囚われている(1)

 三、




 二日酔いに悩む状態は頭痛が痛いという誤った文章こそがむしろ一番正しい表現のように思える。全てがままならないのだ。


 しかも、今日は頭を悩ませるものが二日酔いだけではなかった。昨日のことだ。俺は失敗をしたのだ。


 そう考えている時、突如として携帯が鳴った。


 もしかしたらと思って携帯の画面を覗いてみると、期待の高崎絵麻という文字はなく、『市橋圭五郎』というチンケな名前が映っていた。いや、チンケと言ってしまうのは八つ当たりだ。しかし、見たくない名前ではある。


 俺は唇を噛んで、寝たふりをするかどうか考えてから、それでも携帯が鳴りやまないので取ることにした。


「もしもし」


『あっ、やっととったか。もう、遅いなぁ。職場からの連絡は早くとれよ』


「俺はもう辞めたんだけどな」


『まぁまぁ、細かいことはどうでもいいから』


 市橋圭五郎という男は大学からずっと同期だった男だ。つまり、大学も警察大学校に行くのも、警察になるのも同期だった。


 とは言っても、大学時代に彼と話した記憶は全くなかった。俺の記憶では彼と初めて話すのは警察大学校でのことだったはずだ。


 その後、俺達は警察庁警備局警備企画課と同じ道を進んでいたが、俺は警視庁警備部警備第一課に管理官として、彼はどこかの警備部警備第一課長を務めることになった。これが運命の分かれ道と言ったところであろう。まあ、俺が辞めた後に彼は俺の座っていた席に座ることになったが。


 色々回想出来ることは多いが、思い出したくないことや多少の――多くの怨み辛があるというのが彼との過去である。


「それで、いきなり電話をかけてきて一体なんの用なんだ?」


『まぁまぁ、いきなり仕事の話って言うのもなんだから少し世間話でもしましょうよ』


「だから、俺はもう警察を辞めたって言っているだろう? それから、今の世の中じゃ世間話も気休めにならん。ゾンビという奴の所為で世間は地獄だからな」


『うーん、そう喧嘩腰にならないでくださいよ。それに、今からする世間話の延長線上に仕事の話がありますから』


「だから、俺は警察を辞めたって何度も――」


『はいはい、分かりましたから。とりあえず、テレビつけてください』


 俺は電話の相手である市橋にわざと聞かせるように舌打ちをしてかれ、ベッドから降りてリビングへ向かった。と、言っても小さなマンション住まいであるから寝室からリビングまで徒歩十秒もかからない隣室である。


 市橋という男はわざとなのかは知らないが人を逆撫でするのが上手い男で、テレビのリモコンを探している時にも、鬱陶しいことに声を聞かせてきた。


『これ、警察の豆知識なんですけど。警察ではゾンビとは言わずに狂乱人と言うんですよ。知ってました?』


「知っているに決まっているだろ。で、どのチャンネルを付ければいいんだ?」


『どうせ、ニュース番組以外砂嵐ですから何チャンネルでもいいですよ』


「ん? ああ、そうか」


『あれ以来、テレビ見てないんすねぇ』


「ちょっと黙ってろ」


 俺はそう言ってからテレビの電源を付けた。画面の向こうでは人々が怪獣に食べられている。


「なかなかの事態だな」


『ええ、そうでしょう?』


 怪獣は火を吹き、空に飛んでいるヘリコプターを燃やしたかと思えばしっぽを振ってビルをなぎ倒していた。


「すごい威力だ」


『ええ、そうでしょう? ん、威力?』


 人々は瓦礫の山を逃げ惑い、そして皆同じ名前を発している。そしてそして、遂に期待の人が空を飛んでやって来た。


「バイクをやめて車ってこともあったが、ついにここまで来たか」


『さっきから、何のことを言ってるんですか?』


「いやいや、遂に空に手を出すとはなぁと思ってな。これはさながら仮面グライダーと言ったところか」


『――――』


「笑えよ」


『変な冗談だなぁと思って』


 途端に俺は恥ずかしくなった。画面の向こうでは例のライダーがベルトを付けて変身しようとしている。演出の力は俺が見ていたころとは段違いのようだ。


『ああもう、僕が悪いんですね? 僕が今はニュース番組しかやってないって過言をしちゃったから。はいはい、そうですね。子供向けの番組は今でもやってますね』


「ああ。それにしても、俺が見てた頃とは大違いだ。パンチやキックだけじゃなくてビームまで出している」


『ああ、もう、はい。分かりましたから。ちなみにそれ再放送ですからね? 冗談は良いですからチャンネル変えてください。ニュース番組に』


「分かったよ」


 少し名残り惜しい気持ちがあったが俺はチャンネルをニュース番組へと変えた。


「――これは酷いな」


『ええ、そうでしょう? っていうかちゃんと見てるんでしょうね?』


「ああ、今度はちゃんと見てるよ」


 胸に込み上げてくるものがあって、俺はむしろ一度ふざけておいてよかったとさえ思えた。テレビに映っているのは市民警察を名乗るテロリストで、それは爆弾魔と化していた。あの怪獣よりもずっと恐ろしかった。手榴弾と思われる何かを投げて『ゾンビ』を爆破。それだけなら良かったが、彼らは周りにいる市民への被害を顧みていなかった。スマホで撮られた常に揺れている惨劇の映像から、今度は右手を失った少年へと映像が切り替わった。死者は七十人と報道されている。


「東京のど真ん中で、爆破事件とはな。コンビニに穴が空いてるじゃないか」


『ええ、そうです』


「それで、このテロリスト達は今どこにいるんだ?」


『近くの病院を占拠して、立てこもりをしています』


「近くの病院って?」


 俺は焦る気持ちがあった。俺が好きな女は看護師なのだ。だから、もしかしたらという思いがあった。


『ええっと小池山下病院です。医者の知り合いでもいるんですか?』


「ああ、看護師の知り合いがいてな。でも、この病院じゃないから安心したよ」


 それだけで俺は肩の力が一気に抜けたような気がした。


「それで、このことで一体俺になんの用なんだ?」


『いやぁ。ちょっと言い難いことではあるんですけどね』


「そういうのは良いから。何だ? 用件を早く言ってくれ」


 俺は今から市橋に何を頼まれるのか全く想像が出来なかった。俺は警察を辞めた人間であるというだけでなく、そもそも辞めたというよりも辞めさせられたと言った方が芯に近い表現なのだ。そんな人間に対して現役の警察が何を頼もうというのだろうか。


『今夜の作戦のことで頼みたいことがありまして』


「今夜の作戦?」


『はい。特殊部隊をその病院に突入させる作戦です。そして――』


「ちょっと待て。俺がその話を受ける受けないの前に、警察のお前が、一般人の俺にそんなことを言っていいのか? 夜に突入するなんて、そんな大事なことを」


『まぁ、ダメっていうのが普通だと思いますけどね。でもどっちみち吉田さんは関わることになりますから』


「まだ何も言っていないけどな」


『はい、とりあえず聞いてください。吉田さんに今夜の作戦でその知恵を貸していただきたいのです』


「知恵と言っても、俺はその警備部隊の配置ミスでクビになった男なんだぞ」


『えぇ、知ってますよ。ちなみに今回は吉田さんが辞めた後に編成された狂乱人対策部隊を動かします。元SATやSITと言った一線級の人員を行使するので警察のプライドとしてもますます失敗出来ない作戦です』


「俺の話を聞いてたのか? 俺は似たような作戦で失敗した側の人間なんだよ。だから力を貸せって言われたって貸せる力がないんだよ」


 俺はもうこの部屋から出るつもりはなかった。話を無理に進めようとする市橋に対して折れてやろうというつもりは全くないというこだ。


 俺はもう、この手の問題に取り組みたくなかった。


『ビビってるんですか?』


 市橋が訊いてきた。その通りだった。俺はビビっているのだ。


「あんなことがあったんだ。嫌にもなる」


『うーん。言いたいことは分かりますけど、吉田さんが嫌になったのはメディアであって警察のことではないと思うんですけどねぇ。しかも今回のコレは世間に見返すチャンスでもあるわけですよ』


「とにかく、俺はこの話を受けるつもりはない」


『ちょっと待ってくださいよ。突入作戦のこと言っちゃったんですから、こっち側についてくれないと困りますよ』


「それは俺の問題じゃない。お前が悪い」


『んん、分かりました。それじゃあ一時間後までに説得材料をそろえてまた電話します』


「おいおい、結論はもう出たんだ。この話はもういいだろう?」


 そう言いながらテレビの電源を消そうとした時だった。


 画面は切り替わり、俺のトラウマとなった事件のことが報道され始めた。

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