第9章「光と闇」

 天岩戸。

 そこは、神聖な洞穴である。

 アマトが宇宙との交信をするときに、ここに入って瞑想する。

 アマトだけの空間。


 しかし今は、アマトはそこに閉じ込められている。

 天岩戸を開く鏡を、ヨミトに奪われたために、アマトは出られないのだ。

 力を封じられたアマトに自由はなかった。

 暗い穴の中で、アマトは、祈り続けるしかなかった。


「姉上…。」

 天岩戸の外から声がした。ヨミトだ。

「気分はどうですか?」

「…ヨミト。いつまで、こんなことを続ける気だ。」

 意外にも、しっかりとした声が返ってきた。

「その様子だと、まだ諦めていないようだな。」

「諦めるはずがなかろう。私は全ての命を守る者。私が諦めたら、全てが滅びてしまう。」

「既に、滅びは始まっている。」

「何だと。」

「お前が祈れば祈るほど…それは大きくなっていく…。」

「何を言っているのだ。」

「ミナトには、真実を話した。」

「…ミナト。」

 アマトは小さく呟いた。

「心配か?ミナトはお前の使鳥と共に、俺に会いに来た。なかなか、あのエスリンという者には手こずったが。」

「エスリンに何をした!?」

「僕の下僕にしようとしたんだが…失敗した。忌まわしい者に守られているようだな。」

「忌まわしいだと?」

「この世界を創ったカオスさ。俺がカオスの世界を潰す。それが俺の望み…。」

「自分の父に向かって、何たることを。」

「俺は一人だ。全ての命を滅ぼし、その頂点に立つ者は一人…。それが支配だ。」

「救いがないな。お前の思い通りには決してならない。私とミナトがそうはさせない。」

「フフ…やはり俺は一人だ。くだらない姉弟愛など、俺にはいらない。」

「ヨミト。お前は自分の過ちに気付いていないだけだ。目を覚ませ。」

「俺はもう目覚めている。自分のなすべきことに。俺は世界を滅ぼすために生まれ、支配するために生きているのだ。俺の世界は、この世界が滅びたときに、完成する…。」

「お前の言う世界とは、命のない世界のことか?誰もいない世界で、お前は何をしたいのだ?」

「ただ…俺一人生きる。」

「それは苦しみでしかないだろう。たった一人で生きていても虚しいだけだ。」

「お前たちには到底理解出来ない世界だ…。苦しみも、喜びもない、無の世界。俺はそれを望んでいる。」

「理解出来ない。そんな世界は有り得ない。」

「理解してもらう必要はない。」

「…じゃあ何故、私に話すのだ。お前はまだ、私を必要としているのだろう。お前は一人ではない。」

「確かにお前の力は必要だ。だが、ここで話しているのは、お前に苦しみを与えるため。世界が滅びゆく状況を報告してやっているのだ。」

「ヨミト!まだ分からぬか!お前の考えていることは、お前の意志とは無関係の所にある。お前自身が支配されているということが…。」

「黙れ!俺は俺の意志で行動している。俺の心は俺自身にしか支配出来ない。」

「お前には聞こえないのか…世界の音が…。世界の鼓動が…。何故支配することにこだわる。私たちは世界を支配しているのではない。共に生きているのだ。それが分からないのか…。」

「共に生きることなど、争いを増やすだけだろう。お前の一番嫌いな争いだ。共存など不可能なのだ。実にくだらない。世界は唯一人に支配されるためにある。それが俺なのだ。」

「それは思い上がりだ。ヨミト、お前の考えと私の考えとは、全く正反対のようだ。これ以上話しても無駄なのかもしれぬ。だが私は諦めない。お前を光の中に連れ戻すまで…。」

「俺は月の国の王だ。月の神だ。光などいらん。闇こそが俺の故郷だ。」

 ヨミトの足音が遠ざかっていった。


 月明かりの下の太陽神殿は、寂しい光を放っていた。

 その回廊を、ヨミトは会議場へ向かって歩いていた。

 会議場はある一件で騒がしくなっていた。

 ヨミトが会議場に入るなり、神々はヨミトに言った。

「ヨミト様!」

「…何だ?」

「既に知っておられるかと存じますが…、東の都に…魔物が現れたという情報が。」

「…魔物?」

「東の都といえば、アマト様の生命力に最も溢れた土地。そこにまで魔物が出現したとは…。」

「オロチだ。」

「え?」

「その魔物はオロチという。私にも手に負えない化け物だ…。」

「オロチ…とはどういう魔物なのでしょう?」

「私にもよく分からん。ただ、オロチは人間を好んで食べる。百人が助かるためには、一人の生け贄が必要だろう。」

「生け贄…それは酷い…。」

「何を言う。一人の犠牲が百人を救うのなら、それでいいだろう。」

「しかし…。」

「人間と悪魔、動物、魔物…様々な種族がこの世界には存在している。今まで、私たちは悪魔や魔物を一方的に悪と決めつけ、滅ぼしてきた。だが、これからは、全ての生き物が共存を図るために、犠牲が必要となる。私は、全ての生き物を同じものとして考える。姉上の考えとは違う。善も悪もない。しかし、全ての生き物が生きられるわけがない。犠牲は、つきものなのだ。」

「しかし…それではヨミト様は、アマト様のお考えを否定なさるのですか?悪魔が我々と同じなどと…私にもそれは理解出来かねますが…。」

 一人の神が反対した。

「私の考えはおかしいと?」

「いえ…おかしいというのでは…あまりにも極端すぎると…。」

「何が極端なのだ。善悪を自分たちに都合よく決めつけ、生き物を区別する考えの方が極端だと私は思うが。」

 神々は皆しんと静まり返った。

「私は天界の王。私の言う事は絶対だ。それを覚えておけ。」

 ヨミトの目が鋭く光った。

「ヨミト様、それは横暴です!」

 沈黙を破ったのは、海の王・カイトであった。

「恐れながら申し上げますが…ヨミト様は一体、何をお考えになっているのです?最近のヨミト様は、以前とは違う。そのようなことを仰る方ではなかった。人間を生け贄にするなどとは…あまりにも酷すぎます。人間も、動物も皆、我々が守るべきカオス様の遺産です。犠牲の多さや少なさなど関係ありません。犠牲など、あってはならないことです。どんな魔物が現れようと、我々が魔物の脅威から生き物たちを守ってあげなければ。」

「その考え方が、生ぬるいのだ。犠牲がなければ、死がなければ、本当の平和はやって来ない。一人生け贄にすれば、他の者は助かるのだ。それでいいではないか。」

「…ヨミト様は、人間の命を軽んじられている…。」

 カイトは怒りのこもった目でヨミトを睨んだ。

「カイト殿。いずれ私の考えが正しいと分かるときが来る。君の正義感は非常に素晴らしいが、それは単なる理想にすぎない。もっと現実に目を向けたまえ。効率よく世界を管理することが真の平和に繋がるのだ。」

「私には、理解出来ません!」

 そう言ってカイトは会議場を出て行った。

 その日、神々の会議で決定したのは、オロチへ人間の生け贄を捧げること、だった。

 神々の誰も、ヨミトに逆らえなかった。


 月の宮殿。

 ヨミトは、天界の王となってからも、普段はここにいて、必要なときだけ太陽の国へ出入りしていた。必要なときというのは、主に神々の会議のときである。それ以外は、いつもこの宮殿にいた。

「…ここへ客を招くことはないのだが…。君は特別だ。カイト殿。」

 宮殿の一室に、ヨミトとカイトがいた。ヨミトは細長い窓から外を眺めながら、穏やかに言った。

 灯りもなく、暗い月明かりだけが差す、青い部屋。長椅子とテーブル以外、何もない殺風景な部屋だった。

 長椅子に座らせられ、緊張した面持ちで、カイトはヨミトの方を見ていた。

「君をここへ呼んだのは、君と話したかったからだよ。」

 にっこりとヨミトは笑顔を作った。

「…先日は、無礼な態度をとってしまい、大変申し訳ありませんでした。」

 カイトは頭を下げたが、すぐに顔を上げて言った。

「ですが、あれは私の本心です。ヨミト様のお考えが分からないのです。私の海の王としての力が至らないばかりに、オロチのような魔物が出てきてしまったのかもしれません。それで仕方なく、ヨミト様はあのような決断に至ったのでしょうか…。それならば、もっと努力します。私が人間界を守ってみせます。ですから…。」

「どこまでも正義感の強い男だな。お前は。まっすぐで、どんなことがあっても人を信じ、己に厳しい。…ふふん、ミナトの気に入るわけだ。」

「私は…ミナト様を信じております!ヒノト殿の一件…あれはミナト様の仕業ではないと思っています。ミナト様にあんなことが出来るはずがない。私はミナト様の…ミナトの無二の親友です。ミナトがどんな奴か、私は知っています!あいつに神殺しなど出来るわけがない!」

 カイトは熱くなり、立ち上がって言った。

「そうだな…お前はミナトの友だったな。そう思うのも無理はない。君の思っている通りだ。ミナトは神殺しなど犯していないよ。ヒノトをやったのは、他の神だ。」

「えっ!?…そ、それは一体誰なのです!?」

 カイトは驚いて目を見開いた。

「今、行方不明の神が一人いるだろう。そいつだ。」

「…何故、ヨミト様がそれを知っているのです?それが本当なら、何故明らかにしないのです?」

「僕が命じたからだよ。その神は、死んだ。僕に殺されてね。」

「なっ!?」

「ミナトを追い出すために行ったのだ。ヒノトはお前と違って、ミナトとは犬猿の仲だった。それを利用したのさ。」

「ミナトを追い出すためにそんなことを…許せない!!」

「落ち着きたまえ。君の欠点は、頭に血が昇りやすい所だな。」

「落ち着いてなどいられるか!!そんなことを聞かされて、黙っていることは出来ない!やはりミナトは無実だったのだな。分かったぞ…アマト様がお隠れになったのもヨミト様が仕組んだのか!!」

「アマトは僕が封印した。」

「やはりそうか!!全て…ヨミト様が仕組んでいたのか!天界の王になるために…。」

「まあ、間違ってはいないが、正しくは違う。僕の計画はまだ始まったばかりだ。ミナトを追い出し、三神の守りを崩し、更にアマトを封印して、僕が天界の王になる。このシナリオは上手く成功した。馬鹿な神々も僕に逆らえなくなった。しかし君だけは、僕に逆らった。ミナトへの思いが強いために、ミナトを信じているから、君には僕の支配が通じないのだろう。」

 カイトはヨミトを睨み付け、体を硬くしていた。

「ヨミト様…何を望んでいるのです…。」

「全てだ。」

 ヨミトの口調ががらりと変わり、表情も変化した。

「友情や信頼など、無に等しいということを分からせてやる。」

 低い声でそう言うと、ヨミトは左手をカイトに向けた。

 左手から、青い雷が放たれ、カイトの全身を包み込んだ。

「ぐあああああっ!!」

 カイトは倒れ、もがき苦しんだ。それを、ヨミトは楽しそうに笑いながら見下ろした。

「俺のものになれ。俺の手足となるのだ。」

 ヨミトは右手で、カイトの首を掴み、カイトの逞しい体を軽々と持ち上げた。

「うっ…。」

 カイトは苦しげに呻いた。抵抗しようとしても、体が動かない。

 ヨミトの眼が赤く光り出した。

「お前の心は俺のものだ…。従え…。」

 ヨミトの声が優しく、甘い響きを持ってカイトの中へ入り込んできた。

「お…俺は…お前になんか…従わん…。」

 カイトは必死に抵抗した。心が吸われていくようだった。自分を失くしてゆく感覚。赤い眼から逃れようと、目を閉じようとしたが、それも出来なかった。

「ミ…ナ…ト…。俺は…お前を助けたい…!」

 カイトはそのまま気を失った。

「ふん。」

 ヨミトはカイトの首から手を離した。ドサリとカイトの体が落ちた。

「支配されてもなお、友を思うのか。…面白い。」

 月の光が、ヨミトの顔を半分照らし出した。

 微笑みを浮かべたその顔は、冷たく美しく、そして邪悪だった。


 暗黒に支配された世界。

 しかしそんな暗い空の中でも、星々は美しく瞬いている。

 暗い空の下で、ミナトは寝転んで星を眺めていた。

 ミナトは、カイトのことを思い浮かべていた。

 カイトの人の良い笑顔が、星々の中に浮かんだ。

 いつ、カイトと仲良くなったのか、はっきりとは覚えていない。

 馬が合うというのか、初めて会ったときから友達になったような気がする。

「何をぼんやりしてるの…?」

 エスリンがミナトの顔を覗き込んだ。

「別に…ちょっとカイトのことを思い出してたんだ…。」

「そういえばカイトはミナトの親友だもんね。海の王になったって、もっと早く教えてれば良かった?」

 ふふ、とエスリンは微笑んだ。

「ケッ。俺のこと…ほんとに何でも知ってんだな…。何かやな感じ。別に友達でもねーのにさ。」

「そうよね…。」

 少し寂しそうな表情で、エスリンは俯いた。

「アマト様の命令がなかったら、こんなふうにはならなかったものね…。」

 何だかいつものエスリンらしくなく、元気がなかった。

「な、何だよ…。何か…お前らしくないぞ?」

 ミナトは困ったような顔をした。エスリンにしおらしくされると、何だか落ち着かなかった。

 シーロンは、二人の様子を、少し離れた場所で座って見ていた。

「ミナトが何だかうらやましいわ…。」

「俺が??」

「カイトだけじゃなく、アマト様もいる…そしてカオス様。私には親も兄弟もいない…。」

「…そういや、お前の種族って一体、何なんだ?精霊っても、何か特別なんだろ?」

「私はカオス様に連れて来られたの。自我が目覚めたときには、使鳥としてアマト様のもとに。そしてエスリンと名付けられたの。どこから連れて来られたのかは…分からない。」

「じゃあ、気付いたら姉上の所にいたってことか。でもさあ、よく分かんねーけど、それだったら父上がエスリンの親で、姉上が姉妹きょうだいみてーなもんじゃねーか?」

「ふふ。そうね…。恐れ多いことだけど。」

「エスリンはそんなこと気にしてんのか。…いいぜ、友達になってやっても。別に友達になったからって、何も変わんねーけどな。」

「あら。誰がいつ頼んだの?私はミナトの友達になりたいなんて言ってないけど?」

「な、何イ~~!?また人の心を弄びやがって…。」

 ミナトは恥ずかしそうにして、プイと横を向いた。

「私はミナトの師匠よ。馴れ馴れしく友達だなんて。」

「それでこそエスリンだよ。せっかく、慰めてやろうと思ったのに…気イ使って損したぜ。」

 ミナトは膨れた。


 星々は輝いていた。

 散りばめられた宝石のような星々が瞬いている。

 無数の命が、暗い空の中で輝いている。

 儚い輝き。

 空は、世界の命を映し出す鏡のようであった。

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