囚われている(4)

 六、




「それで、市橋管理官。君は吉田君にどこまで話したのかな?」


「まだ何も」


 そう言われて、斎藤課長は目を丸くしていた。これは予想外だったらしい。


「早く説明せんか」


「ええ、今から説明させていただきます」


 そう言うと、市橋は床に置いていたカバンから資料を取り出し、それを配った。


「では、ことのあらましを。事件発生は先日、十一月銃一日、午後三時二十六分。アサルトライフル、手榴弾らしきものを持った男、二十三名が――、――。なおこれらは確認できている範囲であり――」


 その後、市民警察を名乗るテロリストは近くにあった小池山下病院を占拠し、立てこもっているらしい。そこではテロリストがさらに三十名近く侵入しているというおまけまでついている。


「それで、今夜。そこに特殊部隊を突入させると?」


「はい。そして今、二つのプランで、どちらにするかを迷っている段階です」


「と、言うと?」


「制圧か確保かです」


「なるほどな。その部隊の隊長はどのように言っているんだ?」


「どのような作戦であれ、ベストを尽くすと」


「ベスト、か」


 一通りの説明が終わった後に、斎藤課長は俺に「君はどうするべきだと思う?」と訊いてきた。


 どうすると言うのは、制圧か確保か、どちらを選ぶかということだ。このどちらを方針とするかで事態は大きく変わる。


 制圧というのはテロリストの命を顧みないということだ。院内で行われる激しい銃撃戦が容易く想像出来る。また、院内に取り残された無関係の一般人もそれに巻き込まれる可能性が出てくる。


「確保を選ぶことで生まれるデメリットは?」


 俺がそう訊くと、市橋は「部隊の死傷者がより多くでるかもしれないことです」と答えた。そして、斎藤課長が言葉を引き継いだ。


「はじめからやるつもりでいるのと、やられてからやり返すでいるのとでは全くの別物だからな。突入の仕方も変わってくるだろう。制圧が目的なら開幕からロケットランチャーをぶち込むこともできる」


 それを聞いて、俺は思わず間髪入れずに聞き返してしまった。


「ロケットランチャー? そんなものを配備していることがバレても構わないんですか?」


「メディアやらに気を遣っても、ろくなことにならないことは既に経験済みだろう?」


 その通りだと思って俺は唸った。そして、おや? と思った。


「斎藤課長は、制圧派ですか?」


 俺の記憶では斎藤課長というのは見た目に反して温厚派であったはずだ。その人が、制圧という言葉を推しているのが意外だった。


「いや、警察のプライドとして俺はあのテロリストを生きて捕まえたいと思っているさ。それに院内に取り残された人間がこれ以上の傷を負うようなことになってはいけないだろう。制圧を選ぶことはできないな」


「なるほど、やっぱり変わってませんね。それで、市橋――市橋管理官は?」


「いつも通り呼んでもらってかまいませんよ。私は、制圧を選ぶべきだと思っています」


「一般市民のことはどう思っているんだ? 院内にはかなりの数が取り残されているんだろう?」


「ええ、四百人ぐらいが。しかし、あのテロリスト達が病院を占拠した後、何度も銃声を確認しています」


「つまり、取り残された市民はもう死んでいると?」


「はい。市民警察の目的は『ゾンビ』の殲滅ですから。次の『ゾンビ』候補である院内の人間は全て殺されていたとしても不思議ではないでしょう」


 俺は市橋の考え方は危ういと思った。市橋の基本理念も一般市民は傷つけないというものであるようだが、しかしここでは一般市民は既に死んでいるものとし、制圧という積極的な対応をとろうとしているのだ。


 俺が結論を、つまり制圧派か確保派かのどちらの立場に立つかを考えていると、斎藤課長がちょうどそのことを訊いてきた。


「それで、吉田君のファーストインプレッションは?」


「僕は、確保を選ぶべきだと思いますね。警察、と言っても僕はもう警察ではありませんが、警察のプライドとして犯人は生きて確保がモットーだと思っています」


 それを聞いた斎藤課長は満足そうな顔をした後、市橋に訊いた。


「これで二対一となったわけだが市橋管理官はまだこの話題を続けるかね?」


「はい、そうさせていただきたいですね。私は生け捕りを選ぶことはナンセンスだと思っているので」


 俺は市橋の返事を、これはまた意外だと思った。市橋に強く自分の意見を通そうとする人間だというイメージがなかったからだ。意見を曲げないところがあるのは昔からだったが、少数派になれば折れるというのが彼へのイメージだった。


「では、市橋管理官の考えを今一度聞くとしよう」


 斎藤課長に振られ、市橋は立ち上がり演説を開始した。


「私が生け捕りをナンセンスだと思う理由は主に二つ」


 市橋は指を二本立てて、そのことを強調した。


「一つは、犯行の残虐性を考えてです。彼らは既に人を殺しすぎている。そのような人間に生け捕りという、つまり慈悲を与える必要はないでしょう。まぁ、しかしこれは私の考え方によるところなので、説得材料としてはそれほどの意味を持ちませんが」


 市橋はそう言って指を一本折った。どうやら、一つ目の理由はそれほど重要ではないらしい。これは、この考え方が斎藤課長と俺とは全く異なることから共感を誘うことは不可能だと察したからであろう。


 斎藤課長は首を曲げて、もう一本の立てられた指を見ている。


「もう一つが特殊部隊への被害を考えてです。彼らを一人でも失えば、警察としては大損害です。市民警察はこの病院にいる人間だけで全てではない。つまり、繰り返しの出動があるということです。だから、彼らを一人でも生きて帰すことのできる作戦をとるべきです。事実上、あのテロリスト達を捕まえることが出来るのはこの特殊部隊だけなのですから」


 そして市橋は「ここで強気な作戦をとることで、テロリスト達へ威圧を与えることも出来る」と付け加えた。


「なるほどな。では市橋管理官は院内に取り残された人間についてはどう考える? 全員すでに殺されているという考え方は流石に無理筋だろう」


 斎藤課長は特殊部隊への被害から、院内の人間へと話を移した。部隊の話をこれ以上するのは不利になると考えたのであろう。


 そしてこれは小賢しい話題選びでもある。それは、市橋が警察という市民を守る立場である以上、たとえこの場に三人しかいないとしても、その被害を無視して論ずることは出来ないからだ。市民への被害を許容するには、情をくだらないものだと吐き捨てさせる様な完璧な論理が必要となる。


 市橋もそのことをよく理解しているのか、口籠っていた。市橋が暫く黙っていると、斎藤課長がこれ以上は待てないと思ったのか口を開いた。


「意地悪な質問ではあると思うが、しかしこれに答えられないようでは制圧を選ぶことは出来ない」


 市橋は唇を噛むことしか出来なかったが、しかしこれで決着というわけにはいかなかった。それは特殊部隊への被害のことがやはり念頭にあったからだ。市民の安全を守るというのは情であり、部隊の命が大事だと言うのは論理であった。情と論理のどちらを優先させるべきかを決めることが出来ないでいた。


 それに、市民の命を守ることが情であると思っているのは俺自身が警察だからというところもある。市民からしてみれば、警察というものは市民の平和を守るための存在であるから、市民の命を守るということこそが論理的であり、部隊の命を重く見ることは身内への情であると思われるかもしれない。


 警察はたとえその命を犠牲にしても市民を守れ。多数決をとれば、これが勝つだろうという気がする。


 俺はもうこの話題に閉塞感しかないと察し、「やはり、警察の基本理念に立ち返りましょう」と言って、確保を目的に以降の作戦を練ることにした。


 市橋も斎藤課長もこれに同意を示してくれたようだった。


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