第9話 もうどうでもいいことだ

 限られた時間は、慌ただしく過ぎていく。


 たった二日の準備期間はすぐに終わって、ついに今夜、私のステージが幕を上げる。


 一応は秘密であるため、私も普通に貴族学校で授業を受け、夕方クリュニーとともに王城へ出向く予定だ。しかし、人の口に戸は立てられぬとよく言ったもので、貴族学校のあちこちで今夜の夜会の噂が上っていた。


「聞いた? 明日の夜、王城の夜会で秘密の出し物があるんだって」

「両親が招待されているの! 何があるのかしら」

「何でもクリュニーが一枚噛んでるとか」

「あのトラブルメーカー……いや、精霊使いエレメンタの?」

「高等部の授業に珍しく出ていたそうよ。いつもレポート提出なのに」


 王城に常駐しているような大貴族を親に持つ子弟の口から、秘密はあっさりと広がっていく。幸い、噂の内容は「クリュニーが何か出し物を計画しているらしい」程度で、私の名前はこれっぽっちも出ていなかった。世人の注目はクリュニーの天真爛漫な性格と精霊使いエレメンタの特異性に向かい、すっかり主役の私を覆い隠す防壁になってくれているようだ。


 ところが、そんな私に声をかけてきた生徒がいた。


 白に近い金髪の少女、私の同級生のカーズリュー侯爵家令嬢エミリアナだ。今日は一人で、私の行く手を遮るように仁王立ちして待ち構えていた。


 私はうんざりした顔を隠さず、目の前で堂々と立ち止まる。


「エミリアナ……まだ用があるの?」


 エミリアナの、私を螺旋階段から突き落とそうとする性根の悪さや、わざわざ婚約者を奪い取った話を伝えにくる趣味の悪さはもう存分に知っている。できれば関わりたくないし、私だって婚約の話が流れた挙げ句に掻っ攫っていった親しくもない相手と喋るなんて避けたかった。だが、ここで無視すればどうせもっと強引な手段に打って出てくるだろう。


 しょうがなく私が見据えると、エミリアナは悪態でも罵倒でもなく、意外な問いを投げかけてきた。


「アリアン・カテナ。あなた、本当は踊れるのでしょう」


 私を嘲笑っていたあの表情はどこへやら、神妙な面持ちのエミリアナは、至極真面目にそう言った。どこの何の情報を得たのか知らないが、馬鹿正直に答える義理はない。私はエミリアナを適当にあしらう。


「だったら? あなたには関係ないわ」

「いいえ。私はあなたに婚約者を譲られた、なんて許せないのですわ」

「知らないわよ、そんなこと。私はそんなものよりもっと大事なものがある」

「それは何?」


 しつこいエミリアナだが、真剣な様子は見て取れる。だから、私は正直に話してやった。


「誰もが認める主役プリマになること。ただそれだけ、婚約なんて邪魔でしかなかったから、ちょうどよかったわ」


 それは貴族令嬢としては、捨て台詞でしかない。婚約さえも成立させられない娘を父のカテナ子爵は嘆くだろうし、今の私の目標を聞けば憤慨さえするだろう。


(でも、そう言う以外ないわ。今日の舞台を成功させて、お父様にも認めてもらう。怪我の功名というか不幸中の幸いというか、ショックは受けたけど、今思えば婚約が成立しなくてよかったわ)


 そんな私の気持ちなんて、エミリアナに理解してもらおうとは思わない。


 私に対して余計なお節介を口にする、かと思いきや、エミリアナは声を振り絞り、憎々しげに、悔しそうに、わざわざ私を呼び止めた意図を教えてくれた。


「空き教室での踊り、偶然見ていたの。あれは、確かに……あなたが天性の踊りの才能を持っている証拠だわ。あれほど踊れるのなら、ただ回るだけのワルツなんて退屈でしょうね。いいえ、殿方だって必要ない、あなただけで踊りが成り立つのだもの」


 馬鹿にしていた相手の、踊りに関する認めざるをえない力量を見せつけられ、エミリアナの中で私の評価はガラリと変わったのだろう。素直に受け入れられないとしても、エミリアナは相手の認めるべきところは認める、そのくらいの潔さは持っていたようだ。


 少しだけ、私はエミリアナを見直したが、今となってはどうでもいいことだ。


 私は歩き出す。エミリアナの横を通り過ぎ、祝福の言葉をかける。


「さよなら、エミリアナ。婚約者とお幸せになって」


 そのときエミリアナがどんな表情をしていたかは知らない、私は振り返らなかった。

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