囚われている(7)

 九、




「それで、自衛隊がどういうわけでここに来たのかね?」


 斎藤課長の言葉は丁寧ながらも怒気がこもっていた。対して、訊かれた熊谷静香一等陸佐の表情には余裕の二文字が漂っていた。動物園で興奮した猿でも見るかのような微笑みがそこにある。


「簡単な話だ。国からの命令さ。おたくらは聞かなかったようだけれど」


 国はこの立てこもり犯に対して制圧を命令しているが、警察はそれを無視して生きて確保を目的としている。その警察の暴走を止めるために来たのが、この自衛隊というわけか。


 斎藤課長は納得がいかない様子である。


「自衛隊が警察を止めに来たということか?」


「止めに来た、いや、それだけではないな。たった今からこの作戦の指揮権は私に移った。そして、作戦の執行には自衛隊を使う」


「自衛隊は国外のことで忙しいと思っていたが」


「いやいや。日本の周りには相手にせずとも勝手に滅びる国が多くてね。これは日本と他国の国民性に感謝しなくてはね」


 ここで俺は口を挟んだ。自分に発言者としての役割が与えられていないと知っていながらも、それでも訊かなければならないことがあると思ったからだ。


「自衛隊はあの病院を制圧することが目的ですか?」


「ん? 貴様は誰だ?」


「ああ、失礼しました。吉田――警視です」


 俺の嘘に斎藤課長は「吉田はうちの課の課長補佐だ」という付け足しをしてくれた。斎藤課長としても、ここに部外者を呼んでいるということは、ばれたくないことなのであろう。


「はあ、吉田君ね。それで、質問は何だったかな?」


「ええと、自衛隊の目的が病院の制圧なのかと」


「ああ、そうだとも」


「それで、院内に閉じ込められている一般人については、どのように?」


 それが俺の訊きたいことだった。警察はどのような事態になろうと、なるべくという条件付きではあるが、一般人への被害が出ないように対応するつもりであった。


 しかし、殊、自衛隊においてはどうなのだろうか。語弊を恐れずに言えば、自衛隊とは軍の言い換えに過ぎない。いや、これは過言であろうか。しかし、的を全く得ていない表現ではないはずだ。


 そして、軍へのイメージとして作戦の成功のためなら一般人の犠牲をもやむなしとするところがある。


 だから、俺はこれを訊いておかなければならなかった。答えがどうだからと言って、何をするわけでもないのだが。


「ふむ、メディアを気にする警察らしい質問だな。最近の警察は国家というよりもメディアの犬というのは私の持論だが」


「それで、答えの方は?」


「ああ。一般人の命は気にしない方針だよ」


 俺はこの男の警察への煽りついても思うところがあったが、それ以上に自衛隊の、というよりも国の建てた方針に驚いた。


「それは一体、どういった理屈でそうなったのでしょう?」


 俺は熊谷静香という男にそれを訊いた。一般市民を巻き込んででもあのテロリストを打倒す価値が全くないというわけではない。むしろ、そうしてしまった方が手っ取り早いとさえ言えるであろう。病院に侵入し、銃を撃ちまくる。ここまでとは言えないが、少なくとも作戦は随分と簡単になる。


 しかし、だからと言ってその理論で人を説得できるかとなると話は変わってくる。一般市民の命を全く顧みないという考え方にもメリットはあるが、あまりにも普通の倫理観からはかけ離れている。


 はたして、どういった理論でこれを押し通したというのであろうか。


「どういった理屈で、か。つまり君は一般市民を巻き込んでも良いという理由を見つけられなかったというわけか」


 この男は「これは政府が考えたことだけどね」と前置きをしてから言った。


「勿論、テロリストは政治家にとって目のうえのたんこぶであるという感情の問題があったからこそではあるが――」


 と、言うのはさきの『財務大臣を含む四の国務大臣爆殺事件』という身内への被害があったからだろう。他の政治家がやられている以上、次は自分かも知れないという意識が政治家先生にはあっただろう。


 しかし、それだけではまだ一般市民の命をないがしろにできるほどの、共感性を得れる理論はつくれないだろう。


「政府が注目したのは、院内であった銃声だった」


「それがどうやって、一般市民を巻き込んでも良いということに繫がるんですかね?」


「話は最後まで聞いてほしいものだが。まあ、それはいい。そもそも一般市民を巻き込むというのが土台違う話なのだよ」


 俺はこの男の言っていることが理解出来ず、ただ眉を顰めることしか出来なかった。


「政府は院内からの銃声は『ゾンビ』を撃ったものだと判断した。つまり院内では『ゾンビ』の感染が始まっていると考えたということさ。そして、まあ、ここからはかなりの論理の飛躍があるが、あの病院に『ゾンビ』が現れ、さらにテロリストのせいで何も対策がなされていないと考えると、もはやあの病院にいる全員がいわゆる『ゾンビ菌』を持っているという結論が導き出される」


「そんな乱暴な」


「ああ、乱暴ではあるが可能性がない話ではない。それに、その可能性があるというだけで十分なのさ」


「さっきから何を言っているのか全く分からない」


「分からなくてもいいさ。貴様がする仕事はないからな」


 俺は非力さに嘆きながら舌打ちをした後、この男に続きを訊いた。


「それで、可能性があるだけで十分というのは、どういう考え方で?――そうなったのですか?」


「簡単さ。今でも政府は『ゾンビ』に対して生きて捕獲の命令を出している。まあ、その後、あいつらの食糧である人肉をどこから補給しているのかは知らないが。とりあえず、『ゾンビ』を殺すことはできない。警察も普段から人権団体には悩まされているだろう?」


「そういうのは、今は良いですから。それで、『ゾンビ』を殺せないことと、今、起こっていることとの関係はなんなんですか?」


 男は「君は結論を急ぐね」と言いながら微笑んだ後、顔を険しくさせた。


「つまりこういうことだよ。ここで一般市民を救出したところで『ゾンビ菌』を持っていたら面倒臭いんだよ。どう処理して良いか分からないからね。流石に四百人を秘密裏に抹殺するのは難しい。だから、ここでテロリストごと殺してしまうのが早い」


「それでも批判は来るだろう? 一般市民を一人も救出出来ないとなると。それは困らないと言うんですか?」


「いやいや、救出出来なかったんじゃない。一般市民は全てテロリストに殺されたのさ。そういうことにする。都合の良い銃声もあったことだしね」


「そんな、馬鹿みたいな! そんな話を誰が信じる?」


「嘘の証拠が見つからなければ信じる人間もいるさ。そして、ここは時期に立ち入り禁止になるからね。嘘がバレることはない」


「横暴だッ!!」


 そう言ったところで俺は市橋に肩を叩かれた。もうやめておけということだろう。


 確かに、俺はらしくもないことをしてしまっている。元々は市民を巻き込んででも良いとは思っていたが、しかし、あの病院に意中の女が取り残されているかもしれないと思うと、黙っているわけにはいかなかったのだ。


 何か、何か言葉を発さなければこのまま作戦が進んでしまう。それだけはさせるわけにはいかない。


「吉田君」


「――斎藤課長?」


「夜風にでもあたって冷静になりなさい。市橋管理官、彼を頼んだよ」


 そう言われて、俺は何も言えないままテントから追い出されてしまった。夜風に触れたところで冷静になれるはずもない。


「いや、しかし意外ですね。吉田さんが仕事のことでここまで熱くなるとは」


 市橋は穏やかな表情をしていた。それが演技なのかどうかは分からないところであるが。


「仕事に対して熱くなったわけじゃないさ。仕事に私情を挟みこんでしまっただけだ」


「高崎絵麻さん、でしたっけ?」


「ああ」


 俺はこの女のことで今、頭が一杯になっていた。自衛隊が突入を始めれば、殺されてしまうということが確定してしまっている。だから、何かをするのであれば、俺は自衛隊が突入を始める前に、つまり先手を打たなければならない。


 しかし、自衛隊が動く前に俺が病院に特攻したとしても、テロリストに撃たれてお終いが関の山。良くて、侵入の前に自衛隊に捕まえられる。ようは、事態はなにも変わらないということだ。


 俺は何も思いつかず、呆然と目の前にそびえ立つ小池山下病院を見ていた。四階建てで屋上があり、その屋上には今、先に舞台へと降り立っていた特殊部隊が立ち尽くしていた。彼らも今頃、仕事がなくなったと聞いて呆然としていることだろう。


 思えば、人質はあの病院のどこに囚われているのだろうか。数は四百人。その数をエントランスにかためて置いているということはないだろう。ある程度の人数に分けて、どこかの部屋に監禁している。その方が自然である。いくら銃を持っているとはいえ、四百人もかためておいておけば、一人ぐらい脱走に成功してもおかしくはないはずであるからだ。


 三十人程度に分けて十四部屋。もし、そうであるならば、やれることはあるかもしれない。


 しかし。


「なあ、市橋」


「なんですか?」


「どう思う?」


「どう思うって何がですか?」


「感情的になって動く人間のことをだ」


「――そういう人間に対して正論を言ってやることはできます。でも、正論を言われたら止めるんですか?」


「いや」


「なら、僕にはどうすることも出来ません」


「俺のやろうとしていることが分かっているのに、見逃してくれるんだな」


「だから言ったでしょう。正論しか言えないって。それで人の行動を変えることはできませんよ」


 俺はまた、屋上を見た。覚悟は出来ている。

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