第2章「追放」

 水の宮殿――ここが、ミナトの居城である。全てが青の色で統一された、美しい宮殿。

 しかし、ミナトがそこで一日中じっとしていることは、まずなかった。

 朝早くから、アマトに静かな説教を受けた後、しばらくは宮殿にこもっていたが、すぐに耐えられなくなり、ミナトは外へ飛び出した。庭を抜け、森を抜け、空に近い場所へと向かった。そして、雲を見下ろせる断崖に辿り着いた。

「ここなら、いいかな。」

 ミナトは、背負っていた鞘から一本の長剣を取り出した。そしてその剣を地面に刺し、静かに目を閉じると、意識を剣に集中させた。

 剣は濡れたような光を帯びて輝き始めた。装飾の施されていない、シンプルな作りの銀の剣であったが、美しく立派な剣だった。

 この剣は、ミナトだけの宝であった。

 神々はそれぞれ、自分だけの宝を持っていて、それを用いて自然をコントロールし、人間界に影響を及ぼしている。

 アマトには鏡、ヨミトには珠、ミナトには剣と、それぞれ一つずつカオスから与えられた宝があった。その宝を用いて、王の力をコントロールし、世界に生命力を与える。それが王の役目なのである。

 三人の王、つまりアマト、ヨミト、ミナトには、生まれながらにして、王としての特別な力が備わっていた。その力は、神の力とはまた別の、強大な力であり、各々の支配領域に影響を及ぼす力であり、それは宝を介して制御される。これらに祈りをこめ、その祈りから発する力が自然界へと注がれ、人間生活に影響を与える。この三つの宝は、神と人とを繋ぐ道具とも言えるものなのだ。

 三つの力が世界に働きかけることによって、世界の均衡が保たれている。一つでも欠ければ、世界の均衡は崩れてしまい、自然災害やあらゆる災いが起きてしまう。三人の王の仕事は、それだけ重要な役割を担っているのだ。


「ふーーっ。疲れた。休もうっと。」

 ミナトの集中力は、すぐに切れた。その場にごろっと横たわり、すぐに寝息を立て始めた。

 寝ているミナトのすぐそばの木の枝に、使鳥が止まっていた。使鳥は静かにミナトを見守っている。


「こんな所で寝ていやがる。」

 そこへ、火の神・ヒノトが現れた。

「こんな大層な剣…似合わねえんだよ。」

 ヒノトは、地面に刺さった剣を抜こうとしたが、どんなに力を入れても抜けなかった。カオスからの宝は、与えられた者以外には扱えないのだ。

「てめえ…ヒノト。何の用だ。」

 寝転がったまま、ミナトは片目だけ開けてヒノトを見た。

「この間の礼をしにな。」

「良かったじゃねーか。新しい綺麗な家を建ててもらってさ。前のやつはボロっちかったしな。」

「何だと!?」

 二人は睨み合った。この二人は顔を突き合わせるといつもこうなのだった。

「覚悟しろ!」

 ヒノトは拳を突き出し、挑発した。

「丁度いいや。俺も退屈してた所だ。」

 ミナトはすばやく立ち上がり、身構えた。

「ウラァ!」

 ヒノトは、炎を纏った拳を放ってきた。ミナトはその攻撃をひらりとかわすと、空中に飛び上がってそのまま停止した。

「逃げんのか!?」

「ばーか。」

 ミナトは両手を振り下ろした。すると、つらら状の氷が雨のように降り注ぎ、ヒノトに襲いかかった。

「うわあ!」

 氷の雨はすぐに消えたが、ヒノトの手足が凍り付いて動かなくなった。

「俺の勝ちィーー!」

 ミナトは空中で飛び回ってはしゃいだ。

「くっ…。」

 ヒノトは燃え盛るような赤い目でミナトを睨んだ。そして、口からボウッと大きな炎を吐き出した。炎はミナトを包み込んだ。

「うっ!」

 ミナトは炎から逃れようとしたが、全身を炎に包まれて身動きが取れない。熱い。体が焼かれ、徐々に衣服が燃えて塵となっていく。

「ちくしょう!」

 ミナトは全身に力をため、一気に力を放出した。ミナトの体から、大量の水が噴き出し、炎がかき消された。

「フッ。丸焼き失敗。」

 ヒノトの手足は既に動けるようになっていた。ヒノトはすぐさま、炎を纏った拳でミナトの腹に一発食らわせた。間髪入れず、もう一発。

「ゴフッ。」

 ミナトはよろめいたが、すばやく後方に飛び退いた。

「もう、許さねー!」

 ミナトは怒りの表情を露わにして、全身に力をみなぎらせた。ミナトの体が青い光に包まれた。

「な…何だ!?」

 ヒノトは思わず後ずさりした。

 ミナトの体から、鋭い氷の刃が無数に飛び散った。

「うお!」

 氷の刃が、ヒノトの顔をかすめた。かすった部分から、どっと血が噴き出た。

「うおおおおおおおおおおおおお!!」

 雄叫びと共に、ミナトは青い体から次々と氷の刃を飛ばしてくる。ヒノトの体中に、氷の刃が刺さり、ヒノトは血だらけになった。

「もういい、やめろ!俺の負けだ!」

 ヒノトは叫んだが、攻撃は止まらなかった。

 ミナトはブチ切れていた。

「ぐああああああああ!!」

 ヒノトの絶叫が辺りに響き渡った。


 それから、数日後。

 神々の会議場。

 中央にはアマトが座し、その横にはミナトとヒノトが立っていた。その周囲には神々が円形に取り囲むようにして座っている。

 ミナトもヒノトも、全身傷だらけだった。

「二人共、これはどうしたことです。争いは禁じているはずです。」

 アマトは二人を交互に見つめ、厳しい口調で言った。

「……。」

「……。」

 二人共、押し黙ったままだった。

「答えなさい。何故、こんなことを?」

 再び、アマトが厳しく問いただした。

「アマト様!悪いのはこいつ…いや、私はただ、ミナト様に声を掛けただけなんです。なのにミナトのヤロ…ミナト様がいきなり襲い掛かってきて…それで仕方なく…正当防衛です!」

「何言ってんだ!てめーだって!」

 ミナトはヒノトに掴みかかった。

「やめなさい、二人共。争い合ったのは事実でしょう。どちらにも非があります。しかし、そんなことを聞きたいのではありません。争った理由を知りたいのです。理由が分かれば、和解の道が開けるはず。」

「嫌いなんだよ。」

 ミナトはヒノトを睨み付け、ヒノトの胸倉を掴んでいた手を勢いよく離した。

「ムカつくんだ。」

「お前なんかが海の王だなんて、神の恥さらしだ!」

 ヒノトが噛み付くように言い放った。

「何!?」

 ミナトは、カッと頭に血が昇った。

「俺は強い!俺は海の王なんだ!俺が本気を出せば、世界を海の底に沈めることだって出来る!」

 この発言には、神々一同、シーンと静まり返った。皆呆れていた。

「ミナト…。」

 アマトも、言葉を失った。

 ミナトは突然走り出し、会議場を飛び出して行った。神々は騒然となった。


「ミナト、待ちなさい!」

 背後からアマトの声が飛んできた。ミナトは仕方なく振り返った。

「何だよ。」

「さっきのあの態度は何ですか。王たる者が、なんという暴言。それに、ヒノト殿に対するあのような振る舞い。ヒノト殿に謝りなさい。」

「何で俺が謝んだよ。別に俺は悪くねーよ!あいつが先にケンカを吹っかけてきたんだ!」

 ミナトはプイと横を向いた。

「あーあ。ミナトの奴は…。」

 アマトの後ろから、ヨミトが顔を出した。

「姉上を困らせたいのかい?」

「う…うるせーな!二人して…。」

「そういえば、ヒノト殿が向こうにいたよ。一応、一言謝っといた方がいいんじゃないかなあ…?」

 ヨミトはにっこりと微笑んで言い、廊下の奥の方を指差した。

「…フン。」

 ミナトは鼻を鳴らして、それでもヨミトの示した方へ向かって行った。

「ミナトは、根は素直ないい子なのに…。」

 アマトはため息をついた。

「そうですね。」

 ヨミトは笑ってそう言い、どこへともなく歩き去って行った。


 太陽神殿の廊下には、何本も柱が立ち、会議場に続く廊下の突き当たりは行き止まりになっていて、そこは丁度会議場の反対側で、人気がない所だった。そこに、ヒノトが一人で立っていた。

「ミナトの奴…話があるなんてこんな所に呼び出すとはな…。どうせまたケンカの続きでもしようってんだろ。」

 ヒノトは、イライラしながらミナトを待っていた。

 ここからでは、会議場の方へ続く廊下は見えない。ヒノトは、ミナトが来るかどうか確かめようとしたが、思いとどまって、壁側を見つめて待った。

 そのとき。急に、背中に激痛が走った。

「ぐあっ!」

 ヒノトはうめき声を上げた。更に、後ろから強い力で床に倒された。

「うっ…。」

 ヒノトはしばらく倒れたまま、動けなかった。意識がもうろうとしてきたとき、声が聞こえた。

「ヒノト!」

 その声はミナトのものだった。

「ミ…ナ…ト…?」

 ヒノトは苦しげに身を起こし、声のする方に目を向けた。

「ヒノト…一体どうしたんだ!?」

 ミナトはヒノトに駆け寄り、その体を起こした。背中には短剣が深く刺さっていた。ミナトはその短剣を握り締め、引き抜いた。

「おい、しっかりしろ!」

「お前か…お前が…!!」

 虚ろな目で、ヒノトは声を振り絞って叫んだ。

「え…?」

「お前が…俺を…!!」

 ヒノトは大声で叫び、目を見開いたまま、絶命した。

 その声を聞きつけて、神々が集まって来た。

「これは…!?」

 ミナトには、何が何やらさっぱり分からなかった。ヒノトの死体のそばに短剣が転がっており、そこに呆然と立ちすくむミナトの姿。

「ミ…ミナト様…!まさか…ヒノト殿を…手にかけたのか!!」

「ち、違う!俺は…。」

 あまりのことに、言葉が出なかった。

 騒然としている中、アマトが進み出て来た。

「どうしたのです。」

「ミナト様が殺したんだ!はっきり聞きました!ヒノト殿が死ぬ間際に言った言葉を!」

「そんなまさか…ミナト…どういうことなのですか…?」

 アマトの顔は、青ざめていた。

「俺は…謝ろうと思って…なのに来たらこいつが刺されてて…。」

 いつになく弱々しい口調でミナトは言った。

「恐ろしい…ついに殺神まで…そこまで堕ちたか!」

 神々は、口々にミナトを非難した。誰も、ミナトが犯人でないと疑う者はなかった。


 その後開かれた神々の会議で、ミナトの罪は確定した。

 今回ばかりは、アマトにもどうすることも出来なかった。

 どんなにミナトが否定しようと無駄だった。


 「神殺し」――前代未聞の事件だった。

 ミナトは、海の王の座を剥奪され、天界から追放されることになった。

 そればかりでなく、重罪人として、月の国の地下にある煉獄へと送られることになったのだった。

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