17

 目の前に血だまりが広がる。その血だまりは集まり人の形をとると、まるで怨念のように何かを叫び訴えながら、私に手を伸ばす。嫌悪、憎悪、恐怖、殺意——そんな感情を向けながら。


「——やだ、こないで!」


 夢か……。

 何時だろう。外はもう真っ暗なので、日付が変わったころだろうか。悪夢のせいで嫌な汗をかいた。

 シャワーを浴びたいけど、部屋から浴室は遠いので、歩くには少々疲れる。こういう時に広い屋敷は不便だ。まあベタベタするのが嫌なだけなので、ひとまず浄化魔術で体を綺麗にする。こういう時に魔術は便利だ。

 一応布団にも浄化魔術をかけ、風魔術で軽く乾かしてから——


「いっった……」


 急に頭痛がした。そういえば、魔力枯渇とか言われたっけ。ノエルに血を吸わせてもらって軽く回復はしたけど、まだ魔術はやめた方がよさそうだ。

 悪夢に寝汗に頭痛に……目が覚めてしまった。目を瞑っても、夢の嫌な映像が鮮明に再生される。怖くて寝れない感覚も久々だ。

 あまりしたくはないけど、そんなこと言ってられる余裕もなく、私はゆっくり壁を伝って、ノエルの部屋に向かった。今日くらい、急に起こして布団に入っても許してくれるよね。


「ご主人様。どうかされましたか?」

「ノエル。起きてたんだ」

「ええ。まだ日が変わる前ですし、魔法の勉強でもと」

「そうなんだ。ねえ、今日はここで寝てもいい?」

「それなら、せっかくですし私ももう寝るとしましょう」


 そう言ってノエルは燭台の火を消し、ベッドに入った。私も隣で横になり、彼女の背に手を回す。体温の程よい温かみと女の子の柔らかい体、それと優しく撫でられる感触で、気が安らいでいく。


「……ノエル。ノエルはさ、初めて人を殺した時、どう思った?」

「そうですね。まあ、生々しい感触で少し気持ち悪くなりましたが、必要でしたので」

「そっか……。やっぱり、私のほうがおかしいのかな」

「いえ。そういった気持ちはブレーキになるので、むしろ大切だと思います。特にご主人様のように、力のある人は。それに、殺されるのは勿論、殺すのだって怖いのが普通です。同じ形をした同族を殺めるのですから」

「……私が殺した人の悲鳴が頭から離れない……。それにあの痛みもすぐ思い出せる。そうだ。ノエルは怪我しなかった?」

「はい。大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます。やはり、ご主人様は優しい方ですね」

「…………」

「なので当分は辛いかもしれませんが、思い出したらすぐ私に甘えてください。ゆっくり、時間が解決するのを待てばいいんです。ご主人様は十分頑張っているんですから」

「……うん」


 今は、ノエルに甘えて心を癒そう。じゃないと、何もできなくなってしまう。

 そして、今日から数日、私はずっとノエルと一緒に過ごしていた。



  ◆◇◆



 ルナに気絶させられた盗賊は、暗い牢屋で目を覚ました。

 椅子に縛り付けられ、手足も固定されているので、ほとんど動けない。


「あ、起きましたか。どうしてルナさんの屋敷に乗り込んだのか教えてもらいましょうか」


 牢の外で座って本を読んでいた少女——アリサは、男が起きたのを見るなり、本を閉じて冷たくそう告げる。

 普通盗賊が屋敷に入った程度で聖女は動かない。しかし、今回は聖女の友達が被害者であり、さらに魔族が襲われるという、下手したら国際問題になりかねない事態だ。

 それに、今回は聖女や聖騎士といった、国でも高い地位にいる人間が動く相応の理由があった。


「乗り込んだ理由はまあ後です。なぜ、あなたは魔剣を持っていたのですか?」


 魔剣——古の時代、魔族の名匠が鍛え、魔王が直々に魔法を付与した、強力な武器。それを扱える者が使えば、単体で一個師団に匹敵する戦力となりうる、危険な武器。

 すでに魔剣は現在の魔王が封印したはずの代物だ。それが、なぜか一盗賊の手に渡っている。


「あれは魔王が封じたはずです。まさか、裏に魔族が?」

「魔剣? なんのことだ」

「持っていただろう。これのことだ」


 アリサの隣に立っていた聖騎士が懐から短剣を取り出し、盗賊に見せる。


「あっはっは! ありゃ魔剣だったか! あぁ、どうりであれを使えば魔術が使いやすいわけだ。俺を誰だと思ってる? 盗んだにきまってんだろ。いやぁ、チョロかったぜ? 遺跡で追い剥ぎでもしようと思ってたら魔族の拠点があってなぁ」


 男は手柄を自慢したいのか、何のためらいもなく次々情報を吐く。しかし、一切隠さないのでそれが真実だと素直に断定できず、ひとまず彼の話を聞くことに徹した。

 そして得られた情報は、魔族から魔剣を盗んだこと。そこで盗賊のほうが効率がいいと気付いたこと。ルナの屋敷に乗り込むこと自体は、時間をかけて安全な時間をしっかり計算したことなど、包み隠さず吐いた。


「騎士崩れの盗賊ですか」


 アリサがそう呟くと、男はとたんに怒りを露わにして「うるせぇ!」と叫んだ。


「ふん、急に感情的になるな。だから騎士団から追われたのではないのか?」


 図星だったのだろう、男は急に黙り込み、何も言わずエリカを睨みつける。


「……どうしてあの屋敷を狙ったのですか?」

「んなもん金がありそうだったってだけだ」

「本当に金の事しか考えてないのだな。しかし、それが事実とも限らん——」


 聖騎士は詠唱をしながら、光の魔術で魔術陣を描く。


「襲撃の経緯をすべて話せ」


 魔法陣で発動した魔法でそう命じられた男は、あっさり全て白状した。


「……支離滅裂ですね」

「薄っすら感じてはいましたが、やはり記憶操作を受けているようですね。となると、盗んだというより、与えられた感じでしょうか」

「なかなか面倒な事になりそうですね。聖女様、どうされますか?」

「これ以上は私に出来ることはないので、後は騎士団に任せましょう。報告書を任せてもいいですか?」

「ええ、お任せください」

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