囚われている(3)
五、
警視庁本部の会議室に通され、そこで市橋と出会った。後から、課長が来るらしいが今はこの部屋で市橋と二人である。
市橋圭五郎という男は長身であるが肉付きがあまり良くないからか威圧感はなかった。実際がそうであるのかは疑問が残るところではあるが、人当たりの良さそうな雰囲気をこの男はもっている。
俺はこの男のことを特段好きなわけではなかったが、しかし同期の中で一番評価していた。目立つようなタイプではなかったが、いつもトップクラスと成績をしれっととっていたし、自分は普通の人間ですという顔をしながら人を陥れることも出来ていた。それからこの男は同期の中で一番早くに結婚をしていたから、一番器用な人間とも言えるだろう。
「なに満足そうな顔をしてやがる」
「来てくれてよかったと思いまして」
俺は市橋のにこやかな表情を見るのに飽きて、パイプ椅子を動かして彼に背を向けるようにして座った。
課長が来るまで会話をするつもりはないというつもりでそうしたのだが、市橋はなんの遠慮もなく俺の背名に言葉を投げかけてきた。
「いやぁ、それにしても久しぶりですね」
「ああ。そうだな」
「ふふっ。吉田さんは本当に何も変わりませんね」
「お前もだよ。その変な喋り方は昔っからなにも変わらないな」
俺は市橋の口調が昔から気に入らなかった。人にはタメ口を求めるクセに、自分は敬語というのは違和感を覚えざるをえない。
「みんな一つや二つ変を持ってるのものですよ」
「そんなことないだろ」
「いやぁ、吉田さんにだってありますよ」
「何だ?」
俺は市橋が何と答えるのかが気になって、今まで背を向けていた彼に腹を向けてやった。俺にどんな可笑しな点があるというのだろうか。
「あれですよ、あれ。女性のことを、あの女って言ったりするところですよ。そんなのホシぐらいにしか言わないですよ、普通。今時、女って呼び方はあんまり良くないんですから」
「じゃあ、なんて言うのが良いんだよ」
「あそこにいる、彼女とか?」
「彼女という呼び方が俺は嫌いなんだ」
「どうして?」
「何か他の意味を感じてしまうだろ?」
「ガールフレンドってことですか?」
「ああ」
俺がそう言うと、失礼なことに市橋が吹きだした。何がおかしいというのだろうか。
「吉田さんって、やっぱり変ですよ。普通はそんなところ気にならないんですから」
「気にしたって良いだろう」
「そんなの無駄ですよ」
俺は変な誤解を与えない気遣いなんだから無駄ではないだろうという反論を思いついたが、わざわざ言ったところで市橋がちゃんと聞くとも思えなかったからやめておいた。
「お前とは馬が合わないな」
最後にそう吐き捨ててから、俺はまた市橋に背を向けた。今度こそ会話は終わるかと思ったがそうはならなかった。市橋という男は、少し空気を読まないところがあるのだ。
「ちなみに、彼女と呼べる人はいるんですか?」
「お前と恋バナをするつもりはないぞ」
「いやいや、ここは人生の先輩として聞いておかなければならないと思ってね?」
そう言われて思い出したのだが、市橋は大学に入る前に一年間の浪人を経験しているのだった。大学は同期で入ったが、年齢は彼の方が一つ上なのである。
「こんな時だけ年上ぶりやがって」
「まぁまぁ。それで?」
「答える気はないぞ」
「ふうん。じゃあ別にいいですけど」
そう言いながらも、市橋の目に追求をやめる気配はなかった。そして、市橋は何か面白いことを思いついたという顔をしてから、またにこやかな表情を浮かべて俺に訊いてきた。
「吉田さんは、もう人類は近々滅亡すると思っているんでしょう? 『ゾンビ』のせいで」
「ああ、そうだな」
「ですよね。だから、もうこんな世の中じゃあ恋人をつくるのも無駄だと思っているんですかね?」
俺は黙ってしまった。それを見た市橋は、これを一種の返事だと思ったのか、さらに欲しかった返答でもあったのか、満足そうな顔をしていた。
俺は市橋の言葉で、自分が矛盾を抱えていることに気が付いた。俺がこの蟠りにどういう決着を付けようかと考えている時、会議室のドアが叩かれた。
どうやら課長がここに到着したらしい。
それと同時に市橋が「今までの価値観を破壊する乱暴者のことを恋っていうんだと思いますよ」と俺に恥ずかしそうに言ってきた。それが、市橋がこの話につけた結論らしい。
「失礼するよ」
その声と共に俺達は立ち上がり、課長の入室を見守った。
警視庁警備部警備第一課長、斎藤栄太。目つきは鋭く、大柄な体格はその場にいるだけで緊張感を生み出した。独特の威圧感がある男だ。確か今年で五十を迎えるというのに、少なくともその雰囲気において老いを感じることは全く出来なかった。
そして、ノンキャリアでありながら警視正まで辿り着いた強者でもある。
警察の階級は下から、『巡査』『巡査部長』『警部補』『警部』『警視』『警視正』『警視長』『警視監』『警視総監』とあり、ノンキャリアであれば警部まで行けばなかなかの者であると言われる中で、この男は警視正まで上り詰めた。勿論、これは『財務大臣を含む四の国務大臣爆殺事件』を含む『ゾンビ』騒動で失態を犯した上層部の離職という斎藤課長にとってはラッキーとも呼べる運の影響もあるが、しかしその運を活かすことが出来たのは間違いなくこの男の手腕によるところである。
この男の発する声は、修羅場を潜って来た経験からか重みのあるものだった。
「久しぶりだね、吉田君。いや、吉田元管理官、吉田元警視と呼ぶべきかな?」
「呼びやすいように呼んでもらってかまいません」
「では、吉田君といこうか。階級で呼ぶことなんてまずないし、ここには市橋管理官がいるからね。元管理官なんて呼ばれると思うところもあるだろう」
「いえ、その点はもう吹っ切れています」
「そうかい」
「はい。だからこそここに立っているわけです」
俺は市橋の方を見てそう言った。吹っ切れているというのは嘘――真っ赤な嘘というわけではない。
「それで、斎藤課長。今夜のことについて――」
そう俺が訊こうとすると、斎藤課長は咳払いをし、手を差し出して俺が喋るのを辞めさせた。
「なんでしょうか?」
「そうやってすぐに本題に入ろうとするのは君の悪いところだよ」
俺が「はあ」と言うと、横で市橋は嫌な笑みを浮かべていた。いつもとは違う様子の俺が面白いのだろう。
「しかし、作戦は今夜なのでしょう? もはや一分一秒を無駄にできる時ではないと思うのですが」
「全く仕方がないな」
そう言って、斎藤課長は一段と目つきを鋭くさせた。仕事モードと言ったところか。
市橋が「それでは座りましょうか」と言って、作戦会議が始まった。と、ほとんどのことは決まっているであろう。一体、俺は何をさせられるのであろうか。
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