第7章「樹海の主」(1)

 群青の海から、突如、銀の飛沫が天高く上がった。

 まるで大きな竜巻のよう。

 まさに、それは竜だった。大きな白銀の竜。

 背中に大きな翼の生えた竜。

 白銀の美しい竜は、背中に二人の人を乗せていた。

 水色の髪の少年と、金色の長い髪と翼を持つ少女。

「すっげえーーー!!」

 ミナトは大声ではしゃいでいた。

「あっという間に海底から地上に来たよ。速えーなあ、シーロン!」

 シーロンは、竜戦士のリーダーということだけあり、戦闘能力に長けているばかりでなく、その飛行、潜行速度もずば抜けて速かった。

(君たちを乗せていなかったら、もっと速く進むことも出来る。最も、あまりスピードを出し過ぎると、その分体に負担がかかるんだけどね。)

 ゆっくりと空中を飛行しながら、シーロンはミナトたちの心の中に話しかけてきた。

 陸地が見えてきた。

 シーロンは浜辺に降り立った。背中からミナトたちが砂浜に降りると、シーロンの手の中にある竜の珠が光り、その姿は竜の姿から人型に変わった。銀髪の青年の姿である。

 浜辺には人気がないが、近くに村が見えた。

 不気味なほど静かだった。

「早速現れたな…。」

 シーロンの赤い目が鋭く光った。ミナトたちも身構えた。

 岩陰から、二匹の悪魔が這い出てきた。

 青い体に二本の角。ぎらぎらと光る目。

「うわっ!」

 ミナトが後ろから突然襲ってきたもう一匹の悪魔に捕らえられた。前方の悪魔に気を取られて、後ろに注意を払っていなかったのだ。悪魔は、ミナトの背中に飛びついたまま、首を絞めつけてきた。

「うぐぐぐ…。」

 苦しみながら、ミナトは悪魔を振り解こうともがいた。

「ミナト!」

 エスリンがミナトの方を振り返った。

 前方の二匹の悪魔が二手に分かれて、一匹はエスリンに、もう一匹はシーロンに飛び掛かってきた。が、次の瞬間、二匹の悪魔は何かに切り裂かれたように、真っ二つになり、上半身と下半身に分断され、地面に転がった。

 エスリンは一瞬それを驚いたようにして見たが、すぐにミナトの方に向き直り、ミナトの背後に回って、背中に飛びついている悪魔の尾を強く引っ張った。悪魔はきいと鳴いて一瞬ミナトの首を絞めている手を緩めた。それを逃さず、エスリンは悪魔の脇腹に蹴りを入れ、そのまま悪魔をミナトから引き剥がした。その衝撃で、ミナトも一緒に倒れ込んだ。

「いててて…!」

 ミナトは転がったまま、首を押さえていた。

 倒れた悪魔に向かって、シーロンがすばやく手を振り下ろすと、刃のような鋭い風が飛んでいった。

 風の刃が悪魔に当たると、悪魔は綺麗に真っ二つに切り裂かれた。

 それでもまだうごめいている悪魔たちの肉の塊。

 シーロンは、手から炎を放出して、悪魔の肉塊を焼いた。一瞬にして悪魔は灰となって消えた。

「やっぱすげえな…。」

 シーロンを見てミナトが呟いた。

「二人と聞いていたが…。」

 崖の上から、低く太い声がした。

 声のした方を見上げると、頭に一本の角を生やした赤黒い大きな体の者が立っていた。鬼だ。

 鬼は、崖の上から飛び降り、地面がドスンと大きく鳴った。

「何故、竜人が…?」

 鬼はシーロンを睨み付け、そしてミナトの方を見た。

「まあいい。とにかく、ミナトを連れ戻せという命令だからな。ミナトさえ捕まえられればいい。」

「くそ!煉獄からの追手か!」

 ミナトは身構えて、前方の鬼に警戒しながら、きょろきょろと周りを見回した。

「ミナト。もう悪魔はいない。こいつだけだ。安心しろ。」

 シーロンが言った。

「ふん。悪魔を倒していい気分か。あいつらは雑魚だ。」

 鬼はその体からは想像もつかない身軽さで、シーロンの頭上を飛び越え、ミナトに迫って来た。

 ミナトの前にエスリンが立ちはだかり、鋭い爪の生えた足を高く振り上げた。

「あっ!」

 鬼は、エスリンの足を掴み、そのまま放り投げた。空中に投げられたエスリンをシーロンが受け止めた。

「ちくしょう!」

 ミナトは鬼に向かって拳を突き出したが、その腕を鬼に掴まれてしまった。

「俺だって…!」

 ミナトはじたばたともがいたが、鬼はびくともせず、ミナトを見下ろして笑っていた。

「さて、煉獄に戻るとしようか。」

 鬼がそう言った直後、その背に向かって風の刃が飛んできた。シーロンが放った一撃だった。それは鬼の分厚い背中に当たったが、わずかな細い切り傷を作っただけだった。

「そんなものでやられるか。」

 鬼は、ミナトから手を離し、シーロンの方を向いた。

「面白い。お前も煉獄に連れて行くか。」

 余裕の表情で、鬼はシーロンに近付いて来た。鬼は背の高いシーロンよりも更に高く、体も大きい。シーロンが小柄に見えるほどだった。

 シーロンは炎を両手から放ち、鬼の体を焼いた。分厚い皮膚の表面が焼けても、鬼は平然としていた。

「こんな炎など、俺には効かない。」

「シーロン!竜に変身すれば…!」

 ミナトが叫んだ。

「大丈夫。このままで十分だ。」

 シーロンの背中の突起から、翼が生えてきた。シーロンは翼を広げて空中に浮かぶと、翼をバサバサと動かし始めた。するとシーロンの周りに風が起こり、そのまま回転しながら鬼に体当たりした。

「ぐああっ!」

 鬼の体の表面に、無数の傷が生じた。シーロンの体を取り巻く風は、外側に向かって鋭利な刃の形状となっていた。シーロンが手を上げると、体を取り巻いていた風は上昇し、シーロンの手の上で、一つの塊となって一点に集中した。そしてそれは、大きな三日月形の刃となって回転しながら飛んでいった。

 回転して飛んできた風の刃を、鬼は何とかかわしたが、シーロンが手を動かすと、それによって風の刃は方向転換して、鬼に向かって飛んできた。

 鬼の首が飛んだ。

 切り裂かれた鬼の首が、地面に転がった。

 更に、風の刃は鬼の体を八つ裂きにした。

 肉片と化した鬼。そこにシーロンが炎を放つと、鬼の残骸はメラメラと焼け、ゆっくりと灰に変わっていった。

「これが鬼か。」

 平然とした顔でシーロンは言った。

「す…すげえ…。」

 唖然とした表情で、ミナトはシーロンを見つめていた。

「あの鬼を…。」

 ミナトは煉獄での日々を思い出し、嫌な気分になった。

「ちくしょう!!」

 またも、何も出来なかった。悔しくてミナトは地面を叩いた。

「…そういえば、君たちのことは何も聞いてなかったけど…、煉獄からの追手とは、どういうわけなんだ?」

 シーロンが尋ねた。

「ああ…そういえば話してなかったな。何から言えばいいのか…。」

「私が説明するわ。」


「ええ!?月の神のヨミトがアマトを…?」

 全ての事情を説明されたシーロンは、驚いていた。

「…となれば、ヨミトが我々の敵か。だがミナト、ヨミトはお前の兄なんだろう?覚悟は出来ているのか?」

「ああ…。兄上には会って、真実を確かめたから…。」

「そうか…。しかし、アマトを救う手立てがないとは…困ったね。しかも、月の神のはずのヨミトは、悪魔たちを束ねる魔王だったとは…。いくら俺が竜戦士でも一人ではかなわないだろうな。」

「シーロンさん。私も戦えます。この中で一番弱いのは、ミナト様なんです。」

「そ、そうなのか?…まあ確かにミナトは弱そうだけど…。」

「なに~~っ!」

 ミナトは顔を真っ赤にして怒った。

「…エスリンが戦えるとは、意外だなあ。こんな可愛い子が…。」

「可愛い…?」

 エスリンは赤くなった。

「可愛くねーよ!こいつしょっちゅう修行中に俺に蹴り食らわせて、怪我させやがるんだ。」

「ははは。じゃあやっぱりミナトより、エスリンが強いんだね。」

「くそう!俺だって、悪魔退治をして強くなってやるんだ!」

 ミナトは悔しくなってすねた。

「ま、悪魔退治ってのはいいかもね。悪魔はどんどん増え続けてるわけだし、そいつらを抑えるはずの王が魔王に成り下がってんなら、俺たちが何とかしないとな。」


 地上は、昼も夜も分からなくなっていた。

 いつでも暗く、月明かりだけが照らしている世界。

 月の国と同じであった。

 悪魔や魔物も以前にも増してはびこっていた。


 海の近くにあった村に、ミナトたちは立ち寄った。

 既に悪魔の襲撃を受けたのか、人の気配はなく、家々は瓦礫と化していた。

「悪魔にやられたのか…。」

 ミナトは悔しそうに、拳を握り締めた。

「東の都を目指しましょう。」

 エスリンが言った。

「東の都は、地上で最もアマト様の力が強く影響する場所。そこに行けば、アマト様を助ける手掛かりが見つかるかもしれないわ。」

「やけに、エスリンはアマトのことに詳しいんだね。」

 シーロンは言った。

「私は、アマト様の下僕なんです。今は人の姿をしていますが、もとは鳥の姿でした。」

「ふうん…。俺と似たようなものなんだね。」

「…さっきから気になってんだけどさ、何でシーロンて姉上をアマトとかって呼び捨てにするんだ?お前より偉いって分かってんだろ?」

「俺たち竜人族にとっては竜王様が一番偉い。他は関係ないんだ。神も同等レベル。呼び捨てされると気になる?何だか竜王様と姫様以外をそんなふうに呼ぶのは、慣れなくてさ。」

「まあ別に構わないけど。竜人族って神と同じレベルなのか…。精霊じゃないってことは分かるけど。」

「俺たちの歴史も神と同じくらい古いからね。まあ、そんな長い歴史を語るのは面倒だから聞かないでね。」

「けど、面白いな。俺は知識でしか知らなかったけど、世界には色んな種族がいて、色んな場所があって。何か今更目覚めたって感じだよ。」

「ふふ。ミナトは今まで、悪戯したり、遊んでばっかりだったものね。」

「うるせーな!もう俺は昔のバカな俺じゃないんだ!…ってーか今、俺のこと呼び捨てしたな!」

「あら。だって、私以下のレベルって気が付いたの。ミナトは。」

 エスリンはふふんと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「この~~!たかが精霊の分際で~~!!」

 ミナトはきいいと怒ってエスリンに掴みかかろうとしたが、シーロンに止められた。

「やめろって。女の子に対してすることじゃないだろ。」

「だって、悔しいんだ!」

「じゃあ、修行で悔しさを私にぶつけなさい!」

 エスリンが立ち上がって挑発するようなポーズをとった。

「望む所だあああ!!」

 そしてミナトとエスリンの修行タイムが始まった。

「…面白いな、こいつら。」

 シーロンは、二人を寝転がって眺めていたが、そのうちすやすやと眠りに落ちていった。

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