第13章「根源」

 地上は、暗闇が濃くなっていた。

 月ばかりが、異常な輝きを放っている。

 悪魔たちは月明かりを浴びて、活発に動いていた。

 人間たちは、恐れて隠れていた。

 悪魔は、動物の肉を喰らい、人間の町を襲い、人間を喰らった。

 喰われる者には、なす術もなかった。


 東の都。ここはアマトの力の強く働いている場所。

 そのためか、悪魔といえど町に入ってくることは出来ない。

 都の人々は、ミナトたちを信じて待っていた。

 そして、消息を絶った英雄の帰還を願っていた。


「姉ちゃん。大丈夫だよね?神様たち。」

 ヒオキは、庭で洗濯物を干しているルナに向かって言った。

「大丈夫よ。だって、神様なのよ。」

 ルナは手を休めずに言った。

「こうしていつも通りにしてればいいの。不安になっては駄目。」

「そうだよね。大丈夫って、言ってたもんね。神様の兄ちゃんが。」

 ルナはふと手を止め、暗い空を見上げた。

「ミナト様…。」


 地底の大空洞。

 湖底から繋がっていた場所はそのような場所と呼べた。

 魔物と化したカイトが、何故この場所に来ていたのかは分からない。

 ヨミトが送り込んできたのかもしれない。

 ヨミトがオロチと関わっているのかどうかもミナトたちには分からない。

 カイトの命を絶つことでヨミトの支配から解放したとは言え、シーロンには深い罪悪感があった。

 ミナトの親友を殺してしまったのだ。

 その事実が、シーロンの心を締め付けていた。

 三人はずっと、沈黙したまま、歩き続けていた。

 重い沈黙が、心に闇を作る。

「シーロン。」

 ミナトの声に、シーロンははっとして振り向いた。

「そんな暗い顔するなって。俺もカイトもシーロンに感謝してるんだ。」

 ミナトは笑った。

「シーロンがああしてくれなかったら、俺たちは前に進むことは出来なかった。そして俺も…。」

「ミナト。そう言ってくれるとありがたいな…。」

「私は何も出来なかった…ただ見守るしか…。」

「だからやめろって。辛気臭いこと言うなよ。俺たちは、これからオロチと戦うんだぜ。こんな気持ちで戦えるかよ。」

「そうね…ミナトの言う通りだわ。」

「ミナトに励まされるなんてな…。」

「俺にだって、お前らの言いたいこととか思ってることは分かる。けど、浸ってるときじゃないんだ。こんなことで、負けてたまるか。」

 ミナトの言葉が、光明を生み出したようだった。


 どれだけ歩いただろう。

 地底の道は、どこまでも続いていた。

 分かれ道などはなく、単純に一本の道が続いているだけである。

 灯りなどはなく、エスリンの光が周囲を照らしている。

 悪魔などが出てくることもなかった。

 ただ道が続いているばかり。

 永遠に終わることのないかのような道。

 ミナトたちは、休むことなく歩き続けた。


 だんだん道が広くなってきた。

 最深部に近付いたのか。

 何かがミナトの足に当たった。

 足元を見ると、そこに何かの骨が転がっていた。

 道を進むにつれ、骨があちこちに散乱していた。

 人間の骨だ。

「これは…オロチが喰った人間か…?」

 ミナトは立ち止まって、ゴミのように転がっている人間の頭蓋骨を見た。

「おそらくな…。」

「じゃあもしかして…この中に、あの人間の英雄って奴もいたりして…。」

「生きてると考えるのは、難しいだろうな…。」

「くそっ!せっかく姉上がくれた剣を持ってたのに。そんな剣を使う奴なら、強いはずなのに!」

「私も気になってたの。その剣はアマト様が人間を守るために授けた宝剣。それを使いこなせる者は、本当に勇気があり、心に曇りのない者だけ。それほどの人間が、オロチにやられたとすれば、残念なことね…。」

「そんなすげー奴がやられるなんて…やっぱり、人間には無理ってことなのかな。」

「それなら、俺たちがやらなきゃな。そうだろ?ミナト。」

「ああ!」


 ミナトたちは、更に奥へと進んでいった。

 進むにつれて、骨の量も増えていった。まるで骨の山だ。

「あっ!待って!」

 エスリンが叫んだ。

「あそこに誰かいるわ!」

 エスリンが指した方を見ると、人が横たわっていた。

「おい!」

 ミナトが駆け寄った。その人は、死にかけた人間だった。

 ぼろぼろになった鎧を着ている。この人間が、英雄と呼ばれていた者に違いない。

「おい!しっかりしろ!俺たちが分かるか!」

 人間は、薄く目を開けた。

「み…水…。」

「水なら俺が。」

 ミナトは、右手から水を出し、人間の口に向かって注いだ。

「ごほっ…。」

 人間は苦しそうにむせながら、水を飲んだ。

「…あなたたちは…。」

「俺はミナトって神。今からオロチを倒しに行くんだ!」

「ミ…ミナト…様…?」

 弱々しい声にも驚きの響きがこもっていた。

「お前、東の都の英雄なんだろ。」

「…。」

 人間は、答えなかった。

「エスリン、何ボヤボヤしてんだ。こいつを治してやれよ。」

「…私には、消えかけている命を戻すことは出来ないわ…ごめんなさい…。」

「そんな!」

「…いいんです…。私は、英雄ではありません。自分の力におごり、名誉を求め、破滅した愚かな人間です…。私は、オロチを退治すれば、全ての人間の王になれると思っていました。…それが間違いだったのです…。私の醜い心は、アマト様から授かった剣にも伝わっていました…。オロチを倒そうとしたとき、剣は、私の意に逆らい、私の手を離れました。私は死を恐れ、命からがら、剣を捨てて逃げ出しました。しかしこんな私にはもう、逃げ場はなかったのです。…死ぬ間際になって、自分の愚かさを知りました…。悔やんでももう遅い…。私は、ここで死にます。それが英雄と呼ばれた者の、最後の誇りを守る…。」

 そして、息絶えた。

「…英雄…。」

 ミナトが呟いた。

「…でも、こいつはそれでも…皆を守って戦ってたんだ。」

「行こう。」

 シーロンが言った。

「その人間の死を無駄にしないためにもな。」

「…うん。」

 ミナトたちは、深淵に向かった。


 広い空間に、黒い怪物が横たわっていた。

 十六の赤い眼が光っている。

 エスリンの体から発する明るい光でも、怪物の姿の全てを見ることは出来なかった。

 ミナトたちにとっては広い場所でも、怪物にとっては狭い場所だった。

 身動きも出来ないくらいの狭さ。

 そこに、隠れるようにして怪物――オロチがいた。

「ここが、オロチの住処…。」

 ミナトは、オロチの赤い眼を見上げた。

 オロチは、十六の目をこちらに向けた。その目が、ゆっくりと近付いてくる。

「エスリン!もっと光を出せないのか!?オロチの姿が見えねー。」

「これで限界よ!目で見るより、感じること。見えなくても気配で分かるわ。」

 オロチの首のうちの一つが、大きく口を開けて、ミナトに迫っていた。

「分かった!」

 ミナトはオロチに喰われる寸前、後方に飛び退いた。

 オロチはさっきまでミナトのいた所を、長い舌で舐めていた。

「喰うことしか頭になさそうだな、こいつ。」

 ミナトは右手に意識を集中させ始めた。

「ここは、人型で戦うしかないな。俺にとっても狭すぎる。」

 シーロンは背中から翼を出し、空中に飛び上がった。

 そして、大きな炎を両手に纏うと、それは鋭い爪の形となった。

 シーロンは燃え盛る炎の爪を、オロチの体に振り下ろした。

「グガガアアア…!」

 オロチは炎の爪を喰らって暴れた。ものすごい地響きがして、洞窟はガラガラと崩れ始めた。

 それでも、オロチの硬い皮膚には何の効果もなかった。

「うわあ!」

 ミナトの上に土砂が降りかかってきた。地面は揺れ、まともに立っていられない。

「くそー!どうすりゃいいんだ!」

 エスリンが、光の弓矢をオロチに向かって放った。

「首が駄目なら、胴体を狙う!」

 オロチの首は切っても切っても再生を繰り返すのだ。

 しかし、エスリンの放った光の矢は、オロチの胴体に当たってそのまま霧散した。オロチの胴体は硬く、風の力も光の矢も効かなかった。

「ミナト!胴体を狙うのよ!」

「分かってる!」

 ミナトは右手に意識を集中させ、オロチを切るほどの巨大な氷の刃を作ろうとしていたが、それには時間がかかる。だが、その間にも洞窟は崩れ、土砂が降り、地面は揺れ、意識の集中が途切れてしまう。

「炎で攻撃しても、傷一つ付けられないばかりか、オロチが暴れて洞窟を破壊してこっちが埋まってしまう。…どうすればいい…。」

 シーロンは、ふと上を見上げた。

「この上はどうなっているんだ…何がある…?」

 竜の珠を取り出して、シーロンは竜に変身した。

「オロチと一緒にここから脱出する!」

「どーすんだよ!?」

「お前らは俺に乗れ。竜巻を起こして、上昇する。」

「私も竜巻を起こせるわ!」

 シーロンの考えがエスリンにも通じたのか、エスリンは巨大な竜巻を起こした。

「わあっ!!」

 崩れ落ちる地底の洞窟から、ミナトたちはシーロンに乗って上昇した。

 特大の竜巻を起こして無理矢理、地底から地上へと昇っていくのだ。

 シーロンが上昇しながら巻き起こす竜巻と、エスリンが起こした竜巻の二重の力で、大地は削り取られていった。そしてオロチも竜巻に巻き込まれ、上昇していた。

 体の感覚も分からないほどのスピード。ミナトは、ただ必死にシーロンにしがみついていた。


 何もない、荒廃した土地。

 上昇して辿り着いた場所は、幸いなことに、人のいない場所だった。

 ミナトたちは、大穴の開いた所から離れた場所に倒れていた。

「ここ…どこだ…?」

 ミナトは倒れたまま、辺りを見回した。

 目の前に、オロチの顔があった。オロチは目を閉じて気を失っているようだった。

「わっ!!」

 ミナトは驚いて、すばやくそこから離れた。

「どうやらここが悪魔の巣…らしいな。」

 ミナトが振り返ると、シーロンとエスリンがいた。

「悪魔の巣…?」

 草木も生えていない岩山。ミナトたちがいる所は広い台地になっていて、そこから下を覗くと、そこには悪魔たちがひしめいていた。まだ生まれたばかりなのか、普通の悪魔よりも小さく、角も短い。

 台地には、大きな穴が開いていた。底も見えないほどの深い穴。

「この穴は、俺たちが開けたんじゃない。最初から開いていた。おそらく、オロチが生み出した悪魔は、ここから地上に生まれ出ていたんだ。」

 シーロンが言った。

「わずかだが、俺には地上からの光が見えたんだ。もしかしたらと思ってな。…まあ、人間がいるかどうかなんてのは考えてなかったが…。」

「人間のいる所だったら、最悪だったってことか…。」

「幸い、オロチはまだ倒れてる。その間に、悪魔たちを滅ぼさせてもらおう。」

 シーロンは、台地の下に向かって炎を放った。辺り一面が炎の海と化した。

 悪魔たちは、炎に焼かれて、あっという間に灰になり、消えていった。

 突然、カッ、と赤い眼が見開いた。

 悪魔たちが消えたのと同時に、オロチが目を覚ました。

「オオオオオオ…!!」

 オロチから発せられた声は、悲しみに満ちていた。まるで、我が子を失った母のように。

 オロチは、八つの首を高く天に伸ばして、泣いていた。

「オロチ…。」

 ミナトは、右手に意識を集中させていた。

 オロチはただ八つの首を揺らして泣いている。

 まだ。まだミナトの力は集まっていない。オロチを倒せるほどの、強大な力は。

「ミナト!」

 シーロンも、体中に力を溜めていた。

「まだだ!」

 オロチの赤い眼がギラリと光った。

 いきなり、オロチは大きく首を振り回し、シーロンを突き飛ばした。

「オオオオオオ!!」

 オロチの赤い眼は、怒り狂ったようにギラギラと燃えていた。

 さらにオロチは、シーロンに向かって八つの頭を次々にぶつけて殴った。

 エスリンは、オロチに向かって光の矢を放ったが、やはり硬い体に当たってかき消された。

 シーロンは、動けなくなっていた。それでもオロチは、殴り続けている。

「シーロン!」

 ミナトは、思わずシーロンのもとへ行こうとした。

「ミナト!駄目!あなたがやるのよ!」

 そう言って、エスリンがオロチに向かっていった。

 光の矢を次々と放った。しかしオロチには効かない。

 オロチの赤い眼が、エスリンを捉えた。

 怒りの矛先を、今度はエスリンに向けた。

 エスリンは抵抗する間もなく、オロチの頭に殴り飛ばされた。

 シーロンもエスリンも、倒れて動かなくなった。

 ミナト一人。

 十六の赤い眼が、ミナトを捉えた。

 悲しい眼だった。


 ミナトは一人、オロチと対峙していた。

 ミナトもオロチも、身動き一つせずに、じっと睨み合っていた。

「こいつは、悪魔を生み出した元凶なんだ…。」

 ミナトは、何故か魔物と化したカイトの姿を思い浮かべていた。

 右手に、大きな力が集まっているのが分かった。

「お前が何者なのか…知らねえけど…お前は苦しんでる…。」

 シーロンとエスリンが倒れている。死んでいるのか生きているのか。

「誰だって苦しんでるんだ…お前は人間を苦しめた。だから俺たちがお前を倒しに来た。」

 ミナトをじっと見つめる十六の眼。

「お前にも心があるのか?」

 ミナトの力は、更に高まっていく。

「俺はお前を、ただの魔物だと思ってた…。」

 ミナトはカイトの笑顔を思い浮かべた。

 ヨミトの支配から解放された、カイトの魂。

 ミナトは、力を解放した。

 青い光。

 オロチよりも巨大な氷の山が、オロチを包み込んだ。

 オロチは氷の中に取り込まれ、凍結した。

「オロチ…。」

 ミナトが手をかざすと、巨大な氷はオロチごと砕け散った。

 キラキラと輝く氷の粒。

 オロチは消滅した。

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