。

「ミナト。この人は…?」

「シーロンだ。竜人族の戦士なんだ。」

 シーロンはカイトに一礼した。

「そうか。俺はカイト。海の神だ。」

「それより、もう一人仲間がいるんだ!そいつが捕まっちまって!早く助けに行かねーと!」

 ミナトは焦っていた。

「ちょっと待て。メイヴは危険な奴だ。あの目を見ると、この俺ですら体が固まって動けなくなってしまうんだ。」

「目?」

「ああ。俺は、海に毒を撒いた奴を突き止めようとここへ来て、メイヴに捕まってしまったんだ。メイヴには、三つの目がある。額の傷の中に、目があるんだ。その目が開いたら注意だ。見た瞬間、体が動かなくなる。」

「でもそれさえ見なきゃいいってことだろ。早くエスリンを!」

「エスリンは多分、向こうの部屋だな。さっき物音がした方だ。」

 シーロンが走り出した。その後を、ミナトとカイトも追って行った。

「おや…。」

 メイヴが振り返った。

「エスリン!!」

 ミナトはメイヴの後ろに倒れているエスリンを発見した。

「ミナト!分かってるな!」

 カイトが叫んだ。

「分かってるよ!奴の目を見なきゃいいんだろ!」

「ふふん。そいつらに助けられたのか、カイト。」

 メイヴの第三の目が開いた。

「もうお前にはやられないぞ。その目にさえ気を付けていればどうということはない。」

 カイトは、メイヴの足元を見て言った。

 シーロンは、竜の珠を取り出していた。

「これは珍しい。竜人か。是非、変身してもらいたいものだ。さぞや美しい鱗なのだろうな。この宮殿の装飾にでも使ってやる。」

 メイヴは、シーロンを眺めて妖しく微笑んだ。

 だが、シーロンは竜の珠を持ったまま、様子を窺っていた。

「ふん。てめーなんか、変身しなくたって倒せるってよ。」

 ミナトはそう言いながら、右手に意識を集中させていた。

「やってやる。」

 右手に全てのエネルギーが集まってくる感覚を覚えた。

「ミナト…。」

 シーロンはミナトを見た後、何を思ったのか突然竜に変身して、メイヴに襲い掛かっていった。

「愚か者が。」

 シーロンはメイヴの第三の目を見て、固まってしまった。

 しかし、シーロンの竜の腕が、既にメイヴの体を捕らえていた。

「何!?」

 そのまま、メイヴは固まったシーロンと共に床に倒れた。太い竜の腕で掴まれ、しかもその腕が固まっているため、メイヴ自身も身動きが取れなかった。

「バカはてめーだ。」

 ミナトは、右手で作った水の玉を、メイヴに向かって放った。

 しかし、水の玉はメイヴに当たっただけで、何のダメージも与えていないようだった。

「バカは俺だ…。」

 ミナトは右手を見て、がっくりと肩を落とした。

「ミナト!あいつにそんな攻撃は効かねえよ。」

 カイトが両手で氷を作り出し、氷は斧のような形に変化した。

 それを豪快に放り投げると、氷の斧はメイヴの額に直撃し、第三の目は潰れた。

「よっしゃ!これで心おきなく戦える。ミナト!とどめだ!」

 ミナトは背中の鞘から銀の剣を抜き、メイヴの腕を切り落とした。

「ふふん。勝ったつもりか。私はこれで終わりではない。」

 メイヴの体が変化し始めた。体がどろどろと溶け出し、美しかった姿は消え、泥の塊と化していった。そしてそれは天井にまで届くほどの大きさとなり、紫色の泥の下から触手のようなものが飛び出してきた。辺りに、毒の瘴気が漂った。

「ついに本性を現したな!」

 カイトが氷の斧を作り出し、メイヴの触手を切り落とそうとしたが、幾つも幾つも触手が生まれ、カイトの体に絡みついた。カイトを捕らえた触手から、じわじわと毒が染み出してきた。

「ミナト…この隙に…やれ!」

 毒に侵され、体が痺れた状態で、カイトが叫んだ。

「くっ…!」

 ミナトは両手で剣を持ち、全身全霊の力を集中させていた。水から、氷のイメージへ。

「うわっ!」

 ミナトを、メイヴの触手が捕らえた。

 体が毒によって痺れてきた。

 頭も、朦朧としてきた。

 だが、心には怒りがあった。

 毒の海。毒の森。

 カイトを苦しめ、エスリンをさらった奴。

 そして世界を苦しめている。

 ――ヨミト。

 ミナトは感覚だけになって、紫の化け物へと力を放出した。

 大きな氷の塊が、化け物に当たった。

「グアアアア!」

 化け物は悲鳴を上げたが、倒れない。

 水から、氷へ。

 ミナトのイメージが銀の剣に伝わった。

 剣は光を帯び、氷の刃と化した。

 ミナトは化け物を斬った。

 斬った部分から、氷の欠片がきらきらと飛び散っていき、それは紫の色へと変化した。

 紫の血が放出し、化け物は崩れていった。泥の塊に。

「や…やった…。」

 ミナトはそのまま倒れた。


「ミナト。」

 目を開けると、そこにエスリンがいた。

「エスリン!」

 思わずミナトはエスリンに抱きついた。

「ちょっと!やめてよ!」

 容赦なく、エスリンはミナトを突き飛ばした。

「いってエーー!」

 頭を押さえて痛がっているミナトを見て、エスリンは小さく笑った。

 ここは海辺の村の浜辺だった。シーロンとカイトもいた。

「ミナト。よくやったじゃないか。」

 シーロンが微笑んだ。

「あれ?あの後どうなったんだっけ…?」

「ミナトがメイヴを倒したんだよ。覚えてないのか?その後、エスリンさんが、毒に侵された俺たちを助けてくれたんだ。メイヴの宮殿は、シーロンさんが焼き払ってくれたよ。」

 カイトが言った。

「そうか…。」

 ミナトは安心した表情になって笑った。

「私はメイヴの術で動けなかったけど、ちゃんと見てたわ。ミナトの戦いぶりを。凄かったね。」

 ふふ、とエスリンは笑った。

「でもさ、あれってわざとだろ?シーロン。」

「…何が?」

「だって、シーロンがあいつを捕まえててくれたお陰で、隙が出来たんだ。俺にも、覚悟が出来た。あんな状況にならなかったら、俺はまた何も出来なかった…。」

「そこまで考えてないよ。」

 シーロンは穏やかに笑った。

「ミナトがメイヴを倒した。それでいいじゃないか。」


 海辺の村の毒は、エスリンによって浄化され、元の綺麗な海に戻った。

 しかし、メイヴに捕まった人間たちの行方は分からなかった。

「俺たちは、悪魔退治の旅をしているんだ。」

 ミナトはカイトに言った。

「メイヴは倒したが、オロチという化け物がいる限り、本当の平和ではない。ミナト、俺はお前の代わりに、この国を守ってみせる。」

 カイトは固く決意して、ミナトの肩に手を置いた。

「お前も、頑張れよ。必ず、海の王に戻るんだ。それまで、俺が頑張るからさ。」

 カイトは明るく笑った。

「あのさ…。」

 ミナトは、ある事を口にしようとした。

「ん?何だ?」

「…いや、何でもない。お互い、頑張ろうな!」

 ミナトも明るく笑った。ヨミトのことは言わなかった。

「ミナト。俺はお前を信じてる。必ず、お前は海の王に戻る。絶対にな。」

 カイトは温かい目でミナトを見つめ、笑った。

「カイト…。」

 ミナトの心に、カイトの気持ちが強く伝わってきた。

「カイト!」

 ミナトはカイトに抱きついた。カイトの逞しい腕がミナトの細い体を抱きしめた。

「いてて…。」

「もっと体を鍛えろよ。」

「うるせーな!」

 でこぼこコンビは笑い合った。

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