救世主

平穏は突如として崩れ落ちた。

Mシステムのデータが世界から消え去ったのだ。紙媒体はとうの昔に失われていた。


年々減り続けるMシステム管理部署の職員たちは皆焦りの表情は見せるが、どうすべきなのかはほとんどのデータと部署内の権力を握るAIに頼るしかなかった。


「一体これはどういうことだ!おい、MCCMシステムコントロールセンター、管理はお前に任せていたな?」

『はい。しかしMシステムのデータは見つかりません。世界でも同様の問題が発生しています』

「解決方法を探れ」

『わかりました。調査を続行します』


普通の人間と聞き違えるほど精巧な人工音声がそう答え、画面が切り替わったのを見て男は溜息をついた。


「ああ、なんだってこんなことに。Mシステムを復活させられる人間なぞもう見つかりはしない。世界はおしまいだ……」

「ボス、我々はいかがいたしましょう」

「何とか民間人に情報が漏れないよう、限界まで粘ってくれ。このことが知れたらパニックどころでは済まないだろう……」

「承知しました。ところで、これは個人的な疑問なのですが、Mシステムが無くなるとどうなるのでしょうか。世界が終わるという噂は本当なのですか」


「そうか、君はMシステムが当たり前の世代か。……私は名ばかりの責任者ではあるが、Mシステムとは長いこと付き合ってきた。Mシステムが無くなると世界が終わるかという問いだが……それはわからない。ただ、年老いた一国民としての私から言わせれば大事なのはそこじゃない。『Mシステムがある』ことが何より大切なんだ。今この時代に生きる者は『Mシステムのおかげで生きていける』と信じている。実際に恩恵を受けた世代が、Mシステムを当たり前とする世代にそう伝えるからだ。そしてその存在は大きくなり過ぎた。拠り所を失った人間がどうなるか……私には想像が出来ない」


男が口ひげを震わせてそう言うと、突然アラームが響き渡った。

「MCC、どうした」

『はい。MCC内の学習データと照らし合わせた結果、Mシステムの波長と限りなく近い声を持つと思われる人間を発見しました』

「何っ⁈」

多くのディスプレイが並ぶ中、中央の一番大きなものに、SNSにアップロードされていたと思われる動画が映し出された。


「『痛いっ……!やめて……!』

『ほらぁ、俯いてちゃつまんないじゃん!もっと顔見して!』

『あんたのその姿、みんなに見てもらおうよ!同情コメで有名人になれるかもよ!』

『ホース持ってきたよー』

『お、いいねー!よーし、綺麗に洗ってあげよう!』」

画面内にはうずくまる一人の少女、少女に向かって投げつけられるゴミ。最後に水をかけられ震える姿で動画は終わっていた。


「そうか、システムの復旧は難しくとも、そのような切り口があったか……!ふむ、それでどの子かね?」

大画面にまた別の動画が流される。


「『奥宮おくみや中学校、三年三組、さ、佐江野さえのあまねです。お、奥宮中はみんな仲良し。毎日がとっても、た、楽しいよー!』」

一部の前髪が異様に短く、目元や頬が青紫に変色し、口元に赤色を垂らした少女が画面の中でピースをしている。


二本の動画を見て、辺りの職員たちはざわつき出した。

「そうか、この子が……」

ブツブツと何事か呟きながら、画面の中で無理やり作った笑顔のまま停止している少女をボスと呼ばれる口ひげの男はじっと見つめる。そしてその口元がゆっくりと弧を描く。


「ふ、ふふふ……ははは!皆のもの、喜べ!Mシステムは滅んでいない!この佐江野あまねこそ、奇跡の少女!我々の救世主だ!」


ボスのその言葉を合図に、職員たちは口を揃えて

「ばんざーい!!ばんざーい!!ばんざーい!!」

と画面の中の少女に向かって両手を上げ、熱い期待のまなざしを向けた。

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