第2話 図書館で出会った精霊使い
見学に徹していた授業後、気分憂鬱な私はフェネラ先生から、レポートの提出を命じられた。
「授業の課題の代わりとして、我が国の舞踏会の歴史についての概略を、レポートにして提出するように。量は用紙五枚以上です、できますね?」
「はい、分かりました」
「図書館に連絡を入れておきますから、司書のカーン先生に調べるための本を選んでもらってかまいません。頭脳明晰なあなたなら、カーン先生の薦めてくださる本も読めるでしょうし、期待していますよ」
そう言って、フェネラ先生は私の肩を叩いた。言葉の端々に、気遣いを感じられる。
今日の授業が終わり、午後の空いた時間に私は図書館へ向かった。
学校の片隅にある図書館は、一応外部の学識関係者も利用でき、国内有数の蔵書数を誇る——のだが、貴族学校の生徒たちが積極的に利用するかというと——おそらく、学校生活で一度も利用せず卒業していく生徒のほうが多い。
立派な施設なのに、実にもったいないことだ。
常連の私はいそいそと図書館の扉をくぐる。たくさんの石像や彫刻作品が見下ろす吹き抜けの大理石の廊下を通り、突き当たりの小さなガラス扉を開けた。
そこは生徒用の閲覧室だ。木製の分厚いカウンターには、
図書館で会話は厳禁、だけど閲覧室を利用するときは司書のカーン先生の許可を取る決まりだ。私は、カーン先生へそっと声をかける。
「フェネラ先生から、歴史書の閲覧許可をもらってきました」
すると、カーン先生は顔を上げ、にっこり笑った。
「ああ、聞いているよ、アリアン・カテナ。歴史書の並んでいる奥の部屋は貴重書が多いから、水分の持ち込みは禁止、もし何かあれば私はここにいるから知らせるように。とはいえ、長居はしないほうがいい。眠くなるからね、寝ぼけて本を傷つけかねない」
「大丈夫です。一時間ほどで帰ります」
「そうか。まあ、貴重書さえ読める君に今更注意する必要はないな」
そう言われて、私はちょっとだけ誇らしかった。
どういうわけか、私は他人よりも学習能力が高いらしい。教わっていないはずの文字が読めたり、知らないはずのことを知っていたり、貴族学校に入る前から読み書き計算がしっかりとできた。
その代わりなのか、時々見たこともない、薄ぼんやりとした記憶が突然浮かび、強い憎悪と後悔に苛まれることがある。息をすることさえ忘れるほどの、心が引き裂かれるような激しい感情が胸に渦巻き、どうしようもなくなるのだ。
鏡面張りの部屋、どこかの劇場、着飾った人々の間にいる私の足は、例外なく舞踏用の靴を履いている。どれも『踊り』に関係するものばかり——そういうものを見るたび頭が痛くなって、遠ざからないと、と必死になってきた。
(先天的に何かを宿している、なんて騒がれたこともあったけど……そんなのないほうが良かった。それに、踊りなんてできなくたって死なないわ。忘れよう、早くレポートを書いて寮に帰らないと)
私は思い出しかけたつらいものを頭の奥底へと押し込んで、閲覧室の奥へと一歩を踏み出す。
ところが、私の背後で何だか盛大な音がして、ドタバタと誰かが閲覧室に走り込んできた。常日頃、図書館では聞かない騒音だ。驚いた私は、思わず振り返る。
ちらっと見えた制服から、背の高い金髪の男子生徒であることは分かった。しかし、彼は素早く木製のカウンターを飛び越え、カーン先生の隣に潜り込んで隠れたのだ。
「カーン先生! ちょっと隠れさせて!」
「こらこらこら、クリュニー!」
男子生徒は、すっかりカウンター下に入り込んでしまった。私がカーン先生へ視線を向けると、やれやれとため息を吐き、私へ「いつものことだよ」とつぶやいた。いつものことらしい。
図書館では暴挙に近い行動だったが、カーン先生がかまわないのなら私が何かを言う必要はない。そう思って、ついと視線を逸らしたそのときだった。
ガラス扉が破壊されそうなほどの、さらなる轟音とともに、副学長のマダム・バークレーが突撃してきた。本来なら厳格な中年の女性教師だが、今日は凄まじく取り乱し、閲覧室をぐるりと見回したあと、カーン先生に突っかかった。
「先生、こちらにクリュニーがいらっしゃいませんでしたこと!?」
「いえいえ、来ていませんよ。外で大きな音はしましたが」
「そう……失礼、ごめんあそばせ!」
嵐のようにやってきたマダム・バークレーは、嵐のように去っていった。
静粛な空間であるはずの図書館で何が起きているのか、さっぱり分からない私は驚いて立ちすくむ他ない。
マダム・バークレーの足音が聞こえなくなってから、カウンター下から男子生徒が周囲を警戒するリスのように顔を出してキョロキョロとしていた。
さらに驚かされたことに、その頭をよく見ると、男子生徒は綺麗な金髪の根元が水色に染まっていた。
(珍しい、
髪の根元に水色が差すのは、先天的に『不思議なもの』を宿している証だ。
私の黒髪も、実は根元に少しだけ水色が入っている。しかし、私の場合はツヤの多い真っ黒な髪に混じってほとんど気付かれないのだ。今のところ、家族以外に知られたことはないほど。
とはいえ、目の前のクリュニーという男子生徒が何を宿しているかなんて分からない。誰のものかも分からない記憶を生来持ってしまっている私なんて、役に立たない上に意味が分からなすぎて家の外で喋れない、しょうもないものだもの。あまり聞いてはいけないことかもしれないから、私は見なかったことにしようとした。
「ふう、助かった。もうちょっとここに隠れてるんで、大丈夫お気になさらず」
「やれやれ。暇ならこの子に歴史について教えてやりなさい。あと、高いところの本を取ってあげてくれるかい」
「お安いご用だ。ほんっと助かるよ、カーン先生」
なぜかカーン先生とクリュニーの間で、私をよそに話が進んでいる。
クリュニーという男子生徒は、のそりとカウンターから出てきて、私の横に立った。私より、身長が頭一つ半ほども高い。
ちょっと伸びすぎた綺麗な金髪を掻き上げて、彼は私へ右手を差し出した。
「おいで、お嬢さん。俺はクリュニー、高等部のイングラム・クリュニーだ」
握手を求められ、私はおずおずと右手を差し出す。高等部の生徒なら、十七、八歳くらいだろうか。握られたひと回り以上大きな男性の手は、思ったよりも温かい。それに——。
(右手、五本の指の先まで水色の紋様がある。もしかしてこの人、すごい魔法使いとか、そういう……?)
水色は不思議なものの証で、血の赤色と対になる神聖な色だと聞いたことがある。体にその色を宿す人間となると、おとぎ話や伝説に出てくる偉大な力を持った人物くらいだ。
それでも、私は反射的に美しい紋様から目を逸らし、手を握り返した。
「初等部のアリアン・カテナです。よろしくお願いします」
「よろしく。何をお探しだい?」
「イスウィン王国の舞踏会の歴史を」
「ふぅん、分かった。座って待ってて」
手を離して、すぐにクリュニーはパチン、と指を鳴らした。
「
虚空にそう命じると、宙を漂う半透明の何かが、現れた。
水色の透き通る体をした、薄羽を持ったクラゲのようなもの。頭ほどの大きさのそれを、本が好きな私は知っている。
「すごい、精霊だわ」
空中を滑るように、くるくると私とクリュニーの周囲を回った精霊ジーナは、奥の本棚へと飛んでいく。
一方、クリュニーはというと、はにかんで私へ尋ねてきた。
「その反応は新鮮だなぁ。精霊は初めて見る?」
「はい。クリュニー……さんは、
「おっ、博識だね、お嬢さん。先天的に精霊と契約して生まれた人間は、精霊を使役することができる。日常の小間使いから魔法を使わせることまで、応用範囲はなかなかに広いよ」
褒められて素直に嬉しそうな顔をするあたり、クリュニーは可愛らしい性格をしている。
年上なのに同年代くらいの男の子っぽいクリュニーの笑った表情が何とも愛らしくて、私が釣られて口角を上げていると、あっというまに帰ってきた精霊ジーナが私とクリュニーの間に現れ、自慢するように古い大判の本を見せびらかしてきた。
「わっ! あ、ありがとう、助かっちゃった」
私が本を受け取ろうとすると、精霊ジーナは細長い足の一本を伸ばして私の腕に絡め、閲覧用のテーブルへと誘った。私の小柄な体で大判の本を持つのは大変だろう、とばかりにテーブルへ置き、私のほっぺたに軽く頭を当ててからクリュニーのもとへと戻っていく。
何とも親切な精霊だ。そう思っていたら、クリュニーが感心していた。
「
「へぇ……嫌われてなくてよかったです」
何が好かれたのかはさっぱりだが、私は可愛らしい精霊ジーナのお眼鏡に適ったようだ。
私はクリュニーとともにテーブルの椅子を引いて座り、大判の本をゆっくりと開く。すでに読んだことがあるらしいクリュニーと精霊ジーナは、さっさとページをめくっていく。
「はいはい、このページからだね。どうぞ、ここから読んでいこう。我が国の舞踏会は、国一番の踊り手が精霊に舞を捧げたことから始まり——」
一時間あまり、私は精霊ジーナとクリュニーの講義に耳を傾けた。知っていることもあれば、知らないこともあり、クリュニーはどうやらイスウィン王国の歴史に詳しいらしかった。
(
そのあたりのことを尋ねようにも、性格的に私はお喋りではないから聞くのは躊躇われた。今は講義の時間、と割り切って、精霊ジーナが頭の上に乗っかっているクリュニーの話を真剣に聞く。
やがてクリュニーに礼を言って閲覧室で別れ、女子寮に帰ってからレポートに取りかかった私は、するすると頭の中から紡がれる文章をそのまま書き写すだけで完成させてしまった。クリュニーの講義のおかげで、舞踏会の歴史に対する理解度が私の中でかなり深まっていたのだ。
夕食前に終わってしまったレポートの用紙の束を前に、私はひとつ伸びをして、余裕を持てたことに安堵のため息を吐いた。
まったくもって、クリュニーと精霊ジーナ様々だった。今度、お礼をしよう。
頭を使ったことですっかりお腹が減った私は、女子寮の個室を出て、食堂へと向かった。
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