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 再び意識が戻った時には、痛みも、なんなら普段から感じている気怠さもなかった。

 寝たから治ったのだろうか。ちゃんと体も動かせるし、意識もハッキリしている。

 ……いや、明晰夢っぽいな。

 最後にベッドで眠ったのは覚えているけど、どう見ても私は今、天蓋付きベッドの上にいる。

 隣には買った覚えのないデフォルメされたドラゴンのぬいぐるみが置いてあるし、服も軍服のような服だ。


 家具なんかは全体的にパステルカラーのものが多いあたり、女の子の部屋だろうけど、少なくとも私の趣味ではない。

 もしかして、ラブホ?

 いやでも、ラブホにドラゴンのぬいぐるみなんて置いてあるだろうか。行ったことないから知らないけど、流石にないか。

 一体どんな夢なのやら。しかし本当に自由に動けて思考できるな。

 私はベッドから降りて、カーテンを開いてみた。


「へぇ」


 窓の外には、自然が広がっていた。どうやらここは森に囲まれた場所らしい。少し下の方を見てみると、広い庭がある。中世ヨーロッパのお屋敷の城、と言われて想像するような景色だ。

 いい景色だ。小鳥のさえずりや葉擦れの音が心地よい。

 試しに窓を開けてみると、心地の良い冷たい風が肌を撫でた。


「……んえ?」


 心地の良い大自然の音に、一体何の香りかいい匂いもする。風が肌を撫でるこの感覚も、夢とは思えないものだ。


「いやいやいや……」


 もしかして天国だろうか。ふとそんな考えがふと頭をよぎったが、五感はしっかり機能しているし、脈拍もある。

 となると死んだわけじゃない……としても、なら私がいる場所はどこだ?

 そういえば、少し視線がいつもより高い気がする。髪の色も、綺麗な白色だ。


「いやいやいやいや……」


 まさかと思って、私は廊下に飛び出る。

 すると、廊下には見覚えのある肖像画が目に入った。見渡してみれば、肖像画はいくつか飾られている。

 肖像画と言っても芸術家が描いた有名な画という雰囲気ではなく、ゲームのキャラを少し写実的に描いた感じの物だ。


 そういえば、部屋の家具も見覚えがあるような。

 というかあの配置も、よく思い返せば私がいつも遊んでいるネトゲのハウジングシステムで私が配置したものと同じだ。


「いやいやいやいやいや……」


 私は部屋に戻って、さっき確認しなかったクローゼットの中を開いてみる。

 中にはハンガーにかけられたドレスや軍服、他にもニットやワンピース、地雷系の服など、ゲームで課金して手に入れたアバター――もとい、服があった。

 まさか今着ている服も、そう思ってクローゼットの隣に置いてある鏡の前に立つと、そこに映ったのはやはりというべきか、私ではなかった。


 腰まである綺麗な白髪に赤い瞳。ぽかんと開いた口からは吸血鬼のような牙が覗いている。

 服装は黒の所謂軍服ドレスと言うやつだろうか。これは、私が一番気に入っていたアバターと同じものだ。

 そして今の私自身の体は、まさにゲームで使っていたキャラ――ルナそのものだ。

 顔は私が時間をかけて作ったものだし、色白な肌や健康的な体。体は華奢だけど不健康なほどではなく、胸も太腿もある程度の肉はついている。それと、吸血鬼のように尖った犬歯……というか、キバ。


 ということは、私はゲームの世界に来たとか、そう言うことだろうか。

 悪い夢であってほしい。詩音のために、ブラウニーを作らなきゃいけないんだ。

 目覚めなきゃ――なんて考えても目が覚めるはずもなく、ただただ時が過ぎる。


「何の冗談よ、ほんと……」


 ――もしこのまま目が冷めなかったら?

 ――もし私がこん睡状態になっていたら?

 ――もし私が死んでいたら?

 ――戻れなかったら詩音はどうなるの?

 色々な不安が押し寄せてきて、私はその場にへたり込む。直観的に、私は死んだのだろうというのは分かっている。


「なんでよ。詩音にお菓子作ってあげるって言ったのに……」


 最悪だ。なんで私が。昔から体が弱くてずっとベッドの上で碌に友達も作れず、何度も手術して傷跡を増やして、何度も家で血を吐いて苦しい思いをして、やっと元気になったから可愛い妹のためにお菓子を作りたかっただけなのに。悪いことなんて何もしてないじゃん。

 でももしかしたら目が覚めるかもしれない。その可能性に欠けて、私はゆっくりベッドに戻った。


  ◇◆◇


 これは悪い夢だからいつか覚める。そんなことは何度も考えた。しかし私は不健康な体のまま、ゲームか静養の毎日が続き、最悪な形で最期を迎えた。

今回ばかりはきっと夢だ、なんて都合のいいこともあるはずがなく、周りの景色は何も変わっていない。

せめて、前向きに考えよう。


 この体は前の体と違って健康的だ。常に感じていた気怠さはないし、体も楽に動かせる。

 前の体はとにかく不健康。外で遊ぶのなんてもちろん、買い物に行くことすら一苦労だった。それに比べれば、よっぽどマシだ。それに、この体のほうが大人っぽいし。病的なのではなく、純粋に美しい白く透き通った肌なんて、皆に自慢できちゃうね。


 この家だって、私がゲームで作ったものとほぼ同じ。ゲームの世界観と私の趣味を程よく組み合わせたコーディネート。

 窓から見える景色も、ゲームで見たものと完全に一致している。

 庭には池や噴水、果物のなる木なんかがあり、塀で囲まれた敷地の外には整備された道の向こうに森が広がっている。

 そういえば屋敷の中はどうなんだろう。そう思って一通り散策してみたら、ゲーム内で入れる場所は自分で作った通りになっていた。ゲームで行けなかった厨房や浴場は私の家具配置の雰囲気に合わせて作られているので、あまり違和感がない。


 ただ、裏庭に配置した家庭菜園風の畑がすっからかんだったので、すべて同じというわけではなさそうだ。

 一通り見た感じ、生活する分には何も問題なさそう。

 そっか、私はこの新しい体で、大好きなゲームの世界で過ごすことになるのか。

 夢のような状況だ――なんて、素直に喜べない。


 死ぬにはまだ早すぎるし、残してきた物事が多すぎる。

 私一人ならまだいい。けど、そうじゃない。残してきた詩音は?

 家は両親共働きな関係上姉妹二人でいることが多かったので、詩音はまあ私に相当懐いてくれていた。多分、他のとこの姉妹と比べても仲が良かったと思う。

 そういう事情もあるので、どうしても詩音の事が頭から離れない。

 詩音はちょうど今年受験生で、何なら自毛受験勉強を始めていた。私の事が受験に影響しなければいいけど。


 ダメだ、詩音が気になる。

 こういう時は寝るのが一番だけど、寝たところで現実は何も変わらない。


「はぁ……どうしよ」


 もう私には考えられない。

 結局、私は部屋に戻ってベッドの縁に座り、ぼーっとしていた。

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