第12章「友情」

「オロチは人々の苦しみや悲しみを糧としている…。喰らった人間の心…死の恐怖に満ちた心…オロチはそれをエネルギーとして悪魔を生み出す。」

 ヨミトは、傍らに跪いているカイトに話しかけるように言った。

「オロチは悲しい生き物だ。俺はあれを見つけたとき、そう思った。何故あんな生き物が地底に眠っていたのか…。喰らっては生み出し、生み出しては喰らう…それしか出来ない生き物。その子供である悪魔が母に代わって世界を苦しめる。オロチは何かに復讐しているのか…。」

 感情のない声が響く。

「カイト。」

 呼ばれると、カイトは頭を上げた。

「ミナトを殺せ。」

 ヨミトはカイトの頭を撫でて言った。その口元には、歪んだ笑みが浮かんでいる。

 カイトは無言で頭を下げると、部屋を出て行った。


 東の都。

 ミナトたちは、ルナの家で休息をとっていた。

「兄ちゃんはやっぱりいい神様だったんだね!」

 ルナの弟、ヒオキはすっかりミナトに懐いていた。ミナトに纏わりついている。

「ヒオキったら!…すみません。」

 ルナは謝った。

「いいって、別に。」

 ミナトは笑って言った。

「…でも私も驚きました。まさかあなたがミナト様だったなんて…。」

「ミナト様、もしよろしければ、私の娘、ルナをもらって下さい。」

 ルナの両親がにこにこと笑って言った。

「え??」

「ち、ちょっとお父さん!お母さん!」

 ルナは慌てて言って、恥ずかしそうにして俯いた。

「ルナは自慢の娘で…もし神様に嫁ぐことが出来たら、とても喜ばしいことです。」

「お、おいおい!何言ってんだよ。んなこと言われても困るって!」

 ミナトは顔を真っ赤にして言った。

「いいじゃないか。神が人間と結婚したって。」

 シーロンがにっこりと笑って言った。

「別にそんな気ねーよ!勝手に何言い出すんだ!」

「ミナト様は、ルナがお気に召しませんか…?」

 ルナの両親は、残念そうな顔をして言った。

「気に入るとか入らねーとか…んなことじゃねーんだよ!いきなり言われても…。」

 ミナトはちらりとルナを見た。ルナは頬を染め、俯いていた。その横顔が可愛らしかった。

「と、とにかく俺にはやらなきゃいけねーことがまだあんだよ!オロチだってまだ倒してねーし。」

「では、オロチを倒した暁には、ルナとの結婚を認めましょう。」

 両親は二人でにこにこしている。

「何であんたらが認めるんだよ!俺は結婚するなんて言ってねーだろ。」

 ミナトは困ったように後ろを向いた。

「兄ちゃん、姉ちゃんのこと嫌いなの…?」

 ヒオキが泣きそうな顔でミナトの顔を覗き込んできた。

「だから、違うっての。」

 ミナトは本当に困った表情になった。ヒオキは今にも泣きそうだ。

「エスリン~。助けてくれよ~…。」

「どうして私に助けを求めるの?いいじゃない。オロチを倒したらご褒美がもらえるのよ。そう思って頑張ればいいでしょ?」

 冷たくエスリンは笑った。

「うう~~。」

 ミナトは頭を抱えた。


 翌朝と言える時間。

 ミナトたちはルナの家を後にして、湖に向かった。

「湖の底に横穴があって、オロチはそこに入っていったんだよな。しかも、腹の中から悪魔を生み出してたなんて…。」

「ええ。私見たわ。オロチの腹に穴が開いてて、そこから悪魔が出て来たのを。」

「だから、なんかぐちゃぐちゃしてたのか…悪魔の奴ら…。生まれたてで…。」

 ミナトははっと思い出したように目を輝かせた。

「そんときさ、俺、すげーこと出来たんだ!大雨を降らせて、そしたら悪魔が雨に当たって消えてったんだ!」

「へえ。すごいじゃないか。雨を降らせることが出来たとは。氷の技と雨があれば、使えるな。」

 シーロンが褒めた。

「ようやくって感じね。」

「ふん!エスリンにも雨を降らせてやるか?お前なんか消えちまうぜ?」

「…。」

 エスリンは何も言わなかった。ミナトは何だか拍子抜けしてしまった。

「何なんだよ…。」

「私たちはオロチを倒しに来たのよ。はしゃいでないで、真面目にやること。」

 エスリンの言い方は、どこか冷たかった。

「別にはしゃいでねーよ!…ふん。」

「全く…。ケンカしてばっかりだね、君たちは…。」

 シーロンが呆れたように言った。


 湖に到着した。

「オロチの入っていった横穴は、かなり深い所にある。俺について来るんだ。」

 シーロンが先に湖に飛び込んだ。

 ミナトとエスリンは無言で、湖に潜っていった。

 奥深く潜っていくと、湖の底の縁に、大きな横穴が開いていた。

「よし、入るぞ。」

 シーロンが穴に入っていった。その後をミナト、エスリンが続いて入っていった。


 ずっと泳いでいくと、上の方に水面が見えた。水面から顔を出すと、そこは大きな洞窟になっていた。

「ここが地底か。湖の底から、オロチのいる地底の洞窟に繋がっていたんだな…。」

 水から上がり、辺りを見回して、シーロンが言った。

 ミナトとエスリンも水から上がってきた。

「ここ…どこなんだ??」

「地底だよ。多分、古文書にあったという所だろう。オロチの巣があるかもしれない…。」

「待って…誰かいるわ…。」

 エスリンが耳をそばだてた。

「オロチか!?」

 ミナトは身構えた。

「いいえ…もっと小さい足音…魔物かしら。」

 三人は動かずに、遠くの暗闇を見据え、じっと身構えていた。

 暗い影の中から現れたのは、一匹の魔物だった。

「グオオオ…。」

 黒い体をした魔物だった。全身を硬そうな毛で覆われており、太い尾が生え、背中には小さな翼が生え、四つ足で立っている。その足の先には、鋭い鉤爪が生えている。大きな狼のような魔物で、赤い目をしており、口からは鋭い牙が突き出ていた。

 魔物は、ミナトに向かって牙を剥き、襲い掛かってきた。

「こんなの、オロチに比べりゃ雑魚だ!」

 ミナトは右手をかざして氷の塊を魔物にぶつけた。氷の塊は魔物に当たって砕け散った。

「くそ!こんなんじゃ効かねーか!」

「グオオオオ!」

 魔物は、大きく口を開けて、ミナトに噛み付こうと襲い掛かってきたが、ミナトは何とかかわした。そこへシーロンが火の玉を魔物に投げつけ、魔物はたちまち全身を炎に包まれた。

「グガアアア…!」

 炎に包まれた毛がごそりと抜け落ち、魔物は毛のない黒い皮膚だけの姿となった。皮膚も硬そうで、所々にひびが入っていた。

 魔物は、赤い目を光らせ、ミナトに向かって飛び掛かってきた。

「うらア!」

 ミナトは両手で大きな氷の刃を作り出し、魔物の腹に深く突き刺した。

「グガガガガ…。」

 魔物は苦しみの声を上げ、倒れた。

「へへん。楽勝!」

 しかし魔物の姿はまた変化していった。魔物は腹に氷の刃が刺さったまま、よろよろと二本足で立ち上がり、全身を黒い鎧で覆われた人のような姿となり、背中の翼が伸びて大きく広がった。

「一体何なんだ…こいつは…。」

 ミナトは不審な目で魔物を睨んだ。魔物も、赤い目でミナトを睨んでいる。

 魔物は、じっとミナトを睨み付けたまま、腹に刺さった氷の刃をゆっくりと抜き、地面に叩き落した。腹から、赤い血が噴き出し、どくどくと流れ出た。

「コロス…。」

 魔物はさっきよりも格段に俊敏な動きでミナトに迫り、ミナトの胸をえぐるように鋭い爪を立てて殴りかかってきたが、わずかにミナトが後方によけ、爪はミナトの胸の表面を引っ掻いた。

「くっ…!」

 ミナトは魔物の攻撃をよけようとしたが、すぐに背後に回りこまれ、首に爪を突き立てられた。鋭い爪が、ミナトの首に食い込み、血が細く流れ出てきた。

 エスリンが光の剣を作り出し、シーロンが火の玉を作り出して、魔物を挟み撃ちにしようとしたが、魔物は素早く翼を広げて上に飛び上がってかわした。

「シネ…ミナト…。」

 魔物はミナトだけを狙っていた。ミナトを殴り飛ばし、動けなくなったミナトの体に馬乗りになって、体を押さえつけた。そして鋭い爪をミナトの首にずぶずぶと突き刺してきた。

「ぐっ…。」

 ミナトは、思い切り魔物の頭に頭突きを喰らわせた。

「グオオ…!」

 魔物はよろめき、思わずミナトから手を離し後方に退いた。ミナトはその隙に魔物から逃れ、首を押さえながら立ち上がった。魔物の頭の部分のひび割れた硬い皮膚が剝げ落ちて、中から人の頭が現れた。

「カ…カイト…!?」

 ミナトはその顔を見て驚きの声を上げた。カイトの顔だった。しかし目の前にいる魔物らしき者は、赤い目を光らせてミナトを睨んでいる。

「カイト…?カイトなのか…?」

「グアアア…。」

 魔物は唸り声を上げ、鋭い爪を広げてミナトに襲い掛かってきた。

「ミナト!」

 シーロンが魔物に攻撃を放とうとした。

「やめろ!シーロン!こいつは…カイトだ!」

「何を言ってる!」

 シーロンは容赦なく魔物を突き飛ばし、炎を放った。

「やめてくれ!」

 ミナトはシーロンに飛びついた。エスリンはおろおろと様子を見ていた。

「グオオオオ!!」

 炎に体を焼かれ、魔物は悶え苦しんでいる。

「シーロン!やめろっ!!」

 ミナトは手から水を放出させ、炎を消した。

「馬鹿なことを…ミナト。あいつは魔物だ。お前の親友ではない。」

「分かるんだ!あいつは姿はあんなでも、カイトなんだ!」

 ミナトは魔物に駆け寄った。

「カイト!カイトなんだろ!」

「ウグオオオ…。」

 魔物の口から出るのは低い唸り声だけだった。

「何でこんな姿に…。」

 ヨミトの顔がちらりと浮かんだ。

「まさか…ヨミトが…くそっ!」

「ギャアアア!」

 いきなり、魔物が起き上がってミナトを突き飛ばした。

「ミナト!こいつはお前を殺すことしか考えてない!」

 シーロンはミナトの前に立ちはだかり、魔物を睨み付けた。

「ジャマ…スルナ…ミナト…コロス…。」

「カイト!どうしたってんだよ!ヨミトに…洗脳されちまったのかよ!?」

「コロス…。」

 シーロンが、襲い掛かってきた魔物の腹を殴り、そこから炎がじわじわと魔物の体を蝕み、炎は全身に広がった。

「やめろ!」

 ミナトは叫び、右手に水を作り出そうとした。

「ミナト!冷静になれ!」

 シーロンはミナトの両手を押さえつけた。

「だってあいつは…俺の友達なんだ!カイトだ!」

「違う!魔物だ!」

「魔物じゃない!ヨミトに洗脳されてるだけなんだ!!」

「だとしても手遅れだ。」

「俺が助けてみせる!今ならまだ間に合う!カイト、目を覚ますんだ!」

「グオオオオオ…!」

 炎に包まれながら、魔物は苦しみに悶え叫ぶばかりであった。

「カイト!!」

「お前がミナトの親友なら、すぐに苦しみから解放してやる。」

 そう言うと、シーロンは炎を纏った拳で魔物の心臓部を焼き貫いた。

「ウオオオオ…!」

 魔物は、低く、弱々しい声を発した。

「何するんだ…!」

 体から火が消え、魔物は動かなくなった。そのカイトに似た顔は、目を閉じ、安らかな表情をしていた。シーロンは苦々しい表情でその場から離れた。

「カイト…?」

 ミナトは魔物の顔に触れた。冷たくなっていた。呼吸もない。ただカイトの穏やかな顔がそこにあった。

「カイト…。」

 ミナトは死んだ魔物を呆然と見つめていた。

 魔物の死体から、ぼうっと青い燐火りんかのようなものが出てきた。

 燐火は、ミナトの周りをゆらゆらと廻った。

「これは…カイトの魂…?」

 ミナトはその燐火に触れた。すると、ミナトの心に声が響いてきた。

(ミナト…やっと解放されたよ…。ありがとう。)

 それは、カイトの声だった。

「カイト!」

(俺はずっと苦しんでいたんだ…ヨミト様に心を支配されて…だがもう…苦しみはない。最後に…お前に会えて良かった。これでいいんだ…ありがとう…ミナト…。さよなら…。)

 カイトの魂はゆっくりと上昇し、暗闇の中へと消えていった。

「カイト…!」

 ミナトはカイトの魂が消えた場所をじっと見上げていた。そして、うなだれた。

 シーロンは黙って俯いていた。エスリンも黙ってミナトを見つめていた。

「ありがとう…シーロン…俺のために…。俺には出来なかった。あいつを助けることは…。」

 ミナトが下を向いたまま言った。

「あいつは感謝してた。あんな姿にされて苦しんでたって。それを解放されて…。」

 ミナトの声が震えた。

「俺は…あいつを助けたかった…。」

 ミナトは体中を震わせていた。

 しばらくの間、ミナトは無言でうなだれていた。

 痛いほどの沈黙が、辺りを包んでいた。

「…許せねえ…。絶対に…。」

 震えが止まった。

「ヨミトォーーーー…!!」

 ミナトが叫んだ。叫び声は、洞窟中に響き渡った。

「うおおおおおおお!!」

 ミナトは叫んだ。

 怒りと悲しみが溢れ出した。

 失った悲しみ。運命への無力さに対する怒り。

 感情が爆発した。

 ミナトの顔つきが変わった。

 覚悟が出来た。

 非情な運命への覚悟が。

「…俺は、支配されない。何があっても、俺は自分を失わない。苦しみにも悲しみにも耐える。俺は、強くなる。自分の力で。切り開いてみせる。」

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