2. 山椒魚の正体

「山椒魚じゃないよ。僕、モコっていうんだ」

 は涙を拭った。

「でもどう見たって君……」

「あのね、こうなったのは多分これのせいなんだ。そりゃ毎日五枚は食べすぎだけど……おたくのピザ、なんか変なもの入ってない?」

「入ってるに決まってるじゃない! ピザ・アンナはなケミカル・ジャンクが売りなのよ。そんなに食べたら体にイジョーをきたして当然だわ」

「そ、そんな無責任な!」

 山椒魚の眼は恨みがましく潤んだが、アヤメはつれない。

「ママに言われなかったの? 好き嫌いばかりしちゃダメだって」

「そうだ、ママのせいだ! 僕の好き嫌いをママが本気で治してくれてたら……! ウオオオン……!」

 アヤメは呆れて背を向けた。

「バカらし、何でも人のせいにして。帰るね」

「待って、待ってよ! 僕、本当に困ってるんだ。お願い、助けてよ!」

 岩の巨体を丸く縮めて懇願する姿に、アヤメはほんの少しだけ同情を覚えた。


 翌日、アヤメは再び岩屋を訪ねた。

「厨房に頼んで作ってもらった特製だよ」

 箱を開けると、ピザの上にフレッシュ野菜がどっさり乗っている。モコは緊張の面持ちで固唾かたずを飲んだ。

「……これって、人が食べても大丈夫なやつ?」

「あんたもう人じゃないじゃない、アハハ」

 笑うアヤメを小さく睨み、モコは一切れ頬張った。

「オエッ!」即座に吐き出したピザはアヤメの顔面を直撃した。

「やっぱり無理だよ、野菜なんて食べられない!」

「あっそ。無理ならやめれば? 別にあたしは困らないし」

 その言葉は冷たかったが、決していい加減にあしらったり、馬鹿にして見下すような調子ではない。モコはこんなに真剣な眼差しで誰かに見つめられたことはなかった。

「も、もうちょっと食べてみる……」

 モコは再び頬張ったピザを、再びアヤメにぶちまけた。


 一週間が経った頃、モコは特製ピザをほとんど克服していた。モコは初めて自分が変われるかも知れないと思うと浮き足立った。もっと嬉しいのは、毎日アヤメに会えることだ。こんな姿になる前から、友達がいたことはなかった。

 だが、今日は昼を過ぎてもアヤメがこない。モコは狭い寝床をウロウロと這い回った。彼女の身に何かあったのか、それともやっぱりこんな醜い怪物を相手にするのが嫌になったのか。悪い想像ばかりがよぎった。

 突然、岩屋の天井から大きな音が響き始めた。まるで工事現場のような機械音と振動が走り、次第に砕けた岩の破片がパラパラ落ちてきた。

 モコは恐ろしくなったが、逃げ場などない。奥の壁に背中をくっつけ、身震いしながら天井を見つめていると……

「ズゴン!」と大きな音がして、真っ二つに砕けた岩が目の前に降ってきた。噴水のように跳ね上がった湧き水はモコを頭からずぶ濡れにした。

「モコ!」

 ぽっかりと空いた天井から、アヤメが小さな顔を出した。ゴーグルをかけ、革手袋をつけた両腕には大きなドリルを抱えている。

「岩が落ちてきたでしょ? 気をつけて」

「遅いよ、言うのが!」

 アヤメはイヒヒと笑って脚立を降ろした。

 天井の穴から強烈な夏の日差しが差し込んだ。湧き水はキラキラと輝き、雑草たちはたった今芽吹いたかのような青さを放った。五段のピザを片手に器用に降りてくるアヤメの制服姿は、暗闇の中では想像もつかないほどに鮮烈だった。

「ほら、お待たせ」

 光に包まれてアヤメが振り向く。もはや天使というより他にない。モコは突っ立ったまま返事もできなかった。


 ぽっかりと空いた天井から、白鳥座のデネブが見える。

 モコは一人仰向けに転がり、アヤメの言葉を思い出していた。

「あの入り口、狭いんだもん。それに、こんな暗いところに閉じこもってたら気持ちも塞いじゃうでしょ?」

 そう、降り注いだのはまさしく希望の光だった。青い空も入道雲もアヤメの額に輝く汗も、目にするもの全てが眩しくて、モコはまるで人生の新しい扉を開かれたようだった。

 一日も早くここから出よう。

 夏の夜風を胸いっぱいに吸い込んで、モコは眠りについた。

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