揺れ動いている(1)
十、
夜の街に爆音が一つ鳴り響く。自衛隊は小池山下病院に六方向から手榴弾を投げつけ、テロリストの巣窟へと突入を始めた。見たこともないような大きな銃を持って迷彩柄が夜の街を動いている。
そして、それが俺の作戦への合図となった。テロリストの戦力が五十人。自衛隊の戦力がざっと七十人。そこに一人で突入するというのは気が引ける話だ。
俺は警察の特殊車両に乗っていたサブマシンガンを取り出し、自衛隊が割った窓の方へ駆け出した。一階の東側からの侵入。銃声が鳴り響き、地面からの揺れすら感じられる。呻き声、叫び声、歓喜の声。しかし、歓喜の声は悲鳴へとなり変わった。
院内に侵入。自衛隊と目と合ったが、警察の装備をしている俺を撃つような真似はしなかった。これも一つの賭けであったが、ひとまずは勝ったようだ。自衛隊は俺を殺そうとはしない。
「いやあ、酷いものですね」
「は?」
俺の背後に市橋が立っていた。まさか、ついてきたというのであろうか。そんな馬鹿な真似を市橋が?
「ん? なんですか?」
「どうしてお前がここにいるんだ?」
「それはお互い様でしょう?」
「ああ、もう、話している時間はない。俺は俺のために動くからな」
「ええ、僕もそうします。と、いうわけで吉田さんについていきます。えっと、さすがに囮になったりしませんよ? 本当に。これは感動シーンへの布石とかではなくて。僕は生きて帰るつもりですから」
「喋ってないで、とりあえず来い!」
俺はそう言って、二階へと繫がる階段を探した。
「こっちだ! 階段を昇るぞ」
「一階に、ええと、高崎絵麻さんがいないかは確認しないで良いんですか?」
「確認ったてそれは無理だ! あれを見れば分かるだろう?」
小池山下病院の一階では銃撃戦が繰り広げられていた。おかげで俺達は今、声を張り上げなければ会話もままならない状態でいる。呻き声はテロリストのもので、悲鳴は一般市民のものであろうか。
もしかしたら、とも思っていたが自衛隊は本当に一般市民ごと撃ち殺すつもりらしい。
「一階に高崎さんがいたらどうするんですか?」
「それはもういないということに賭けた。賭けるしかないだろう? 自衛隊が突入する前に突撃出来ればそれも確認できたが、そうなったら俺が死ぬ」
「まあ、そうですけど。でも、賭けは多分勝ちですよ」
そのことは俺も分かっていて一つ安心していた。聞こえてくる呻き声は男のものばかりで、女の悲鳴は上の階から聞こえてきていたからだ。それに、まだ上の階から銃声は聞こえてこない。自衛隊は一階から順番に制圧していくつもりらしい。
俺は一階の様子からは目を背けて階段へと急いだ。
「本当にこれは賭けですか?」
「そうだ」
「でも、これは理論的でもありますよ」
「どういうことだ?」
「テロリストは一階に戦力を集中させていたはずです。それは、敵からの突入があれば、まず一階ですからね。そこに屈強な兵士を配置するのは当然の思考です。では、今度、人質についてはどうしますか? 普通、男と女の人質が居た時に男を担当するのは、いつだって屈強な方です。だって、抵抗されたら困りますからね。吉田さんは無意識でそこまで考えていたのでは?」
いや、俺は本当に賭けのつまりでいたのだが。市橋の理論もいつだってその通りになるわけではないが、しかしこれを思いついていたなら俺ももう少し気を楽に出来ていたような気がした。あるいはそれを意図として市橋はわざわざこの話をしたのかもしれない。
「それにしても、自衛隊というか軍というのはいつも脳筋ですよね。正面から突破なんて。警察はそれを避ける為に屋上に特殊部隊を配置したというのに」
「おい、ちょっと黙れ」
「えっ?」
俺は階段を昇っていた足を止めてしゃがみこんだ。目の前に――つまり二階の廊下に銃を装備した男が歩きかかっていたからだ。
その男は背が低く、まるで子供のようであった。いや、本当に子供なのかもしれない。
彼は十人程の人質の方に銃を向けて「こっちへ来い!」と叫んでいる。一階から聞こえる銃声に驚いて、移動しようとしているのであろう。
人質は二列となって、男の後を歩いてく。市橋の理論はおおよそただしかったようで、人質はほとんど女で、例外として一人いた男も細くて弱そうな者であった。
俺は無駄な戦闘を避ける為にここは息をひそめてやり過ごそうと思っていたが、予想外なことに市橋が俺の横を抜けて二階へといの一番に立ち、銃をテロリストの方へと向けて発砲した。
「おい!」
市橋は俺の声は無視して、人質に「しゃがめ!」と叫んだ。人質は困惑の顔をしたまま、しゃがみこみながら廊下の端へと寄った。
市橋はもう一発、発砲した。一発目の後から鳴いていた呻き声はそこで止んだ。俺にはその撃たれたテロリストがどうなったのかは角度的に見えていなかったが、目の前にいる人質の女が嗚咽を漏らしていることから、おそらく惨たらしい姿になっているのであろうということを察した。
「市橋」
俺は言いながら、彼の横へと向かった。ふと目の端にとらえた死体は顔が崩れていた。顔を撃たれて、骨が歪んで――それ以上、この死体を言語化しようとは思えなかった。
「市橋、大丈夫か?」
「心配しないでください。優しくされると、余計に罪の意識が芽生えてしまいます」
市橋の手は震えていた。
それにしても、市橋はどうしてこんな突発的な行動に出たのであろうか。確か市民の命を顧みずに制圧をするべきだという立場を取っていたはずであるが。市橋も言葉では何とでも言えても、思うところがあっただろうか。
やはりといってはなんだが、市橋も口だけである。
俺は今も体を震わせている人質の方へと向かって「私達は警察です」と名乗った。本当は、だからここからは安心してくださいというのが常套句であるが、それは言えなかった。今も銃声は鳴りやまない。
「ところで、高崎絵麻という女性がどこにいるか分かりますか?」
俺は努めて丁寧に訊いた。すると、一人の女が不思議そうな顔をしながら「その人なら確か四階に」と言った。
四階となると好都合である。早く、二階と三階は突破して四階に行かなければ。
「おい、市橋。聞いたか? 四階に行くぞ」
俺がそう言って次の階段へと体を向けた時、さっきの女が「ちょっと待ってください」と叫んだ。
「どうしましたか?」
俺は相変わらず、自分でも薄ら寒いと思えるほどの優しい口調でそう言った。本当はこんなところで時間を使っている場合ではない。早く四階に行かなければならないというのに。
「あの、あたしの友達がまだ二階にいて。だから、助けてほしくて。あなた達、警察なんですよね! ね! だからお願いします! 友達がまだ二階に!」
女の頬から涙が漏れ出ていた。
俺はどうしようかと思った。気持ちの面だけで言えば、この女の力になってやりたいというところもある。しかし、そうしてやれないわけもあった。俺の死ぬ確率が上がってしまえば、それだけ目的を達成出来ない確率まであがってしまう。
だから、俺は嘘を吐いた。
「お友達は後からやってくる自衛隊の方が助けてくれますから。ほら、一階から銃声が聞こえてくるでしょう? これは自衛隊の方のものなんですよ。だからとりあえず、僕達だけでも脱出しましょう。大丈夫です」
真っ赤な嘘だった。自衛隊はきっとそのお友達を殺してしまうだろう。それでも、俺は嘘を吐くしかなかった。自分の為に。
「でも、高崎のことは助けるんですか? それは、それはどうして!」
「えっ、いや、それは」
女は冷静を失っているようではあったが、頭は回っていたようだった。俺の言葉をしっかりと覚えていたようだ。
俺は言い訳も思いつかず、だったらいっそのこと正直に話すことに決めた。もしかしたら同情してもらえるかもしれない。
「いや、その恥ずかしい話なんですけど。――僕は高崎さんのことが好きで。だからどうしても彼女のことだけは助けたいんです。すいません。でもあなたのお友達はきっと自衛隊の方々が助けてくれますから」
俺は芝居をしながら女の方を見つめた。いっそのこと口説き落とすかのような目で。
しかし、何も通用しなかった。
「そんなの! そんなのおかしいでしょう! あなた警察でしょう! だったら、だったら、自分の好きな人だけ特別扱いなんておかしいじゃない! 私の彼氏だって早く助けてよ!」
「――、だからそれは自衛隊が助けてくれるって言ってるだろ!」
俺は銃声が二階で鳴りだしたことに気付いて、女の手を無理やり引っ張って三階へと向かう階段へと急いだ。
「市橋、行くぞ!」
「あっ、は、はい。みなさん、私達についてきてください!!」
俺は喚く女をどうしようかと悩んだ末、結局、持っているサブマシンガンで脅すことを決めた。
「おい、いい加減に黙れ! その声でテロリストに位置がバレたらどうするんだ! 悪いがな、俺にとっても命の優先度ってものがあるんだ。お前の友達は――、自衛隊が何とかするから、だから黙ってくれ。お願いだ」
罪悪感に苛まれながら、銃口を女に突きつけた。そうして女は静かになったが、俺は最低の人間になった。なんて醜い人間であろうか。
しかし、それを嘆いている時間すらもったいない。俺は一度止めた足を再び前へと進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます