16

 目を覚ますと、そこは見慣れた天井だった。体の痛みはないが、少し倦怠感がある。


「っ……」


 急に体を起こしたせいか、めまいですぐに倒れた。貧血だろうか。久しぶりの感覚だ。


「ご主人様!」

「ルナさん!」


 ノエルとアリサの声が頭に響く。こういう状況での甲高い声は少々不快だが、同時に安心できる。


「ノエル、アリサ……」

「よかった……。私がご主人様を戦わせてしまったせいで、怪我して……」


 そうだ、私は負傷して倒れたんだ。

 脇腹を抉られ、肩にナイフが刺さり、それからは必死だったのであまり覚えていない。一人気絶させて、もう一人は——


「うっ、おえええぇぇええ……」


 あの光景を思い出したら、気持ち悪くて吐いてしまった。そうだ、私は必死になって魔術を放ち、一人殺したんだ。

 魔術で両断された体から噴き出す血と断末魔。あれだけははっきりと思い出せる。あの後は、ノエルと何か話した気がする。思い出せない。


 どうせなら、全部忘れたかった。

 正直甘く見ていた。魔術があればなんとかなる——そう考えていた。けど、ここは現実なのだ。魔術があるなら、その対抗策だってあってしかるべきなのに、それを考えていなかった。

 怖い。また似たようなことがあれば戦えるだろう。けど、今度こそ死ぬかもしれない。

 多分、今回はアリサが魔術で治してくれたのだろう。けど、もしアリサでもどうにもならない傷を負ったら? 自分で治す間もなく仕留めてくるような相手だったら? 想像しただけで震える。


「ご主人様……」

「……ちょっと、口ゆすいでくる」


 私はゆっくりと体を起こし、ベッドから降りる。壁を伝って体を支えながら、ゆっくりと脱衣所に併設された洗面台に向かう。

 ついでに顔を洗って少し頭を冷やそう。いや、いっそ風呂に入って気分転換しようかな。一刻も早くあの事を頭から切り離したい。


 思い出しただけで鳥肌が立つ。思い出したくないけど、嫌でもフラッシュバックする。

 戦わなきゃ奪われるからと覚悟は決めたけど、それ以上に重要な、人を殺す覚悟が出来ていなかった。たぶん、この世界で生きていくなら、その覚悟は必要なのだろう。特に私は何かと狙われやすい立場だろうし。

 ……けど、私には無理。いくら戦う力があるからって、喧嘩すらしたことない私が、いきなりそんな覚悟出来ない。多分、私が冷静に戦えていたのは、実戦を知らなかったからだと思う。ノエルは強くて怪我する心配すらなかったし、私も慣れない魔術でノエルを守れたから、正直始めは実感も薄かった。けど、怪我するのが実戦。そんなの無理だ。


 屋敷の守衛を雇おう。いや、雇うとなると信用とかがあるから、奴隷になるかな。とにかく、家を守ってくれる人に盗賊とかの対処を任せよう。

 刺激的な、漫画みたいな異世界生活をちょっと想像したけど、そんなのごめんだ。何もなくていい。つまらない平穏でいい。戦うのは戦える人に任せて、私は安全なところでぬくぬく仕事したい。


「はぁ……」



 何とか洗面台で口をゆすいだはいいものの、ここに来るだけで疲れてしまった私は、木製の椅子に座って休んでいた。

 すると流石に戻るのが遅すぎて心配になったか、ノエルが様子を見に来てくれた。


「あ、ノエル」

「ご主人様、大丈夫ですか?」

「ううん、なんか、気分悪い。動けない」

「ベッドまでお運びします」

「うん」


 ノエルは私を抱きかかえると、私の部屋まで運んでくれた。布団がなくなっているので、洗濯に持って行ったのだろう。


「ありがとう。はぁ、なんかすっごいダルいんだけどこれなんだろ」

「貧血と魔力枯渇のせいですね」

「貧血はともかく、そんなに魔力使った覚えないんだけど……」


 確かに魔力がごっそり減ったような感覚はあったけど、そんなに魔術を使った覚えはない。


「慣れない魔術を咄嗟に使って制御しきれなかったんだと思います。それと、魔族と聖属性魔術は相性が悪いので、負担が大きかったのかと」

「相性……。私、聖属性得意なのに……」

「まあそのうち慣れるものではあると思いますが、いきなり皇級を使うのは控えましょうね」

「そうだね……そうする。でも、聖属性の攻撃魔術って、練習する機会ないからさ」


 聖属性の魔術は、とにかく使う機会が少ない。

 治癒系はもちろん、攻撃魔術なんてそもそも私には無縁だ。屋敷の敷地内だけじゃやはり攻撃魔術を使うのは危ないし。


「そうだルナさん、聖属性魔術の練習をするなら、教会に来てみませんか? その、言い方がアレですけど、治癒対象が沢山いるので、練習にはちょうどいいかと。まずは、そうやって聖属性に慣れるのがいいと思います」

「そうだね。そうしようかな。ちなみにそれ、重症の人もいるの?」

「はい。けど、それは私が見ます。ルナさんには、軽症者を担当してもらえればと」

「ありがとね、アリサ。元気になったら行かせてもらうよ」

「はい。待ってますね。それでは、私は教会に戻ります。少し、お仕事があるので」


 アリサの声音が、急に冷たくなった気がした。いったいどんな仕事があるのだろう。初めて感じるアリサのこの雰囲気に、少し鳥肌が立った。


「ではルナさん、お大事に」

「うん。いろいろありがとね」


 門まで見送りたいが、今はそこまで歩くのも難しいので、見送りはノエルに任せて、私は目を瞑る。起きてから動いて、それに色々考えたせいで疲れた。久々の感覚だ。前世で熱を出した時に似ている。

 熱があるかは知らないけど、似た状態だろう。私はゆっくりしようと、夕飯の時間まで眠ることにした。

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