揺れ動いている(2)

 十一、




 はやる気持ちがあったが、市橋に「ここからは慎重にいきましょう」と言われ、足音を出来るだけ鳴らさないようにと、ゆっくりと歩いた。


 銃声は二階から聞こえてきている。呻き声は悲鳴、何かが爆発する音。そしてなによりも大きいのが心臓の鼓動だった。


 冷静になろうとすればするほど冷静でないことが明らかになり、さらに冷静さを欠いてしまう。全ての装備を脱いでしまいたい程に体が熱かった。


 ふと、市橋の顔を見て漸く俺は少しの冷静さを取り戻すことが出来た。彼の顔は酷く沈んでいる。人を殺してしまったという罪悪感が胸を締めつけているのだろう。何か、市橋に声をかけてやらねばという思いはあった。しかし、言うべき言葉が見つからない。


 俺のせいで市橋はこんなことになっているのだ。


 いや、そもそも市橋はどうして俺についてきたのだろうか。そして、なぜあの場面で市橋は発砲したのだろうか。


 やはりそのことが気になる。一般市民は何としても助けなければならないというのが市橋の本心であれば、さっきの俺の行動は市橋にとってどう映ったのであろうか。


 俺は女に銃口を向け脅した。口では自衛隊が助けてくれるからと安心させるようなことを言いながら、その嘘を隠すために俺は必死になって女を追い詰めた。


 市橋がどう思うかはさておき、俺の選択に間違いはないはずだ。俺の第一の目的は、高崎絵麻その人を助けることである。ならば、この人質の女の友達なんかにはかまっている暇がない。そんなことをすれば、俺自身の死ぬ確率が格段に高まるし、それに伴って高崎絵麻の助からない確率まで上がってしまう。


 だから、俺は俺の目的を達成するために正しい決断をしたはずだ。しかし――、しかし、これはなんだろうか。この胸を締めつけるものの正体は。罪悪感とは違う。そんなものではない。そんな程度の痛みではない。


 俺は気を紛らわせようと、一度立ち止まって人質の中でも一番冷静そうな男に声を掛けた。


「少しいいですか?」


「――はい」


「この病院から昼頃にも銃声が聞こえたそうですが、何があったんでしょうか?」


 それは俺が気になっていることでもあった。


「それは――、放射線技師の柊さんがゾンビ化してしまったそうで。それで、テロリストが撃ち殺したとか。それから同じ部屋にいた人たちも」


「同じ部屋にいた全員が撃ち殺されたのか?」


「はい」


「柊さんは何階にいたんだ?」


「確か二階です。僕達とは違う部屋でしたので命拾いしました」


 俺は高崎絵麻がすでに撃ち殺されいてる可能性が出たことに慄いたが、すぐに安心することが出来た。この女は四階にいる。だから、大丈夫だ。そうに違いない。


「それから、あのテロリストが言っていたことで何か引っかかっているものはありますか? 例えば、人質の配置についてとか」


「いや、その辺のことはあんまり――。その、すいません」


「いえいえ、ありがとうございます」


 この男は同僚が死んでいるというのに、やけに落ち着いていた。明るい顔とは言えなかったが、それでも人質の中で唯一、目の中に光があった。


 男はちらちらと、あの喚いた女のことを見ていた。


「どうかしましたか?」


「ああ、ええと、僕、刑事さんをこんなに近くで見るのが初めてで。趣味で刑事ドラマなんかをよく見るんですが、それでちょっと」


 男はまた、あの女の方を見ながら頭を掻いていた。それにこのセリフはたった今、思いついたかのような言葉であった。気になる女に趣味をアピールと言ったところだろうが、きっとこれは嘘に違いない。


「そうですか――、ただ私は刑事ではありませんよ。刑事というのは刑事課の人間であって、私は警備課の人間ですから」


 俺がそう言うと、さっきまでは意気揚々としていた男の顔が曇りになっていった。この男の不気味なまでの冷静さの正体は、どうやらプライドであるのだろうと察した。恥をかいたとでも思っているのか、男は俯いていた。


 俺は、本当は警備課を実質クビになったから警察でもないんだけどな、とでも自虐をして男の機嫌を取ることも出来たが、それは面倒なことになると思ってやめておいた。


 警察でないことがバレて面倒になるではなく、この男が元気を取り戻して、さらに調子まで乗って、あの喚いた女の味方までしてしまったら、いよいよ俺の取れる手段が引き金を引くしかなくなってくるからだ。


 プライドの高い人間は意気消沈とさせておいた方が扱いやすい。たまに暴走することもあるそうだが、今回に限ってはそうはならないだろう。この男があの喚いた女に好意を持っていることは間違いない。だったら、この男にとってそんな女の彼氏は敵であるはずだから、助けようと声をあげるわけもない。


 意中の相手以外に命を懸けれる人間なんて、世の中そう多くないはずである。


 ここで俺は市橋に声をかけた。


「もう大丈夫か?」


「え? あっ、すいません。気遣ってくれてたんですね」


 そういう意図だけがあったわけではないが、そういうことにしておいた。


 市橋の表情は元通りといった感じだった。


「その、すいません」


 そう言うと、市橋は俺の近くまで来て小声で喋りだした。俺以外には聞かせられない言葉だと判断したのであろう。


「勝手なことをしてしまいました。今後は気をつけます」


「いや、お前を責めれる言葉なんかないよ。謝る必要はない」


 市橋の勝手なこと、というのは突発的に人質を助けたことだろう。俺個人として思うところがあったとしても、責めれるはずがない。


 そして、俺が市橋が解放した人質達の方を見て「それでは皆さん、行きましょうか」と言ったとき、あの喚いていた女が二階の方へと走っていった。沈んでいた男も、その女の後を追いかけていった。


 俺は一瞬、手に持っていたサブマシンガンで女の足を撃とうかと考えたが、結局それはやめた。女が生き残る可能性だけを考えれば、撃った方が良かったのかもしれない。二階に行けば、あの女は間違いなく死ぬ。だから足を撃ち、それからあの男に担がせて上の階を目指した方が、まだ生きて帰れる可能性が高いだろう。


 しかし、俺はそれをしなかった。サブマシンガンでそんな力加減が出来るかどうかを迷ったわけでもなければ、あの女にとっての幸せを考えたわけでもない。一瞬の判断であったから本当にそうであったかは分からないが、俺にとって、あの女と男の方がいない方が都合が良いと考えてしまったからだと思う。そんな風に思いたくはないが、俺はそういう人間なのだ。


 一瞬のうちに助けることは無駄だと切り捨てた。


 ふと市橋の方を見ると、彼は銃口を今はもういない、あの女がいた場所に向けていた。


「――市橋。行くぞ」


「はい。四階まで急ぎましょう」

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