第7話 踊りを認めさせるために

 イスウィン王国には、あの『記憶』にあるようなバレエはない。他国にはバレエの源流のような舞踏文化があると思われるが、芸術として認められてはいない。


 だったら、私は芸術としての踊りを確立しなくてはならないのだ。


 イスウィン王国には『精霊のための舞』というおあつらえ向きの「器」があるのだから。







 王城の屋根で見た舞踏会から、一ヶ月後のことだ。


 私は午前の授業が終わって教室から出ていくセセリアを呼び止めた。


「セセリア、お願いがあるの」

「へ? あんたが、私に? 珍しいわね」

「お昼のあと、三階の一番奥に空いてる教室があるから、そこに来て。おかしくないか確認してほしいことがあるの」

「な、何を?」


 困惑するセセリアへ、私は意を決して、頼み込む。


「私の、踊り。変だろうけど、見てくれる?」


 セセリアは決して馬鹿ではないし、意味もなく他人を嘲笑ったりしない。普段の軽薄な物言いとは裏腹に、とても義理堅く情に厚いところがある。


 私の予想どおり、セセリアは真剣な面持ちで承諾してくれた。


「いいよ、行く。こっそりよね?」

「うん。お願い」

「任せなさい」


 セセリアとはまたあとで会うことを約束して、私は空き教室へと向かう。


 多くの国内芸術家のパトロンとして、その地位を確かなものとしているライン伯爵家の令嬢セセリアの審美眼なら、信用できる。私よりもずっと、芸術というものに触れてきた彼女なら、忌憚なく判定を下してくれるだろう。


(一ヶ月、それだけで足りるとは思わない。『記憶』の『踊り』に近づくには、私はまだ体も小さいし、鍛錬が足りないもの。それでも)


 道すがら、私は、無意識のうちに口角を上げていた。


(今の私にできることはやってきた。少なくとも、観衆に見せるだけの踊りはできる!)


 ここ一ヶ月、ずっと誰の目にも触れないよう、私は空き教室で踊ってきた。『記憶』の『踊り』に近づくため、それと自分なりに踊りを追求するため、時間が許すかぎり体にステップを叩き込んできた。


 きっと、私が他人より賢いのも、『踊り』をこんな短期間で体得できたのも、『記憶』があるからだ。その確信を得て、私は安心した。


「だって……『記憶』の土台を持っているから、さらにその先に進めるじゃない!」


 自分でも思う。私は、貪欲なのだ。


 『記憶』の正体なんてどうでもいい。夢中になれることが見つかって、上達する道がある。それがどれほど幸運かなんて考えるまでもない。


 私は空き教室の扉を開き、廊下側の窓という窓にカーテンを引く。三階だから外からは見えない、採光用の窓は多ければ多いほどいい。


 教室の備え付けの机と椅子は動かせないが、普段は教師が登壇する黒板前の木製の幅広いステージを使う。狭くはある、でも私は小柄だし、十分だ。


「よし。セセリアが来るまで、準備運動がてら踊ろう」


 私の踊りに、伴奏は必要なかった。数えきれないほどの舞台用音楽が、『記憶』から頭に響いてくる。


 まるで『記憶』がリクエストするように、語りかけてくる。


「ねえ、村娘ジゼルの踊りはできる? 小さいころからあれだけ練習したんだもの。役は取れなかったけど、できるはずよ」

「分かったわ。踊ってみる」


 私はそう独り言を呟いて、制服の長いくるぶし丈のスカートの裾をつまみ上げる。


 ポン、と私はつま先で跳ねる。スカートのひるがえりさえも表現のうちだ、軽やかに舞うように見せるためには、くるぶし丈のスカートもふんわりと舞うように、私は四肢を広げて回る。回る。回る。


 『ジゼル』という演目において、主役である村娘ジゼルが大好きな踊りを披露する喜び、それは今の私なら理解できてしまう。


「見て見て、こんなに踊れるのよ! 普段はできないけれど、今なら全力を出すわ!」


 そんな感情が、指先やつま先にまでほとばしるようだった。長時間のつま先立ちポワントはまだ無理だが、それならばとより素早く、躍動感を出せばいい。


 たった一分踊るだけでも、足が痛い。当然だ、私はまったく鍛えていなかったのだから。


 両腕が、両足が、緩急をつけて交差し離れるくらいできる。それどころか、大きなジャンプグラン・ジュテができなくたって、回転ピルエットはできる。


 それができれば——村娘ジゼルの最後の見せ場は踊れる。


 そう思っていた矢先、教室の扉が勢いよく開かれ、私の動きは止まる。


 セセリアが目を剥いて、金髪のおさげを置いていくほど駆けてきて、驚く私の両肩をがっしり掴んだ。


「あんた、まさか、こんなにすごい踊り手だったなんて……びっくりさせないでよ! すごかった! 何で今まで踊らなかったのよ!」


 どうやら、セセリアはカーテンの隙間から私の踊りを見ていたようだ。教室に入る前に踊りを目にしてしまい、いても立ってもいられず乱入してきた、そんなところだろう。


 興奮に頬を赤くしているセセリアの目は、素晴らしいものを見たと訴えるように輝いていた。その評価が私は嬉しくて、こう答える。


主役プリマになりたかったの」

「え?」

「何でもない。えっと、ごめんなさい。セセリア、ここでのことは秘密にしてほしいの」

「それはいいけど、本当にフェネラ先生に言わなくていいの? 課題だって、朝飯前でしょ?」

「うん、言わないで。私の踊りは、そういうものじゃないから」


 そう、バレエは舞踏会で男女で踊るようなものではない。それも理由の一つではあるが、私はこの『踊り』はセセリアのような芸術に慣れた人々以外にどう映るかを恐れていた。


 踊り子、という言葉は長い間、蔑称に近かった。それは歴史が、あるいは今のイスウィン王国の常識がそう言っている。煽情的な踊りでおひねりをもらうような、身分の低い者がやること。そういう先入観があることは確かだからだ。


 だから、いかに芸術の枠内にある踊りと認識してもらうか、それはまた踊りの技術とは別問題なのだ。


 とはいえ、セセリアという観衆に私の踊りが認めてもらうことはできて、一つ問題はクリアした。それは素直に喜ばしかった。


「見にきてくれてありがとう。教室を片付けていくから、先に帰っていて」

「分かった! 他の人には言わないから、安心してちょうだい!」


 セセリアは胸を張ってそう言って、帰っていく。私に大きな安堵を与えてくれた友達は、きっと約束を守ってくれるだろう。


 と、教室の片付けをする前に、やるべきことがある。


 私は廊下と反対側の窓へ行き、外に見える背の高いシナの木の枝に止まっている——水色の半透明の体をしている、薄羽を持ったクラゲのような精霊ジーナを見つけたのだ。


 精霊ジーナの足の一本は、先端に輪っかを作ってキラキラと輝く水面を湛えさせていた。


 王城の舞踏会に瞬間移動した、精霊ジーニーのときのように、その輝く水面は意味がある。私は窓を開けて、精霊ジーナへ向けて話しかける。


「クリュニーさん、見ていてくれましたか」


 半ばカマをかけたようなものだったが、精霊ジーナはふよふよとやってきて、窓辺に着地した。そして、足先の輪っかの中から声が響いてきた。


「バレてたか。精霊ちゃんジーナを通して見てたよ、すごかった。社交ダンスじゃないけど、あれは、まさしくプロの舞踏家のものだ」


 私は「やっぱり」と肩をすくめたと同時に、「そうでしょう?」と誇らしげな気持ちになった。瞬間移動ができるなら、精霊を通して遠隔視したり通話したりもできるだろう、そう考えていたし、クリュニーならセセリアの同類だと思っていたからだ。


 クリュニーなら、私の踊る理由を分かってくれると信じて、私は気持ちを打ち明ける。


「私はこの踊りで、芸術の舞台で主役プリマになりたいんです。決して舞踏会で男性のために踊ったり、婚約者を求めるために踊りを使ったりしたくない」


 決して、私は舞踏会の踊りを貶しているわけではない。低く見るつもりもないし、芸術ではないと言い切るつもりもない。


 今の私のやりたいこと、それは純粋に芸術を突き詰めることだから、それ以外の意味を軽々に踊りに持たせたくない、ただそれだけなのだ。


 クリュニーはその意味を、すぐに理解してくれた。


「つまり……貴族令嬢でいるよりも、素晴らしい踊りを追求していきたい、と?」


 私は頷く。貴族令嬢として踊るのではない、それは私がカテナ子爵家令嬢である義務を果たさないということになる。


 その道のりは険しい、でも挑まないわけにはいかない。


 すると、私の覚悟を読み取ってくれたのか、精霊ジーナを通してクリュニーはとある提案をしてきた。


「アリアン、その踊りを一度だけでいいから、ある観衆に披露してくれないかな?」

「ある観衆?」

「そう。おそらく、この国で一番、厳しく品評する観衆たちだ。国王の御前で、君の踊りを見せてほしい」


 まったくもって想定外の、いきなりの大舞台の提案だ。


 そんなことをするだけの力がクリュニーにはあるのだろう。精霊使いエレメンタとして無理を通す何かしらの理由があるのだ。


 それほどに、私は期待されている——そう思うと、私の胸の奥から、凄まじい情熱の火照りが身体中を駆け巡る。


 主役プリマになる絶好の大一番へ手を伸ばせるなら、私はこう言うしかない。


「望むところです」


 私の返答に満足したクリュニーは「よかった、詳細を話すから図書館に来てくれ」と言い残し、精霊ジーナの足の輪っかは解かれた。


 私は、精霊ジーナを恐る恐る抱きしめる。精霊ジーナは私の強がりを察したのか、細長い足で抱きしめ返してくれた。

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