精霊使いと踊りと私と。

ルーシャオ

第1話 見知らぬ記憶と踊り嫌い令嬢

 ——ああ、こんなところで負けるわけにはいかないのに。


 意識が途切れる前に、私はそう強く思った。観劇の最中、ステージ袖で激しい頭痛に襲われて突然倒れ、床に臥せながらも、私の目はステージ上に向けられていた。


 ステージの中央で踊る村娘ジゼルは、楽しく闊達かったつに舞う。こちらに気付きもしないで、舞台ごと無情にも進行していく。私の気持ちも知らないで、私がどれだけそのステージに立つことを夢見てきたか、なぜ私は主役プリマになれなかったのか。意識を奪うほどの痛みの中で、私は走馬灯を吹き飛ばすほどの執念で、ステージを見つめつづけた。


 三ヶ月前、私の頭の中に腫瘍が見つかったときには、もう手遅れだった。痺れで踊ることもできなくなり、皆が私を哀れんで「いつでも復帰できるように」と稽古場に来ることを許してくれた。回復の望みなんてないことを知っていながら、私はただただ自分が降りたステージに未練がましく縋りつき、勝手にライバル視していた同年代の主役プリマへ嫉妬しつづけた。


 ——私に、もう少しだけ猶予さえ与えられていれば。


 ——どうして、私はいつも、主役プリマになれないの。


 ——見なさい、主役プリマが、ステージ袖で息絶えていく無名の代役なんて顧みるわけがない。


 心に渦巻く後悔と憎悪が、輝くステージに立つことが叶わなかったバレリーナの最期に残ったものだと誰が想像するだろう。


 ステージでは未練を残して死んだ精霊ウィリの群舞が始まる前に、私はあっけなくこの世を去ったのだった。




☆★☆★☆★☆★




 イスウィン王国には、貴族学校がある。初等部から高等部、大学まで備える、広大な学び舎だ。


 その校舎の一つ、初等部棟のレクリエーション室で、私——アリアン・カテナは制服のスカートの裾を握りしめて、俯いていた。ワックスで磨かれた板床の先には、十二、三歳の女子の同級生たちがスコート姿の体操着に着替えて、さっき教えてもらったばかりのダンスステップを確認している。


「アリアン、どうしても踊らないのね?」


 困ったような声をするのは、私の目の前にいる若い女性教師、フェネラ先生だ。フェネラ先生も良家の淑女で、賢そうに見える黒髪ブルネットをきちっと結い上げ、ずり落ちそうな黒縁メガネをかけていた。


 私は、目を合わせずに、こくりと頷いた。


「はい、フェネラ先生。私にはできません」


 生意気にも強情に聞こえるだろうが、私は断固として拒絶するほかない。


 私は、踊りだけはできないのだ。今までも、授業であっても遊びでも一切の踊りを拒絶してきた。


 フェネラ先生は、何とかダンスの授業に参加するよう、私を説得しようとする。


「そうは言っても、皆に与えられた課題なのだから深刻に受け止めずに、軽く挑戦しても」

「落第でもかまいません。私は、踊りだけはできませんから」


 取り付く島もない私へ、フェネラ先生はため息を吐く。


 そこへ、金髪の長いおさげを二つ結った、友達のセセリアがヒョイっとやってきて、一丁前に嫌味を言う。


「強情ね、アリアン。そんなことじゃ舞踏会に行けないわよー?」

「セセリア、余計な口を叩かない。あなたが入ってくると話がこじれてしまうわ」

「はーい」


 フェネラ先生の言いつけに従い、セセリアはニマニマ笑いながら少し離れた。まったく懲りた様子はないが、いつものことだ。


 私の今までの拒絶ぶりも知っているだろうフェネラ先生は、早々に折れて代替案を出してくれた。


「まあ、いいわ。また後日、代わりの課題を出しますから、それはしっかりやってちょうだいね、アリアン」

「はい、申し訳ありません。ありがとうございます」


 私はできるだけすまなさそうに聞こえるよう、真摯に謝り、お礼を言っておいた。これでダンスの授業は回避できた、と内心胸を撫で下ろして。


 レクリエーション室の隅に移動する私の背中へ、セセリアがいつものように悪態をつく。 


「あーあ、フェネラ先生を困らせるなんて悪い子だ、アリアンは」

「あなたには関係ないわ」

「邪魔する気はないけどさ、本気? 言うまでもないと思うけど、踊りは貴族令嬢の必須スキルだよ? 踊り好きな精霊に捧げる舞は無理としても、バレエでも社交ダンスでも、初級のワルツでいいから覚えといて損はないと思うけど」


 余計なお世話である。私は振り返らず、独り言を呟くだけだ。


「どうでもいい。私には、できないんだもの」


 そんな私の声なんてかき消すように、同級生の女子たちは甲高い声ではしゃぎながら、つたないステップを踏んで楽しそうにしている。


 私は、どうしてだか、踊れない。


 うっすらと、物心ついたころから強制的に思い起こさせられる、ステージ上のダンサーに対する強い憎しみと憧れ。記憶にもなく、まったく思い当たる節のないそれはあまりにも深く、私の心をむしばんでいて、私に踊りを拒絶させるには十分すぎるほどだった。

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