第4章「脱獄」

 太陽の国。いや、アマトが王座から離れた今は、そう呼ぶことは正しくないかもしれない。ましてや、太陽も出ていない暗闇の世界なのだから。

 神々の住む天界。今の主は、ヨミトである。ヨミト自らが、アマトの代理として王となることを望み、神々の会議で決定された。

「姉上は、私に王座を譲りたいと仰っておりました。」

 ヨミトは神々の中央に立って、堂々と発言した。

「今、姉上はミナトのことで心身共に非常に弱っており、とても王としての職務をこなせない状態にあります。私はそんな姉上をこのままにしてはおけないと思いました。姉上が元の状態に戻るまで、私が姉上の代わりにこの国の王になります。勿論、太陽は姉上が元通りになるまで復活出来ません。しかし私が世界を姉上、そしてミナトの分まで守ることを約束します。」

「ヨミト様が王となることに異議はありません。ただ、失礼ですが、月の国をヨミト様が監視しておられても、未だに悪魔は人間界にはびこっている様子。ヨミト様が月の国と太陽の国両方の王となられたら、月の国の監視は弱まってしまうのではありませんか?」

 一人の神が言った。

 すると、現在の海の王であるカイトが立ち上がって言った。

「それは、私の力の及ばないせいです。ヨミト様は元々月の国の王であらせられます。ただでさえ、悪魔たちを抑えるのは容易なことではない上、ミナト様が王座から抜けてしまい、アマト様がお隠れになってしまった今、すぐにでもこの天界に正当な王、つまりヨミト様が天界の王となることは必至。私がミナト様の穴埋めとなるのには力不足とは思いますが、アマト様が戻られるまで、我々が団結し、協力し合って世界を守っていくべきだと思います。」

 カイトの言葉に、ヨミトは頷いた。

「ミナトが王座から抜けた時点で、三神の守りは崩れてしまい、世界に災いが起こりやすくなってしまったのですから、私一人の力では、どうしようもありません。かと言って、海の国のカイト殿のように、月の国にも王を新たに任命することは、三神の守りを完全に消滅させてしまうことになってしまいます。そもそも、太陽の国、月の国、海の国は我々姉弟が父上、つまりカオス様から受け継いだ世界。統治を命じられた世界なのです。ミナトの件は別として、我ら姉弟以外の者に支配権を譲り渡すことは本来、カオス様の意に反することなのです。悪魔の件に関しましては、長い目で見守って頂きたい。いずれ、奴らを滅ぼしてみせますから。」

 ヨミトは力強く言い切った。神々は何の疑問も持たず、納得した。

「それで、姉上の鏡と、ミナトの剣の行方は…?」

「残念ながら、どこを探しても見つかりません。引き続き、皆で協力して探してみますが…。」

「そうですか。」

 さほど表情を変えず、ヨミトは残念そうに言った。

「せめて、鏡が見つかれば、天岩戸が開かれるかもしれないと思ったのですが…そうすれば、この暗闇も、少しは晴れるかと…。」

 一人の神が言った。

 神々の会議が終わると、すぐにヨミトは会議場を去って行った。

「ヨミト様、今まで以上にお忙しいだろうに、全く疲れた表情をお見せにならない。アマト様がお隠れになる前からも、アマト様を気遣って、毎日この国へいらしていたし…。本当に素晴らしい方だ。」

 神々は口々にヨミトを褒め称えた。

 しかし。

「馬鹿どもが。」

 会議場を後にしたヨミトは、楽しそうな笑みを口元に浮かべた。

「鏡など、見つかるはずがない。俺の手元にあるのだからな…。」

 そう呟いて、ヨミトはふと表情を曇らせた。

「ミナトの剣は…まさか…。」


 ミナトたちが泊まっている宿。

 そこへ、五人ほどの兵士たちが入り込んで来た。

「この部屋だ!」

 外が騒がしくなった。ズカズカと階段を駆け上がってくる足音。バキバキとドアを乱暴にぶち破る音がして、ミナトたちの部屋に、重そうな鎧を着た兵士たちが入って来た。

 だが、既に部屋はもぬけの殻だった。窓ががらりと開いたままになっていた。


「俺が煉獄でどんな目にあったか分かるか!」

 ミナトは、走りながら言った。

「少しは休ませろよ!」

「駄目です。今頃、私たちが逃げたと宿で大騒ぎしているでしょう。」

 エスリンは、羽を広げて空中を飛んでいる。その後ろを、ミナトがぜえぜえと息を切らしながら、走っていた。

「お前はいいよな。飛べるんだから。俺の身にもなれってんだ。ただでさえ、こんな重い剣をしょってんだぜ。」

 ミナトは、布でくるんだ剣を背負っていた。

「この剣がこんなに重いとは…王のときは軽かったのにな…。やっぱ王じゃなくなったからかな…。」

「大丈夫。その剣はミナト様の宝ですから、慣れれば重さも気にならなくなるでしょう。」

「ほんとに何でも知ってんだなー、お前。」

 感心して、ミナトは言った。

「エスリンです。覚えて下さい。」

 エスリンは、急に速度を速めて、先に飛んで行ってしまった。

「お、おい!待てよ!」

 ミナトは慌てた。

「急に何だってんだよ。」

 ミナトは息を切らせながら走り、やっとエスリンに追いついた。エスリンは、少しむっとしたような顔で立っていた。

「お前…少しは俺を…労われよ!こっちは…疲れてんだぜ!」

 ミナトはぜえぜえ言いながら、文句をついた。

「言っておきますけど、私はアマト様の下僕。アマト様の命令でミナト様を守るように仰せつかったまでです。ミナト様の命令に従う義務はありません。」

 エスリンは、つんとして言った。

「なんだとお~~!てめえ、何様のつもりだ!?」

 ミナトは、かっかとして怒った。

「私はエスリンです。さあ、早く行きましょう。こんな所でぐずぐずしている場合じゃありません。」

「勝手にどっか行け!もううんざりだ!あー、かったりい。」

 怒ったミナトはエスリンに背を向けた。

「ミナト様!ぐずぐずしてると追手が来ます!」

 エスリンは急かしたが、ミナトは振り向かなかった。

「うるせーな!そんときはそんときで俺が何とかするさ。もう俺に構うな。迷惑だ!」

「何とか出来ると思ってるんですか?」

「ああ。俺は強いからな。」

「それじゃあ試してみますか?」

 いきなりエスリンは、ミナトの正面に立って、ミナトの頬を右手で強く引っぱたいた。

「な、何すんだ!いてーな。」

 ミナトはびっくりした顔で、ぶたれた頬を押さえた。

「私は力ずくでもミナト様をここから連れ出します。それがいやなら、私を倒して下さい。」

 エスリンは冷たい表情で顔を上げ、ミナトを見下した。

「はあ?何言ってんだ…。」

 ミナトの言葉が終わらないうちに、エスリンはミナトに向かって突進してきた。体当たりされて、ミナトはその場に倒れた。倒れたミナトの腹の上に、エスリンはドスンと腰を下ろした。さほど重くはないが、エスリンを退けようとしても、動けなかった。

「バカな!こんな女に俺が…!うぐぐぐ…。」

 じたばたともがいても、エスリンはびくともしなかった。腕を組み、冷たい目でミナトを見下ろしている。

「ミナト様。あなたはまず、自分の弱さを知るべきです。」

「俺が…弱い…?」

「そうです。王ではなくなったから、王の力を失ったということは分かっているはず。そして同時に、本来の自分の弱さを自覚するべきなのです。」

「わけわかんねーこと言いやがって!今は疲れてっから、圧倒的に俺が不利だろーが。さっさとどけよ!」

「まだ分からないのですか?」

 冷たく見下ろすエスリン。憤怒のこもった目でエスリンを睨むミナト。

 そこへ、追手の兵士たちが現れた。その数は五人。

「とうとう追いつかれてしまいました。」

 エスリンは冷静に言ったが、それでもミナトの上からどかなかった。

「何考えてんだよ!どけって!ヤバイだろ!」

「タイミングがいいというか悪いというか…。」

 やっとエスリンはミナトの上から退いた。ミナトはすばやく立ち上がると、エスリンの前に立って、両腕を広げた。

「こいつらは俺がまとめてやってやる!お前は逃げろ!」

「まだ分かってない…。」

 エスリンはため息をついた。

「らアーーーー!!」

 ミナトは兵士たちに向かって突進した。だが攻撃する間もなく、すぐに取り囲まれ、あっさりと捕まり、縄で手足を縛られてしまった。

「任務完了。その女は殺せ。」

 一人の兵士が言うと、四人がエスリンにじりじりと近付いて来た。

「ケケ。うまそうな女だ。」

 兵士たちは皆、全身鎧に覆われていて、顔も見えなかった。目の部分だけが開いていて、そこからギラギラとして目が光っていた。

「あんたたち、悪魔ね!」

 エスリンは羽を大きく広げて空中に飛び上がり、回転しながら四人全員に次々と体当たりしていった。兵士たちはくらくらとよろめき、倒れた。

「な、何なんだ…あいつ…。」

 縛られて転がされた状態で、ミナトは驚いた顔でエスリンを見ていた。

「動くな。…しかし…あの女は一体…。」

 ミナトを押さえつけている兵士も驚いているようだった。

 エスリンは両手を兵士たちに向かってかざした。すると、両手が光り、そこから黄金の光線が飛んでいき、衝撃波となって兵士たちをまとめて吹っ飛ばした。その強い衝撃で、兵士たちの鎧は砕け散った。

 鎧の中身は、人間ではなかった。青い体をし、頭に二本の角が生えた姿の悪魔であった。

「ありがとうよ。これで動きやすくなったぜ。人間のふりするのは疲れるしな。」

「ケケ、喰ってやるッ!」

 悪魔たちは本性を現し、欲望に満ちた表情でエスリンに近付いて来た。だが、エスリンは少しも慌てなかった。鋭い眼で悪魔たちを睨み付けると、一瞬、悪魔たちは怯んだ。

 空中に飛び上がったエスリンは、羽を大きく広げて、バサバサと羽を羽ばたかせた。風が舞い上がり、それは小さな竜巻に変化した。竜巻が悪魔たちに直撃し、悪魔たちは渦に飲み込まれて空高く飛ばされた。エスリンが地面に着地すると同時に、悪魔たちが天から大地に叩きつけられた。

「消えろ!」

 エスリンが自らの羽を一本取ると、その羽は光り輝く弓矢の形に変化した。その光の弓矢を、エスリンは悪魔たちの体の中心部を狙って次々と放った。四人の悪魔は、灰となって消えた。

「ひいっ!」

 ミナトを捕まえていた兵士は、ミナトをそのままにして慌てて逃げていった。しかし、エスリンはその後を追わなかった。

「さて…。」

 エスリンは、ミナトの方を見た。

「すげえな!お前、めちゃくちゃつえーんだな!」

 ミナトは縄で縛られ転がったまま、感嘆の声を上げた。エスリンは表情を変えず、黙ってミナトを見ている。

「分かったって!お前が強いってことは。つまり、俺より強いって言いたかったんだろ。情けねーけど、今ので納得したぜ。今までのことは謝る。悪かったよ。お前のこと、バカにしすぎてた。」

「違う…。」

 エスリンが呟いた。

「え?何?それよりさ、縄ほどいてくれよ。お前のおかげで助かったよ。」

 ミナトは、エビのようにくねくねと動いた。

「せっかく授けてもらったのに…。自由を与えられたのに…私は…。」

 悲しげなエスリンの呟きは、ミナトには全く聞こえていなかった。

「何ブツブツ言ってんだよー!早く縄をほどいてくれよーー!」

 ミナトはバタバタと暴れた。

「…もう。」

 エスリンは、悲しみと怒りとを含んだ複雑な表情でミナトを見た。

「私は所詮、鳥ですものね…。」

 どこか寂しそうにエスリンは空を見上げ、微笑んだ。そして暴れているミナトに近寄り、縄をほどいてあげた。

「ふう。何やってたんだよ。ブツブツ独り言言って…。お前、暗い奴だな。」

 ミナトは立ち上がってうーんと体を伸ばした。

「でも、ほんとに助かったよ。お前がいなきゃ、俺は今頃、煉獄で殺されてたかもしれねーし。さっきだって、まさかあいつらが悪魔だったなんて…。ありがとな!エスリン。」

 ミナトはカラッとした笑顔でエスリンに言った。それを聞いて、エスリンは驚いたような顔をした。しばし目をぱちぱちと激しく瞬きさせていたが、やがて、ほわんとした柔らかな笑みを浮かべた。

「ふふふ…。」

 嬉しそうに、エスリンは笑った。

「何一人で笑ってんだ?キモチわりいぞ。」

 不審そうにミナトはエスリンを見た。

「…嬉しいの。」

「何が?悪魔をやっつけたから?」

「ううん…。今まで、私の名前を呼んでくれたのはアマト様だけだったから…。」

「なーんだ。それでさっきすねてたのか。」

 ミナトの言葉に、エスリンは少し頬を赤らめた。

「…さあ、行きましょう。これで追手が全て消えたわけじゃありません。」

「そういや、一人逃げたな。」

「彼は人間です。…人間を傷付けるわけにはいきませんから…。」

「そうか…。でも何でだ?何で一人だけ人間だったんだ?…っていうか、悪魔があんな姿で追いかけて来たってのも…。」

 ミナトは何か考え込むような顔をした。

「悪魔は、ヨミト様の下僕と考えて間違いなさそうです。」

「そ、そんな!!」

 エスリンの言葉に、ミナトは驚いて声を上げた。

「一人だけ人間だったのは、もし悪魔たちがミナト様を捕らえられなかった場合、その報告を生き残った人間にさせるためでしょう。つまり、ヨミト様は既に、私の正体に気付いている…。」

「どういうことだ?」

「私が使鳥であるということを。私には、人間を傷つけたり、殺すことは出来ません。絶対に。」

「だから、悪魔にお前を殺させようとしたのか!」

「…鎧の姿だったのは、人間の町に悪魔が入り込んでも、人間に気付かせないため。おそらく、人間の世界に悪魔が侵入しているのも、もしかしたら同じような方法で、人間のふりをして入り込んでいるからかも…。」

「…やっぱり、俺には分かんねえ…。兄上が悪魔を使ってるなんて…信じられねえ…。」

「まだ、私を疑ってるんですか?」

「いや。エスリンのことは信じる。俺を助けてくれたしな。」

 ミナトは、キッ、と顔を引き締めた。

「俺、やっぱり兄上の所に行って来る!」

「え!?」

「本当のことを、兄上の口から聞きたいんだ。こんなもやもやした気分はいやだ。もし、兄上が悪いんなら、決着をつけるまでだ。」

「ミナト様!いい加減、まだ分からないの!?ミナト様の力では、ヨミト様にかなうはずがないでしょう!」

「そんなことは分かってるよ。でも、ワケが分からないまま死ぬよりも、ワケが分かって死んだ方がマシだ!」

 ミナトは走り出した。

「ちょっと!どこ行くのよ!!」

 エスリンは慌ててミナトを追いかけ、ミナトの肩を掴んだ。

「やめなさい!バカなことは。」

「離せよ!俺はただ知りたいんだ!俺には兄上も姉上も大事だし、そんな簡単に兄上をそんなことする奴だなんて信じられねーよ!確かにお前は嘘なんかついてないって分かる。だからなおさらほんとのことを知りたいんだ!頼む!行かせてくれ。」

「…でもそっちへ行っても、月の国から離れて行くだけですよ…。」

 ため息まじりに、エスリンが言った。

「え…。」

 ミナトはきょろきょろと回りを見回した。

「そういや、ここどこだ?」

「…もう、闇雲に走って、一体どこに行くつもりだったの?」

「はは…。なんとなく勢いで…。」

「分かりました。そんなに言うのなら。ミナト様一人で行かせられません。私も一緒に、ヨミト様の所へ行きましょう。」

「ほんと!?」

 ミナトは嬉しそうに目を輝かせた。

「…本当は危険すぎるのですが…。でも、確かにミナト様の言うことにも一理あります。私にも、未だにヨミト様のお考えは理解出来かねますし…。ヨミト様の真意を確かめる必要もあるかもしれませんね…。アマト様のご命令に多少逆らうことになってしまうかもしれませんが…。」

「ぐだぐだ言ってねーで、さっさと行こうぜ!」

 ミナトはエスリンの案内に従って、月の宮殿を目指すことになった。

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