第2話 明治元年戦艦大和
ときに西暦1868年、元号は明治となったが、この世界線では江戸時代が続いている。尊王思想が高まり、天皇陛下は神聖にして侵すべからずと考えられるようになっていたが、為政者は依然として征夷大将軍であった。
明治維新は起こっておらず、徳川幕府は健在である。
長州藩も薩摩藩も反乱を起こしていない。吉田松陰は端然として私塾を営んでいる。坂本龍馬は千葉さな子と結婚し、千葉道場の師範代として溌剌と剣術指導に励んでいた。桂小五郎や大久保利通はそれぞれ藩の能吏として頭角を現している。
幕府の力は絶大だ。
幕府海軍の旗艦は戦艦大和。
46センチ3連装砲を主砲とするこの軍艦は未来からやってきたもので、この時代の世界の海軍が束になってもかなわない。
日本だけ時空が歪んでいて、未来軍がやってくる。
日本は鎖国を続けている。
その独立はゆるがず、侵略しようとする国はない。
大和には軍艦奉行の勝海舟が座乗している。連合艦隊司令長官山本五十六は自らを未来人と自認していて、補佐役に徹し、指揮権を勝にゆだねていた。
ある秋の朝、勝は大あくびをした。
「ふわああ、暇だなあ」
大和は横須賀基地にいる。
江戸湾の波は凪いでいた。
「榎本くん、ひとつ、航海でもしないかい」
勝は、あくびとともに流れ出たかすかな涙を手の甲で拭いながら言った。
榎本武揚は与力として勝の仕事を手伝っている。だが、勝も榎本もたいしてやるべきことはなかった。幕府海軍は世界水準から飛び抜けて強大だ。未来軍人は規律正しく、放っておいても日本の防衛のために働いてくれる。
「大和は日本の守護の要です。軽々しく動かしてはなりません」と榎本はいちおう言った。大和がいなくても、武蔵以下がいれば盤石だということはわかっている。
「かたい、かたいよきみ、かたすぎる」
「かたいですか」
「ああ、もっとやわらかくならないと、五稜郭の守備役に左遷するよ」
「蝦夷地は寒そうですな。もっとやわらかくなります」
「それでよろしい。では航海だ」
「行き先はどこですか?」
「ヨーロッパだよ、きみ」
「幕府に許可を取りませんと……」
「わかった。将軍様にかけあってくる」
勝海舟のフットワークは軽く、江戸城に行って、征夷大将軍徳川慶喜に拝謁した。
家定と家茂はすでに病没し、尊王思想の高まりを反映して、水戸藩出身の慶喜が将軍職を継いでいた。
「こたびは、大和の訓練航海を許可していただきたく、参りました。ヨーロッパへ行きたいのですが、許可をお願いいたしまする」
「よい。じゃが、わしも連れていけ」
という成り行きで、第15代徳川将軍を乗せて、戦艦大和は出航した。
大和はインド洋、喜望峰沖を経由し、ヨーロッパにやってきた。
徳川慶喜、勝海舟、榎本武揚はロンドンを観光した。
大英博物館を見学し、イギリス料理を食べ、紅茶を飲んだ。彼らは満足した。
この地で、山本五十六は徳川慶喜に日英同盟を結ぶことを提案した。
「なぜだ。我が国は世界に比類なき海軍を持っている。エゲレスの助けなどいらぬ」
「私は日英同盟の破棄、国際連盟脱退、日米開戦は愚かな選択だったと思っております。鎖国もよいでしょう。しかし、末永く日英同盟を続けることが、日本にとって最良の外交だと信じています」
「おまえの言っていることは理解できぬ。だが、大英帝国と誼を結ぶのは悪いことではなかろう。帰国後検討しよう」
この提案は実現し、後に日英同盟が締結されることになる。
慶喜たちは次にパリへ行き、ナポレオン・ボナパルトが作らせたエトワール凱旋門をくぐった。フランス料理を食べ、ワインを飲んだ。彼らは満足した。エッフェル塔はまだ着工もされていない。
また山本五十六が将軍に献策した。
「海軍力だけがすぐれているのは、国として健全とは言えません。ヨーロッパの先進性を日本に導入するのがよろしいかと存じます」
「この国を見て、確かに進んでいると感じることは多かった。おまえの言うとおりにしよう」
これも後に実現し、慶喜は遣欧使節団の派遣を皮切りとし、多くの留学生を送り出すことになる。
その後イタリア観光も済ませ、「もうよい。帰ろう」と将軍は言った。
戦艦大和は帰国の途についた。
46センチ砲は1発も発射されなかったが、多くの欧州人が巨艦を見て、ジャパンとだけは戦争してはいけないと思った。
世界では帝国主義の嵐が吹き荒れていたが、日本は平和だった。
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