第8話 母との対話

 クリュニーに王城での踊りを提案された日の夜、私は慌ててフェネラ先生から外出許可をもらって、自宅へ帰っていた。


 カテナ子爵家の屋敷は王都のはずれにあり、父であるカテナ子爵の本業、軍の将軍としての職場である駐屯地の近くにわざわざ屋敷を構えていた。だから、貴族学校から戻るには少し時間がかかったため、私のひさしぶりの帰宅は夜に差し掛かってしまった。


 玄関の扉をくぐれば、執事や使用人の挨拶もそこそこに、私は急いで母のいる談話室へと早歩きで向かう。ついでに、並走する執事から父の近況も短く報告された。


「アリアンお嬢様、旦那様は最近、毎晩晩餐会やサロンに出席されておりまして、お帰りは遅くなられるかと」

「そう、ならちょうどよかったわ」


 私もそれを見越して帰ってきたところがある。父はどうせ婚約話をまとめるために、貴族の間で話し合いを進めているのだろう。エミリアナのおかげでその情報を耳にしていたのは幸いだった、これで邪魔を気にせず母と話すことができる。


 執事を置き去りにして、私は談話室に入り込んだ。


「お母様、ただいま帰りましたわ! お話があります!」


 連絡もなく、突然現れた娘を前に、安楽椅子に座っていた淑女——私の母、カテナ子爵夫人ジュディッタは、ゆっくりと首を動かして振り返った。


「久しぶりね、アリアン。どうしたの? 貴族学校は退屈?」


 無意識にも優雅な所作を披露する黒髪の女性ジュディッタは、三十そこそこの齢ながらも子爵夫人として完璧な姿形をしていた。肌を見せないシックなドレス、丁寧に手入れされた艶やかな黒髪、白い肌と端正な品ある顔立ち。私も多分将来はこうなるだろうと思うものの、ちょっと自信はない。


 おっとりとした母へ、私は心の中でまとめてきた依頼内容を、一言一句正確に伝える。


「お母様、お願いがあってまいりました」

「あら、改まって、何かしら?」

「お母様のツテで、一流の楽団を手配していただきたいんです」

「楽団? どうして?」

「踊りたいんです」


 母は「んん?」と首を傾げた。すかさず私は理由を並べる。


「王城で踊りを披露することになったので、楽団が必要なんです。無伴奏でも踊れますけど、分かりにくいと思うから、それで」


 察するに、母は深く物事を追及することはない。娘の滅多にない嘆願となれば、なおさらだ。


 クリュニーの提案では、明後日——私は国王陛下たち観衆を前に、踊りを披露することになっている。


 今から新しい音楽を楽団員に教えては間に合わないため、既存の楽曲で踊るしかない。それにしたって今日明日で合わせられるのは、腕に自信のある一流の演奏家たちくらいなのだ。そんなところに私が伝手などあるわけがないが、母なら別だ。踊り上手であるがゆえに数々の舞踏会に招待されてきた母ジュディッタなら、あちこちに伝手がある。


 小さいころから踊れないと泣き喚いていた娘の突拍子もないお願いを、母はそんな過去をすっ飛ばして案じてくれた。


「アリアン、あなた……踊れるの?」

「……はい。黙っていてごめんなさい、お母様」

「いいのよ、何かあったんでしょう? でも、いきなり王城だなんて」

「お父様とお母様もお招きします。私は、ここでチャンスを掴みたいんです。主役プリマになる最初で最後のチャンスだと思うから」


 この娘はいきなり何を言っているのだろうか、と母が訝しんでもおかしくない話だと私だって分かっている。それでも、私は母に嘘を吐きたくなかった。誰よりも舞踏会で踊りを楽しむ、メヌエットの名手と謳われた母なら、今の私が持つ『踊り』への情熱に気付くだろう。


 元々私のお願いを何でも聞いてくれる母だとはいえ、さして時間もかからず、私のお願いを了承してくれた。


「分かったわ。練習とリハーサルは必要でしょうから、場所も確保しておくわ。大丈夫、お父様には秘密ね? いつごろお披露目なの?」

「それは、その、明後日」

「明後日、それはまた急ね。王城にも楽団員を派遣する旨の連絡を入れないと」

「うん」


 決意も新たに、私は宣言する。


「明後日。王城の夜会前に、ステージに上がるわ」

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