動けない
十三、
テロリストの男は自分の持っていた銃をもう一人に預けてから不敵な笑みを浮かべて俺の方に近づいてきた。
俺は殴られることを覚悟して目を瞑ったが、痛みが走ることはなかった。恐る恐る目を開けると、その男は俺の横に立っていた。階段の方を見ている。
「殺されたのはアオイ君か。もう少し早く来てやれたらな、良かったのにな。銃声が鳴ったから急いできたんだが」
男は溜息を一つ吐いてから、俺を睨んだ。そして、顔に強烈な突きをいれられた。痛みに耐えきれず、体がしゃがみこもうとしたが、胸元を掴まれ無理矢理立たされた。 男は静かに、そして怒気をこめて俺に言った。
「今は人質が必要な場面だからな、あんまりむやみに人を殺すのもよくないんだが、でも、一人ぐらい殺したっていいんだぜ。言いたいこと、分かるだろ?」
「ああ」
「勝手に喋るな、って、言ってるだろうがよッ!」
そう言われて、今度は腹の方を蹴られた。鳩尾に入り、今度こそ俺は膝から地面に崩れ落ちた。
その時、テロリストの後ろにいる人質の中から一つの悲鳴が聞こえてきた。見なくても分かる。それは高崎絵麻のものだった。どうせなら、気付かれたくないと思っていたが、今はそんなことを気にしている余裕はなかった。
このまま俺は死ぬのだろう。修羅場を超えた修羅場。今度こそ、対処する手段がない。俺達側にいる戦力は俺と市橋だけ。そして、今となっては二人とも手ぶらだ。銃を持った相手に敵うはずがない。それに向こうは三人もいるのだ。勝っている要素がない。
それにしても、アイツは今は人質が必要な場面だと言ったのだろうか。どういうことだろう。ああ、そうか。後からやってくる自衛隊に俺達の――市橋達の命を使って交渉するつもりなのだろうか。無駄なことだというのに。自衛隊たちは一般人ごと殺しに来たのだから、そんな交渉に乗る乗らないの以前に聞いてやる必要すらないのだ。
「この野郎、何笑ってやがるッ!」
そう言われて、今度は寝転がっている顔を蹴られた。サッカーボールキックというやつだ。痛みに耐えきれず、呻き声をあげてしまい、それが彼の機嫌を損ねたのか「うるせぇな!」と言われながら、また同じ場所を同じように蹴られた。
何よりも痛かったのが鼻だった。もしかしたら折れているのかもしれない。それに、口の中から血の味がした。ふと、舌を動かして、まだ歯があることに安心している自分がいた。どうせこのまま死ぬというのに、どうしてかそんなことを気にしてしまう。
目頭から涙が流れ出てきている。ここで泣いてしまうなんて情けない。
「さあ、殴るのも飽きてきたぜ。なあ、最後に何か喋ってみろよ。面白いことを言えたら許してやるかもしれないぜ」
そんなことを言われても、言葉なんて思いつくはずがない。そうして、俺が黙っていると、今度は股間に蹴りを入れられた。
「ぐあっ!!」
「ははは、こりゃおもしれえや、変な声出しやがって。もう一発くらってみようぜ、なッ!」
「ッ!!」
「ふん。もういいや、そろそろ死ぬか。おい、立て」
「――――」
「立てって言ってるのが聞こえないのか、おらッ!」
「ンッ!!」
「ほら、立てよ。もう一発くらいてえのか?」
俺は何も考えられない中、立つことだけに全神経を使い果たした。直立を目指したが、体が言うことをきかず、膝は曲がっており、内股になっていた。
俺はこの状態にまた難癖をつけられ蹴りをいれられるかと警戒したが、彼はそんなことはせずに味方の方に向かっていった。
そして銃を受け取り、俺の方に銃口を向けた。もう少し、彼の快楽のための暴力を受け続けるかと思ったが、そうはならなかったようだ。もう早く決着を付けたかったのかもしれない。
「どうせならこのマシンガンで殺してやろうと思ってね」
そう言って、彼が引き金に指を当てた――その瞬間、窓ガラスの割れる音がした。突然の出来事に、人質達の方から叫び声があがり、俺はというと反射的に背中を丸めてかがんでいた。
その刹那に、俺は青黒い影を見た。
銃声が鳴った。
悲鳴があがった。
人の死ぬ音がした。
――そして、銃声は止んだ。
身を屈めて、目を瞑って、ただ闇の中にいた時は無限のように長い恐怖の時間であったが、振り返ってみれば一秒もない出来事だったように思える。
銃声がやんだ時、俺は一撃もくらっていなかった。
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