第7章「樹海の主」(2)
神や精霊、竜人族のような、人間以外の生き物は、あまり食物を食べない。食べる必要がないのだ。たまに果物などを食べることはあるが、それはただ食べたいというだけで、お腹がすいたから食べるということではない。又、お腹がすくということもない。
人間は食物を食べて生きている。その食物は、神の力で育った生命である。植物も動物も人間も、皆神に与えられた生命を食べて生きている。米一粒にも、神の生命力が宿っているのだ。
悪魔は、肉を好んで食べる。特に、人間の肉。骨までしゃぶりつくす。
悪魔と獣の雑じった魔物は、何でも食べるが、やはり肉を好んで食べる。
悪魔や魔物も、食物を食べなくても生きていけるが、彼らは生きるために食べるのではなく、欲するから食べる。彼らの胃袋は、どの生物よりも貪欲なのである。
ミナトは修行の後、リンゴを食べていた。赤くみずみずしい、甘いリンゴ。
「うまい。」
そのリンゴは、エスリンが近くの森から取ってきたのだった。ミナトへのささやかなご褒美に。
「シーロンさんも、どうぞ。」
エスリンはシーロンにもリンゴを差し出した。
「ありがとう。」
シーロンもリンゴをかじった。
三人でリンゴを食べていた。しゃりしゃりという音だけが響いている。
「うまかった。また食いたいな。どこにあったんだ?」
ミナトはリンゴの芯まで全部平らげていた。
「近くに森があって…行ってみます?悪魔もいないようだったし…。」
「おう!」
三人は、森の中へ入っていった。
緑の森の中。
ここだけ、明るい光が差していた。
昼間のような明るさ。温かい穏やかな光。
青々とした葉をいっぱいに付けた木々が生い茂っていた。
まるで木々の海。樹海。
「なんだか不思議な所だな…。」
ミナトは呟いた。
とても静かな森だった。時々、鳥のさえずりが聞こえる。
暗闇の世界の中にあるということを忘れそうな景色だった。
しばらく奥へ進んで行くと、とても大きな木があった。
陽を遮るほど空まで高く、周りを何十人もの人が囲むことの出来るほど、大きな木。
根が地上にまで露わになり、豊かに生い茂った葉は、深い緑に輝き、木全体が光って見えた。
まるで、この樹海の主とも言うべき風格の漂う見事な木である。
三人はしばらく、その木に見入っていた。
すると、木の下にぼうっと光が浮かび上がり、一人の光り輝く人物が現れた。
「あなたは…ミナト様…ですね…。」
その人物は静かに言った。澄んだ声だった。
「ああ。あんたは誰なんだ?」
「私は、この樹の精霊。樹海の主とも呼ばれています。」
樹海の主は、薄い緑の長いローブを身に纏い、手には
「へえ。樹海の主さんか。ここだけ、こんなに綺麗なのは、あんたが守ってくれてるおかげなんだな。」
「それが…私はもうじき死んでしまうのです。」
「ええっ!?」
「毒の病に侵されてしまって…。この根元をよく見て下さい。」
言われて見ると、大木の根元に、黒く変色している部分が所々あった。
「何で毒の病に…?」
「悪魔に毒の粉を振り撒かれてしまったのです。私は悪魔と戦いましたが、全てを防ぐことは出来ませんでした。この森の木々も、いずれは病によって、皆死に絶えてしまうでしょう。」
「何て奴らだ!人間を襲うだけじゃなく、森まで…!何とか毒を消すことは出来ないのか?エスリンにも、治せないのか!?」
エスリンは小さく首を振った。
「残念ながら、毒を消すことは出来ません。私の病も治りません。…何百年とこの森を守ってきましたが…本当に残念です…。」
許せない、とミナトは歯を食いしばった。悪魔は、このような卑劣な手段で、地上を破壊している。そして、それを野放しにしていたヨミト。ミナトの中に、どんどん怒りが込み上げてきた。
「ミナト様。どうか私のお願いを聞いて頂けませんか。」
そう言って、樹海の主は、ミナトの手に何か小さなものを渡した。ミナトは手を広げ、その小さなものを見た。緑色の種だった。
「それは私の分身なのです。どこか美しく、清らかな場所を見つけましたら…、その種を土に蒔いてくれませんか。そうすればきっと、また新しい森が育つでしょう。」
小さな種は、新緑の色をしていて、宝石のようにきらりと光った。
「分かった!すげえいい場所を見つけてやるよ!」
「ありがとうございます。今日、ミナト様に出会えてよかった…。」
樹海の主の姿は徐々に薄れて、消えていった。
「約束するよ。必ず森を復活させてみせる!」
ミナトは、緑の種をそっと握り締めた。
その後、夜と思われる時間。
ミナトたちは樹海の主の大木の下で眠っていた。
森はまだ明るかった。この明るさは、樹海の主の宿ったこの大木の光なのだろう。
だが、平和は赤い炎の襲来でかき消された。
「ミナト様!目を覚まして下さい!」
エスリンに起こされて、ミナトが目を開けると、辺りは一面、火の海だった。
「な、何だ!何が起きたんだ!?」
「分からないけど、おそらく悪魔が森に火をつけたんだと…。」
「なにい!樹海の主さんを守らなきゃ!」
ミナトたちの前で、竜に変身したシーロンが翼で風をおこして炎をなぎ払おうとしていたが、炎はますます広がるばかりであった。
「駄目だ。俺の炎と風の力ではどうにもならない。水の力が必要だ!」
「水の力…。」
ミナトは、水の神。王のときは自在に水を操り、水の精霊を呼び出したり、水の力を思う存分使っていた。だが今は、王の力を失った今は、水の力をコントロールする自信がなかった。天界を追放されてからは、一度も水の力を使っていない。修行のときも、水の力を使えたためしがなかった。
「ミナト!迷ってるヒマはないわ。やるのよ!水の力を使うの!」
「分かってるよ!」
ミナトは、右手に意識を集中させた。王だったときの感覚を思い出そうとした。あのときはどうやって力をコントロールしていたのか…。
炎は勢いを増し、ミナトたちを取り囲んだ。
力を使い果たしたのか、シーロンが竜の姿から人型に戻った。息を切らしている。
「だ…駄目だ。…俺たちまで炎に飲まれてしまう。」
「シーロンさん!大丈夫。ミナトを信じて!樹海の主様を私たちで守りましょう!」
エスリンはミナトを見守っていた。
ミナトはまだ目を閉じたままだった。
「俺が…守る!」
ミナトは、目をかっと見開き、右手を開いて前に突き出した。
右手から出たのは、小さな泡だった。ふわふわと頼りない泡が、炎に向かってゆらりと飛んでいき、やがて消えた。
「そ…そんな…。」
ミナトはその場にへたりと座り込んだ。
「ちくしょう!!」
(逃げて…下さい…。私のことは構わずに…。)
「樹海の主さん!!」
悔しさのあまり、ミナトの目から涙が零れ落ちた。
(あなた方を巻き込むわけにはいきません…。)
樹海の主の声が響き渡った。
「…行こう。」
シーロンが、背中から羽を出し、ミナトの両腕を掴んで空に飛び上がった。エスリンも、未練を残したように樹海の主の大木を眺めながら、空中に羽ばたいた。
「離せーー!!今度はちゃんとやるから!樹海の主さんを守りたいんだ!降ろせよ!森があんなになって…!見殺しになんてできねーよお!!」
ミナトは大声で叫び、暴れた。だがシーロンはミナトの腕を離さなかった。一層力を込めて、ミナトを抑えた。
「俺のせいで…。」
ミナトは、炎に包まれている樹海を見下ろし、泣いた。
「お前のせいじゃない…俺も、何も出来なかった…。」
シーロンが言った。
「ミナト…。」
エスリンはミナトを見つめ、下を向いた。
「ごめんなさい…ミナト…ごめん…。」
エスリンは顔を覆った。それしか言えなかった。この機会に、ミナトに力を使わせようとしたのが間違いだったと、エスリンは反省していた。だが、それを口に出すことは出来ない。ミナトの力の無さを責めることになってしまう。ミナトは悪くない。誰も悪くはない。
どうしようもなかった。
翌朝と思われる時間。
月明かりの中で、ミナトたちは焼け野原となった樹海に
「俺が力を使えていれば…こんなことには…。」
「ミナト。それ以上言うな。どうしようもないことだってある。俺だって悔しいさ。」
「……。」
エスリンは無言で、下を向いていた。
「エスリン、悪かったな。せっかく俺のこと信じてくれたのに。あんなに修行しても、まだまだってことなんだな。これからは文句言わねーで、俺、頑張るよ。」
「……。」
エスリンはしゃがみこんだ。
「そんなに落ち込まなくても。ミナトがこう言ってるんだし、元気出して。エスリン。」
シーロンが、エスリンの肩をぽんと軽く叩いた。
「…そうね。」
やっと、エスリンは立ち上がった。
「駄目な神様を育てるのって、大変。」
にこっと笑って、エスリンはミナトを見た。
「な、何を~~~!!また俺をバカにしやがってエ~~~!!」
ミナトは
「あら?これからは文句言わないんじゃなかったの?」
「うるせーー!!ムカつくトリ女!!」
「やめろ。女の子にそんなことを言っちゃあだめだよ。」
暴れるミナトをシーロンが取り押さえた。それを、ふふふと笑ってエスリンが見ている。
「そんなにムカつくんなら、私をぶっ飛ばしてみなさいよ。」
エスリンが挑発した。
「望む所だあああーーー!!」
無意識に、ミナトは右手に意識を集中させ、そのまま手を広げていた。右手から水がほとばしり、エスリンの全身に水がかかってびしょ濡れになった。
「ああっ!何するの!」
「…あれ?何でか知らないけど、水の力が…。…やったあ~~!!」
ミナトは飛び上がって喜んだ。
「やったー!じゃないでしょ。…もう。」
しかし、エスリンは嬉しそうに笑った。
「出来た!出来た!水の力!この調子で修行だー!」
「一人でやってよね。私はこれ以上ずぶ濡れになりたくないわ。」
「よーし、じゃあ俺が相手になるよ。俺は火と風の力を持ってるからな。」
こうして、ミナトは二人の師範に鍛えられることになった。
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