囚われている(6)

 八、




 赤色灯に照らされた夜。視界の中に例の病院がある。


 小池山下病院。今、あの中では何が行われているのだろうか。


 俺は特殊車両から降りた後、特殊部隊が突入の準備を進めていくのをただ見ていた。


 狂乱人対策部隊。元SATやSITと言った人間までいる、警察の最高戦力である。防弾チョッキをつけ、サブマシンガン等を含む殺戮兵器を手に持っている。


 基本方針が確保と言えでも、院内にいるテロリストが激しい抵抗を見せればそれは可能の限りの確保、つまり事実上の制圧へと変更されてしまう。


 突入の準備を進める中、病院近くでは何人かの警官がメガホンを持ってテロリストへと人質の解放をするよう求めていた。昨日からそれをしているようであるが、向こうからの返事は何もない。声があったとすれば銃声だけで、それはつまり院内の中で誰かが撃たれたということになる。


 俺自身が突入をするわけではないが、体が震えていた。一応とつけさせられている防弾チョッキがこれでもかと胸を締めつけてくる。


 一時間後、あの目の前にいる部隊の連中全員と再会することは不可能だと確信していた。


 正直なところ確保という題目もすぐに変更されるような予感がある。望まないところではあるが、しかし部隊への傷を出来るだけ小さくするため、これは仕方がないことだ。


「普通、俺達の持ち場は会議室じゃないのか」


 俺は隣にいる市橋にだけ聞こえるようにそうぼやいてみた。俺達は作戦、しかも基本方針を固めることしか出来ない、現場では無能の人間である。ここに来る途中に『ゾンビ』と出会った時も、他の人間がそれを拘束するまで何も出来なかった。


 どうしてそんな俺達まで現場に駆り出されているというのか。


「実はちょっと事情がありまして」


 市橋は何かを思い出すかのようにしていた。表情は暗い。


「事情って?」


「上――警察庁の奴らがですね、僕達の判断を無視して部隊に直接、制圧を命令したそうなんですよ」


「ふうん。それは意外だな。『ゾンビ』にさえいまだに生きて捕獲を命令している警察庁が。しかしそれで、どうして俺達が現場に来る羽目になるんだ?」


「斎藤課長の作戦ですよ。現場で部隊を直接指揮することで、部隊が警察庁の言いなりにならないようにするという」


「なるほど。つまり上に逆らうと」


「ええ、そのつもりのようです。さっきも部隊に絶対確保の演説をしていましたよ」


「聞いてる側は嫌な顔をしていただろ?」


「そりゃもちろん」


 そうに決まっている。テロリストを生きたまま確保という考え方は警察のプライドでしかないのだ。俺達のような現場に突入しない人間はその理想を抱いたままでいることが出来るが、いざ突入する側、命を懸ける側となればそうはいかない。彼らはこの作戦一つで自分の命を失ってしまうかもしれない。


「そういえば、院内に取り残された人間は確か四百人ぐらいだったか?」


「はい。まぁ、全体の従業員数が四百二十三人ですから、たった今、あそこに何人いるのかは分かりませんけどね。そういえば、これ一応見ますか?」


 そう言って、市橋は俺に小池山下病院の従業員リストを渡してきた。四百人近くが書かれた名簿なんて全く見る気にはなれなかったが、こうやって渡された以上、目を通すのが礼儀だと思って、珍しい苗字を探すことをモチベーションの一つとして通覧した。


 市橋はそんな俺を見ながら不満気な顔をしていた。


「どうしたんだ? そんな顔をして」


「いえ」


「なんだ、作戦に納得がいっていないのか?」


「はい」


「ふうん」


 俺は市橋の反抗心をとくに深刻なものとは受け止めずに、従業リストを見ながら市橋の言葉に耳を傾けていた。


「どうせ、奴らは抵抗しますよ」


「奴らって? ああ、テロリストか」


「はい」


「だから、最初から制圧にするべきだって?」


「ええ」


「まあ、今更言ってもしょうがないだろ」


「そうですけど。とはいえ、そのリストに載ってる人間も何人が生きているのやら」


「今まで病院から聞こえた銃声は何発なんだ?」


「さて。そこまでは知りません」


 市橋はなおも不満気な顔をしているが、とくに心配する必要はないだろうと思っていた。この市橋の感情が作戦の邪魔をするとは思っていないからだ。感情的になる場面は多々見たことがあるが、とはいえ感情的に、突発的に動くような人間でないということは今までの経験から自信を持って言えることだった。市橋はそんな愚かな人間ではない。


 と、その時だった。


「ん?」


「どうしたんですか?」


「いや、まさかな」


 俺は従業員リストの中からあってはいけない名前を見つけてしまったのだ。四枚あるうちの三枚目、上から二番目に高崎絵麻という名前があったのだ。俺の意中の女の名前だ。


「なあ、市橋。看護師って病院間の異動ってあるのか?」「そんなこと僕が知ってるわけないじゃないですか。でも、まあ、こんな事態ですからあっても不思議じゃないでしょうね。とくにここは大きい病院ですから、人手を他の病院から要請するなんてことはあり得る範囲だと思いますね」


 俺は、自分の想定の甘さを反省した。以前、俺はこの女から別の病院で勤めているという話を聞いたことがあった。だから、俺は病院が今回の舞台と言われても一つ安心出来ていたのだ。しかし、可能性が出てきてしまった。あの女が犠牲になってしまう、ここで死んでしまう可能性が。


 いや、しかし、大丈夫だ。今回は制圧ではなく、確保が目的。もしかしたらテロリストは抵抗なんか見せずに、銃撃戦なんかにはならずに、平和な幕引きを見せるかもしれない。


 そうだ、テロリストだってバカじゃない。アイツらだって死にたくはないはずだ。警察が来たと知れば無抵抗で降参するなんてありえる話に違いない。


 しかし、いや、市橋は院内から銃声を確認できていると言っていたか。そんな、ああ、いや、聞き間違いだってあるだろう。しかし、何を銃声と聞き間違えるというのだ。しかし。ああ、もう。


「どうしたんですか? 急に青冷めて」


「いや、まあ。ちょっとな」


 落ち着こう。落ち着かなければならない。一度、呼吸をして。


「なあ、市橋」


 市橋は何も言わずに俺の顔を見ている。


「同姓同名ってどれくらいあり得る話だ?」


「何を言っているんですか?」


 市橋は訝し気な表情している。それはそうだろう、俺は脈略のない話をしているのだ。しかし、俺は今いるこの状態を冷静に的確に表現出来る自身がなかった。


 俺はただ市橋の顔を見つめた。


「ううん。そんなの名前によるということしか。あっ、でも、『田中実』という名前なら日本に五千人近くいると聞いたことがありますね。それが日本で一番多い名前だとか」


「高崎絵麻ならどうだ? この名前なら何人くらいいる?」


「いや、そんなの知りませんって。それで、そろそろ説明をしてください。前後の繫がりがなさすぎます」


 俺はそう言われて冷静になろうと努めてみたが、全くと言っていいほど思考がまとまらなかった。


 要素と要素は見つかるが、それが文章として全くつながらないのだ。


 その間にも視覚に悪い情報が収められていく。空からやって来たヘリコプターが、病院の屋上へと部隊を下ろしていっているのだ。ロープをつたって、闇のなかに身を乗り出す人間が見えた。


 作戦は順調に進んでいる。あれは、屋上からの潜入を考えているのだろうか。いや、しかし地上にも部隊はいる。同時に攻め入るつもりなのか。


 攻め入る。攻めるとは、つまり、中で殺し合うということだろうか。それでは一般市民が巻き添えになってしまう。考えるだけで視界が揺れる。


「ちょっと!」


「え? あ、ああ」


 市橋の顔に焦点があった。肩に手の重みがある。どうやら俺は市橋に肩を揺らされていたらしい。


 視界が安定した。


「吉田さん、どうしたんですか? 急に焦りだして」


「いや、ちょっと。事情があって」


「どんな事情ですか?」


「それは――」


「ん、分かりました。この市橋名探偵がずばり推理しましょう。吉田さんはイエスかノーだけで返事をしてください」


「え? あ、ああ。分かった」


「はい。まぁ、吉田さんがノーを使うことはないと思いますが」


 どうやら市橋は俺がまともに言葉も喋れないほど頭がこんがらがっているのを察したらしい。名探偵なんて言ってふざけているのも、俺を落ち着かせるためだろう。


「それでは、吉田さん。高崎絵麻というのはあなたの好きな女性の方の名前ですね?」


「え、いや」


「イエスかノーかで。それから修学旅行の夜じゃないんですから変に誤魔化さなくていいです。それにそうだとしても標的に選ばれた以上、どっちみち言う羽目になるんですから早く言ってください」


 後半はよく分からなかったが。


「い、イエス」


「では、続いて。その女性の名前がその従業員リストに載っていたと。そういうわけですね」


「イエス」


「なるほど、最悪の事態ですね。中で銃撃戦なんて繰り広げられたら、考えるだけでっていう」


「ああ」


「まぁ、とはいえ安心していいと思いますよ。テロリストの命がどうなるかはさておき、特殊部隊には元SATやSITの人間もいるんですよ? 彼らは人質を救う訓練をしているスペシャリストです。信じましょう」


「そうであったとしても。いや、それにあの病院からは既に銃声が聞こえてきたんだろう? それに警察が来たと知って自爆なんかもするかもしれない」


「あのテロリストの目的は『ゾンビ』の殲滅ですかなねぇ。果たして自分の命をなげうってまで何かをするとは思えないですけど」


 俺は、市橋が慰める為に嘘を吐いているのだと気付けるぐらいには冷静になれていた。


 立てこもりをしたのが単独犯であれば、無条件降伏というのもあり得る話だ。しかし、今回は違う。相手は複数人だ。


 一台の車が暴走していたとしても、それは単なる気の迷いで放っておけば収まることもある。


 しかし暴走族ともなると事態は違う。そのなかの一台の車が減速したところで全ての車が暴走をやめるなんてことはない。そもそも暴走車の渦の中にいて速度を落とすなんていうのは自分自身が危険である。仲間と事故を起こすかもしれないからだ。


 それと同じことである。今回の立てこもり犯は推定五十人。しかもその人数で四百人近くの人質を一人も逃がさず院内に閉じ込めているからかなりの統率がとれていると見ていい。その中で、誰が降参なんて言葉を訴えることが出来るだろうか。人を殺したこともある銃を持った人間に対してだ。


「信じるしかないな」


「ええ、そうです」


 そして作戦開始の時刻が迫る。しかし、ここでどよめきが走った。迷彩柄の服を着た人間が警察の張った黄色い規制線を突破したのはそれからすぐのことで、斎藤課長が作戦の一時中止を命令した。


 どうやら、国は俺にとって最悪のタイミングでその重たい腰を上げたらしい。


 斎藤課長に呼ばれ、テントで作られた作戦本部に行くと、そこには迷彩柄の服を着た部下に囲まれた、金の階級章をつけた制服姿の男がいた。


 その男は自分の事を、熊谷静香一等陸佐だと名乗った。


 テロリスト相手に、国は陸上自衛隊を動かすことにしたらしい。

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