新生活

ある日、僕とご主人はいつの間にか知らない場所に連れて来られた。

「ブルー、怖いよ……」

僕を両手で優しく包み込むご主人の声は震えていた。自慢の青い羽はあるけれど、僕の大きさではご主人を安心させることは難しそうだった。せめて自分に出来ることをしようと何度も教えられた言葉を話す。


「アマネ、アマネ」

「うん、ブルーだけでも一緒に来られてよかった」

ご主人と僕が話していると口ひげを生やした男が部屋に入ってきた。


「佐江野あまねさん。セキセイインコ、ええと、ブルー君の様子はいかがでしょう。怪我無くお返し出来ましたかな?」

「……」

「あなたは奇跡の声を持つのです。Mシステムが消えてしまった今、あなただけが世界の平和を作ることができる」

「そんなの……知りません。Mシステムがあっても私は何もいいことなんてなかった。早く家に帰してください」

「ほう、この声が……。おっと、残念ですがそれは出来ないんです。ご両親からの同意も既にいただいている。あなたが世界を救う力を持っているとお伝えしたところ、とても喜んでいらっしゃいました」

「そんな……!」

「アマネ、ダイジョウブ?」

「おやおや、健気な子だ。そう、大丈夫。あなたの生活は国が、世界が保証します。あなたはただ、決められたように、決められたことを言えばいいのです」


男はこれ以上話しても仕方ないと判断したのか、部屋を出て行った。僕とご主人に向ける視線がとても気持ち悪かった。


「ブルー、お母さんもお父さんも、私のことなんてどうでもいいんだって……」

「アマネ、ダイスキ」

「私も。私の味方はブルーだけだよ」


***


次の日も男は部屋に入ってきた。

「今日はこれを読んでいただきたい」

「私の声を録音してそれを流せばいいんじゃないですか」

「それでもいいのですが……やはり『生』の声の方が作用も大きいようで。それに録音にしてもサンプルは多い方がいいのですよ。まあか弱い少女に無理強いは出来ませんがね」

男と僕の目が合った。相変わらず気持ち悪い。


「わかりました。でもブルーに変な真似したら絶対許さない」

「おや、そんなつもりではなかったのですが、その気になっていただけたのならよかった」

男は張り付けた笑みを崩さないまま、マイクを置いて出て行った。


「急に誘拐されて、Mシステムなんて忘れかけてたものの代わりなんて……あんなの、本当に役に立ってたのかもわからないのに」

「アマネ、ガンバレ」

「ブルー……ありがとう」


ご主人は男の持ってきた紙を見ながら意味が分からない音の羅列を読み上げていた。ただ、ご主人の声で聴くとどこか不思議で、神秘的な音に聴こえた。


***


次の日もその次の日も、ご主人は男の持ってきた紙を読み続けた。それは一日に数度行われ、毎回違う内容のようだったが、何語でもないような奇妙な響きは変わらなかった。

初めは一つのマイクに向かって話していたのが、数日経つと数が増え、見た目も仰々しいものになっていた。


ご主人が何もしなくていい時間は、ひたすら僕に話しかけていた。

「私もブルーみたいな羽があったら、こんなとこから逃げ出して自由になれるのに。……なんて、無理だよね。だってこの部屋、窓すらない。凄く息苦しいよ」


外の世界は危険、あなたは宝だ、と繰り返していた男の顔を思い出す。外の情報は全く入って来ないため、あのうさん臭い顔を信じるしかないけれど、僕だったら、宝物がこんな顔をしていたら耐えられない。今もそうだ。


「ブルー、あのね……」

「ブルー、また一緒に……」

「ブルー……」

ここに来た時より一層暗い顔になったご主人は、僕と話している間だけは少しだけ楽な気持ちになっている気がした。だから僕はご主人の言葉を聞いて、知っている限りの言葉を返す。


不安も、悲しみも、全て僕に話してほしい。


***


「なかなか慣れてきたのではありませんか?」

今日も嫌な男が部屋にいる。


「……」

「無視されるのも寂しいです。今日はいいお知らせを持ってきたのですが」

「やっと、帰れるんですか」

「すみません、違います。そろそろあなたの家はここだと認めていただきたいのですが……。いいお知らせと言うのは、世界から感謝や崇敬の声が届いているという話です」


そう言って男はばさりと手紙の束を落としていった。外国語で書かれているものにはご丁寧に翻訳された文章がついている。

しかしご主人は一切見向きもせず、僕だけを見て話していた。

「感謝なんていらない。私はみんなを救いたいとは思ってない。世界平和より自分の幸せの方が大事な最低な人間なの。……ねぇブルー、どうすればいいのかな」

「ブルー、アマネ、ダイスキ」

「……私も」

僕が掴むアマネの指は、なんだか前よりも細くなっている気がした。

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