第1章「三貴子」

 宇宙王カオスの三人の子供たちが、世界を治めるようになってから、数百年の時が経った。

 空には太陽が昼を照らし、月が夜を照らし、それらの光で海は輝く。


 この世界は、三つの国で成り立っていた。

 太陽の国、月の国、海の国。

 太陽の国は神々の住む所であり、世界で最も空に近い、高い山の上にあった。その山の名を、高天原たかまがはらという。又、太陽の国は人間の住む地上に対して、「天界」とも呼ばれ、常に陽光が照らす昼の世界であった。

 月の国は、人間に危害を加える魑魅魍魎ちみもうりょうがひしめき、いつも暗闇に包まれた、夜の世界であった。

 海の国には人間が住んでいた。神々の住む天界に対して、「人間界」とも呼ばれている。太陽と月が交代で天に現れ、朝・昼・夜の区別があり、人々はその時間に合わせて生活していた。

 カオスの長子で、太陽の神・アマトは、太陽の国の王であり、全世界あらゆる生き物の王でもあった。

 そして二子の月の神・ヨミトは月の国を治めていた。月の国には、邪悪な生き物「悪魔」が棲んでいた。ヨミトは、彼らが人間に危害を加えぬよう、常に監視しているのだった。世界で起こる争い事のほとんどは、ヨミトの力で解決された。

 末子の水の神・ミナトは、海の国を治めていた。

 このカオスの三人の子供たちは、他の神々や人間たちから敬意を持って、「三貴子さんきし」と呼ばれていた。

 三貴子の力が合わさることで、世界の平和が保たれているのである。


 ここは、天界の王宮、「太陽神殿」。

 白で統一された、美しく静謐な建物だった。

 窓辺に立つ、すらりとした美麗な人物。ゆったりとした長くて白い衣。その上には、勾玉や美しい宝石の首飾りが身に付けられている。脚まで届くほど長い、淡い金色の絹のような髪。神々の王、アマトはいつものごとく、水晶玉で地上の様子を見ていた。

 そこに映っているのは、アマトが地上へ飛ばした使いの鳥「使鳥しちょう」の目に映っているものであり、その鳥の目を通して、地上の姿を見ることが出来る。使鳥は父王カオスから贈られた、アマトだけの所有物であり、アマトの命令だけに従い、アマトだけと会話する精霊であった。その姿は、金色の美しい羽を持ち、理知的な碧の瞳をしていた。

 水晶玉に映るものを見ながら、アマトはため息をついた。その表情は曇っていた。

 水晶玉に映し出されている下界の景色。

 枯れた木々、干からびた川、荒れた土地。

 そこには悪魔たちの姿があった。

 不気味な青い体に、頭には二本の角があり、二足歩行する足の付け根には細長い尾がある。

 悪魔が皆そのような身体的特徴があり、どの悪魔も似たような顔形をしていた。


「アマト様!」

 バサバサという羽音を立てて、使鳥が慌てたようにしてアマトのもとに帰って来た。

「使鳥よ。やはり見つからなかったのだな…。」

 アマトが手を伸ばすと、そこに使鳥がふわりと乗り、羽を閉じた。

「はい…。地上のあらゆる場所を探しましたが…。」

 使鳥はがっくりと肩を落として言った。

「ミナトは一体どこに行ってしまったのか…。このままでは地上が大変なことになってしまう。…もう既になっているが…。」

 アマトは深くため息をついた。

「私の目を通してご覧になったと思いますが…、雨が降らないために、地上は干害で大地が干上がってしまっています。このままでは人々が死んでしまいます。それに…悪魔までが地上に出没して人々を苦しめています。どんどん荒廃が進んで地上は…。」

「ああ。分かっている。さっき、ヨミトに連絡しておいた。すぐにここへ来る。今はとにかく、ミナトを探し出し、何としても雨を降らせなければならん。」

「ではもう一度、探しに行って参ります!」

「すまんな…頼んだぞ。」

 使鳥は再び飛び立っていった。


「はあ~~………。」

「どうしたのです、姉上。ため息なんかついて。」

 気が付くと、アマトの背後にヨミトが立っていた。

「あ、ああ。すまぬ…。いや、何でもない。」

 アマトは姿勢を正した。

 金色の髪のアマトとは対照的に、ヨミトは黒髪で、背中まで長く伸ばしていた。真っ黒な瞳で、端正な顔立ち。だが、悪魔たちを抑えるほどの強い力を持っていることもあり、体つきは逞しく、外見から放たれるオーラも力強かった。穏やかで優美な印象のアマトとは、これまた対照的な、雄々しく凛々しい印象を与える神である。

「それより、よく来てくれた、ヨミト。実はまた地上で、悪魔が暴れているようなのだ。地上へ行き、退治してきてくれないか。」

「また地上に悪魔が?おかしいな…。悪魔どもが人間界に入り込まぬよう、常に見張っているのですが…。奴らは一体、どこから湧いてくるのか…。奴らは人間が困っていると、さらに困らせ苦しめようとします。今、人間界で何か悪いことでも起きているのでは?」

「…あまりこんなことを言いたくはなかったのだが…。」

と、アマトはまたため息をついた。

「…最近、ミナトは自らの仕事をさぼっていて、そのために地上に雨が降らなくなって、大地が干上がってしまったのだ…。」

「それはよくないことです!ミナトを厳しく叱ってやらなければ。姉上は優しすぎるから…。僕が一度、一発殴ってやりましょうか?」

 ヨミトは拳を突き上げて見せた。

「だ、だめだ!暴力はいけない!」

 アマトは平和主義者なのだ。

「冗談ですよ。姉上は争い事が大嫌いですからね。」

 ヨミトは悪戯っぽく笑って見せた。


 真下に広がる広大な海。小さな陸地。その遥か上空をゆっくりと漂う雲。

 その雲の上に、人が横たわっていた。いや、人ではない。神だ。まだ若く、元気な少年の姿。少年は柔らかな雲の上で、静かにぐっすりと眠っていた。下界の荒廃しきった姿に気付くこともなく。その空間だけ、時がゆったりと流れているようだった。

 少年は、うーんと腕を伸ばして、寝返りをうった。丁度、そこは雲の切れ目の所だった。

 当然、少年の体は真っ逆さまに地上へと落下していった。

 ゴーッという凄まじい音に、ようやく目覚めた少年。

 だが、この状況は一体…!?

 少年は混乱した。そして、変身した。人の姿から、水の姿へと。そのまま下界の海へ…。

 水面に無数の円が生まれ、突如竜巻のような水の螺旋が、空へと向かって飛び出した。


 天界の大地が、大きく揺れた。何事かと、神々は騒ぎ立てた。

 天の大地は、巨大な雲の上にある。その雲を突き抜けて、凄まじい勢いと共に上昇してきた水のロケット。

 水は天の大地に広がり、洪水を引き起こした。天の大地の高所にある神々の宮殿は幸い無事だったが、運悪く、低所にあった火の神の宮殿は、洪水にあって滅茶苦茶にされてしまった。


「ひゃー、びっくりしたあ。目が覚めたら急降下中なんだもんな。びびったぜ。」

 天に洪水を引き起こした当の本人。水の姿から、少年の姿に戻っていた。

「あれ…?」

 水の上の大地に座っていた少年は、周りを見回し、やっと気が付いた。辺りが…天界が、水浸しになっているということに。


「大変です!天界が洪水になって…!」

 大急ぎで飛び込んで来たのは使鳥。

「ミナトだ!全く、何を考えているのだ。水が必要なのは天界ではなく、地上なのに!」

 アマトは、呆れて言った。

 しかし天界に溢れ出した水は雨となって地上に降り注ぎ、何はともあれ生き物たちは救われたのであった。


 洪水の後始末が終わると、天界で会議が開かれた。

 会議は、天界に住む全ての神々が一堂に会して行われる。円形の会議場で、中央には神々の王であるアマトが座り、その周りを取り囲むようにして他の神々が座る。

「私はあの洪水で溺れ死ぬ所でした!」

 他の神々が座っている中でただ一人、立ち上がって熱弁をふるう神。彼は、火の神・ヒノトであった。外見的には、ミナトとそう変わらない。神々の中でも、若い方だった。

 今回の洪水の、最大の犠牲者であるヒノトは、燃え盛るような赤い髪を逆立てて、怒りを露わにしていた。

 それに対し、アマトは何も言えなかった。アマトの横には、洪水を起こした張本人の少年――ミナトが立っていた。これでも一応、彼は水の神。今回の会議は、ミナトの責任を問うために開かれたのだ。

 ミナトはおとなしく立っていた。だが、反省の色は見えない。時折目を閉じたり、眠そうにあくびをしたり。アマト、ヨミトの二人の姉弟に比べ、ミナトは外見も子供っぽく、女の子のようにも、男の子のようにも見える。髪は水色で、長い襟足が肩まで垂れていて、目は青緑色だった。華奢な体と幼い顔つきが、より一層中性的な雰囲気を感じさせた。

「…それに、地上で起こった災いも、ミナト殿が仕事を怠けていたのが原因なんじゃないですか!?」

 ヒノトはミナトを嫌っていた。そこで、ここぞとばかりにミナトを攻撃するような口調で非難した。

「…ミナト。お前は仕事をさぼって、一体何をしていたんだ。」

 アマトはミナトに、穏やかだが幾分厳しく問いただした。

「寝てました。雲の上で。」

 ミナトは、悪びれるふうもなく、平然として答えた。その言葉と態度に、他の神々は呆れ、騒然となった。

「仕事をさぼって寝ていたとは!なんと非常識な!」

「人間が苦しんでいたのに、よくもそんなことをのうのうと言えたものだ。」

「いくらカオス様の御子でも、こんな無責任な神に地上のことは任せられませんな!」

「海の支配権を、他の者に譲るべきだと思いますが。」

 議論は白熱する一方。だがミナトは、それでも退屈そうに視線を落とし、足の先をぱたぱたと動かしていた。

「み、皆さんちょっと待って下さい!ミナトの話も聞いてやって下さい!」

 アマトが声を上げると、皆は黙って注目した。

「ミナト。何故、天界に洪水を起こしたのか、訳を説明しなさい。」

「雲の上で寝てて、目が覚めたら雲から落ちて海に真っ逆さまってとこだったんです。で、ビックリして思わず水に変身して、えっと…、それで天界まで逆流してきて、気付いたら天界が海になってました。ほんとごめんなさい!」

 ミナトは早口で一気にしゃべって、頭をペコリと下げてみせた。

「…というわけで…、つまり、天界の洪水は悪戯ではなく事故だったのです。本人も反省しているようですし…。」

 アマトはちらとミナトの方を見た。アマトの視線に気付き、ミナトは頭をもっと深く下げた。

「今回ばかりはどうか、私に免じて許して頂けませんか。勿論、ミナトには仕事を怠けぬよう、厳しく言って聞かせます。ですからどうか、お願いします。」

 アマトは立ち上がって、神々の前で深々と頭を下げた。頭を上げかけていたミナトも、慌てて頭を下げた。

「全く…アマト様はお情け深い…。」

「仕方がないですな。アマト様がそこまでおっしゃるのなら…。」

 神々は、アマトの真摯な態度に心を打たれ、それ以上咎めようとはしなかった。ヒノトは、ふんと言って仕方なく席に着いた。洪水で壊されたヒノトの宮殿は、新しく立て直されることになった。今度は水の届かない、高所に。

(よかった…。)

 アマトはほっとした。まるで自分のことのように。

「…ミナト。」

 会議が終わり、ヒノトがミナトに声を掛けてきた。

「今回は許してやる。だが…覚えていろ。俺は、お前を王とは認めてねーからな!」

 それだけ言って、ヒノトは足早に会議場を後にした。その後ろ姿を、ミナトはじっと睨み付けていた。


「ありがとう、姉上。助かったよ。」

 会議の後、二人きりになり、ミナトはアマトに礼を言った。

「だが、今度何かあったら、いくら私でもかばいきれないぞ。」

「別にいいよ。何とかなるだろーし。」

 ミナトは軽く言った。

「いいか、私たちは父上から天界と地上を治めるよう命じられたのだ。これは私たちの使命なんだ。」

「そんなこと言われたって…父上の顔なんてもう覚えてねーよ。」

「父上は偉大な宇宙王だ。この世界をおつくりになった方だ。」

「…だが今は死の国にいる母上のことを思って嘆き悲しみ、宇宙のかなたに去って行ってしまわれた…。」

 そこへふいに、月の神、ヨミトが現れた。

「偉大だが、とてもかわいそうな方なんだよ。」

「そうかな。偉いわりには結構脆いんだな。こんな広い世界を創ったくせして、そんな過ぎたことをいつまでも悔やむなんてさ。」

 ミナトはヨミトに反論するように睨んだ。

「ヨミト。ご苦労だったな。お前のおかげで、地上の悪魔どもは消え去ったよ。ありがとう。」

 アマトは心から礼を言った。

「あんな奴らを消すのは造作もないことです。それより、さっきのは何の会議だったんです?僕だけのけ者とは…。」

「いや…お前は疲れているだろうと思ってな。ミナトの処分のことだったんだ…。」

「ミナト。また姉上を困らせたな。」

 ヨミトはミナトの額を小突いた。しかし、ミナトを見る目は優しかった。

「ふん。どーせ俺には王なんて向いてないのさ。」

「そんなことは関係ない。私たち三人が力を合わさなければ、世界の平和は保たれない。これは、私たちが生まれたときから決められたことなんだ。使命なのだよ。」

 ヨミトは諭すように言った。

「使命、使命ってさ、そんなに大事なことなの?父上だって、めんどくさくなったから、そんなこと言って逃げたんじゃねーの?」

 ミナトは背を向けた。

「父上は…母上の死にショックを受けたんだ…。この世界は父上と母上がふたりで作り上げた。母上も、父上と同じくらい偉大な方なんだ。その世界を、ふたりの子供である私たちが守っていかなければ…。」

 アマトは熱く語った。

 しかし、既にそこにミナトはいなかった。

 姉と兄は、深くため息をついた。


「ミナト!」

 ミナトの後ろから、快活な声が飛んできた。

「おう!カイトじゃねーか。」

「また、やらかしたな。」

 カイトは笑いながら、ミナトの頭をぐりぐりと小突いた。

「何すんだよ!」

 ミナトはカイトを睨んだが、怒ってはいなかった。

 カイトはミナトの親友だった。大きな逞しい体をした海の神で、青いふさふさとした髪が肩まで垂れていた。優しげな目は深い青の色で、人の良さそうな顔をしている。

「でもありゃあやりすぎだろ。ヒノト、すごく怒ってたじゃないか。」

「まーね。ちっとばかしやりすぎたかな…?でもしょーがないじゃん。無意識だったんだからさ。」

「気を付けた方がいいぜ。あいつは根に持つタイプだからな。」

「分かってるって。」

「それに…他の神々もお前を良く思ってないみたいだし…。もう俺にもかばいきれないよ。」

「悪いな。お前にまで心配かけちまって。今度は上手くやるからよ。」

「ああ、そうだ。王ってのは大変だろうが、しっかりやれよな。」

「今度こそ、バレねーようにさぼってやる!」

「おいおい…んなこと決意するなよ…。」

 はあ、とカイトはため息をついた。


 アマトの宮殿「太陽神殿」の広い廊下を、アマトとヨミトは並んで歩いていた。

「ヨミト。私はミナトに期待しているんだ。」

「どんな期待を?」

「…この間、遠い宇宙からの声を聴いたのだ。この世界の外にある宇宙の、その外の…宇宙の源からのメッセージをね。」

 アマトには、遠い宇宙からの伝達を受信する能力があった。

「メッセージ?」

「そう。意味は…こちらの言葉に訳すと…

 “世界が破滅の闇に覆われるとき

 水の光が世界を包み込み希望を生む”

…ということなんだ。」

「水の…光?」

「ああ。私はその、“水の光”こそが、ミナトだと考えたんだ。ミナトがいつか、世界の希望になる。そういう意味のメッセージだと思うんだ。」

「希望…ですか。あのミナトが…。しかし、最初の方が気になりますね。“破滅の闇”とは何とも不吉な…。」

「おそらく今後、何か悪いことが起きるのかもしれない…。しかしそれを、ミナトが救ってくれる…そんな気がしてならないんだ。私でも、お前でもなく、ミナトがね。今はああだが、いつかミナトはそのような存在になる。私はそう信じて、願っている…。」

 アマトは、日の光の方を見つめた。

 ヨミトは、祈るように目を閉じた。

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