第27話 夜の支配者

 月が顔を出した。あたりが照らされる。


 丘の上に立っていたのは少女だった。夜より深い漆黒の髪を靡(なび)かせ、同じく黒いローブに身を包み、その首には銀に輝く月のペンダントを下げている。

 

 魔女———思い描く空想上の姿を、そっくりそのまま切り取ったかのように彼女はそこに存在していた。


 フィリオリを乗せた馬が黒い魔女の元へやってきて、足を止めた。フィリオリは変わらずに目を瞑ったまま、気がつく様子はない。


 魔女は表情もなく、フィリオリを見上げている。黒い髪の魔女と、馬上にいる銀の髪のフィリオリ。彼女たちは髪の色をのぞいて、瓜二つの顔をしている。


 敵国の方から兵士たちの雄叫びがあがった。遠かった松明がかなり近づいてきていて、蹴られて巻き上げられた雪煙と、迫り来る黒い甲冑の騎士団が見てとれた。


 騎士たちは弓を構え、空へ向けて一斉に放つ。


 弓弦が鳴り響き、夜空へ放たれた無数の矢尻が煌めくのが見えた。それから、雨のような矢が降り注いできた。


 この軌道では、フィリオリにも当たる!


「フィリオリーーーーーー!」


 俺は力の限り叫んだ。心臓を恐怖が締め付ける。


 その時、戦場に声が響き渡った。


「月夜に踊れ、下賤のものども」


 その瞬間、降り注ぐ矢が急旋回して一斉に月に向かい、踊るように飛び去った。矢は一本たりとも、地上に落ちてこなかった。


 俺は魔女の前にて下馬し、周りの騎士も俺に従った。そのとき俺は、フィリオリを乗せた馬の足が地面からわずかに浮いていることに気がついた。


「君は月夜の晩にあった———グリシフィアだね?」


 魔女は答えない。


「矢を防いだのは君の……魔法なのか?」


 答えはない。


「姉上をこちらに返してくれないか?」


 すると魔女はこちらを見て、ふっと笑った。




「嫌よ」


 魔女が手を広げると、フィリオリが空中に浮かびあがり、魔女の後ろで磔のように固定された。意識のない白銀の王女の前に、同じ顔をした黒い魔女が立ち塞がる。


「おのれ、グリシフィアァァァ!」

 

 そのとき、地面に倒れていた啓示卿が起き上がった。全身を血に染めている。


「貴様、よくも私を馬から落としてくれたね。急に現れて、どういうつもりだい。その娘は今夜の儀式の主役だ。渡してもらおう」


 グリシフィアの表情がすっと消え、冷たい目で老婆を見た。


「渡してもらおう? いつから私に、そんな口が聞けるようになったのかしら」


 老婆の体が宙に浮いていく。老婆は体をばたつかせるが、その手や足が無力に空を切る。


「グリシフィア! 貴様ぁ!」


「汚らしいわ、ナルシタリア。あなたの手でこの娘に触れるなんて、許されないことよ」


 グリシフィアの周囲の影が蠢(うごめ)いて渦をまくと、漆黒の槍の形をとった。それも一本ではなく、十数本の槍が魔女の周りに滞空した。そして次の瞬間、それは音もなく飛び、老婆の体を次々に串刺しにした。血がしぶき、断末魔をあげた老婆がぐったりと動かなくなる。


 どさりと、老婆の体が地面に落ちた。雪原に血溜まりを拡げていく。


 そのとき、他の騎士団より先行してハウルドと数名の騎士が到着した。ハウルドは黒髪の魔女と白銀の妹を見比べて、声を上げる。


「フィリオリが二人だと!?」


「違います。あれは姉さんではありません」


 グリシフィアは血溜まりに沈んだ老婆を虫けらのように見下ろしている。あのフィリオリが、こんな顔をするはずがない。


「なるほど、よく見れば全く似ていないな」

 

 ハウルドが弓を引き絞り、魔女へと狙いをつけた。


「ここはすぐに戦場になるぞ。妹を返せば、お前も助けてやる」


「私を助けてくれる、ですって?」


 魔女は嘲笑(わら)った。


「それより自分の身を案じたらどうかしら? 亡国の王子さま」


 黒い瞳が挑発するようにハウルドを見た次の瞬間、その眉間に向けて矢が放たれた。だが、それは月の方に舞い上がって魔女へは届かなかった。


「兄さん、こいつは魔女です」


「そのようだな」


 ドドドド……と、馬の蹄の音が迫ってくる。後続からのノースフォレストの白狼騎士団と、前方から迫るノースプラトーの黒羊騎士団がいよいよ近づいてきた。このままいけば、両国の騎士団はちょうどこの丘の辺りでぶつかり合うだろう。そのとき地上にいる我々は、両国の衝突に挟まれて踏み散らかされてしまう。


「グリシフィア、時間がない。このままではお前だってただでは済まない!」


 俺は彼女を説得するべく、声を上げた。フィリオリと同じ顔をしたこの魔女とは不思議な縁であり、戦いたくはない。姉さえ返してくれるのなら、危害を加えるつもりはないのだ。だが、真剣な俺の声音に対して、グリシフィアはあくまで笑みを絶やさなかった。


「ただでは済まない? 面白そうね。それは死が訪れるという意味かしら?」


「場合によっては、そうなるかもしれない!」


「なら大歓迎よ。死ぬことは私の悲願だもの」


 恍惚とした顔をして、黒い瞳を見開いた。


「私は劇的なる死を、望むわ」


 魔女が告げた。黒く長い髪が激しく靡(なび)き、発された禍々しい空気に圧倒され、俺は手で顔を庇った。


 死を、望んでいる?


 そんな人間が———そんな生き物がいるのか?


 立ち尽くす俺に対し、グリシフィアが妖艶な笑みを浮かべて手を広げてみせる。


「信じられないという顔ね。なんなら、あなたが殺してくれるかしら? どのみち、あなたのお姐さんを返すつもりはない。取り戻したければ、私の心臓をその剣で貫くことね」


「ランス! 狂人の戯言に付き合っている暇はないぞ!」


 ハウルドは槍を構えて馬を走らせた。ハッとし、俺も抜き身の剣を片手に兄の後に続き、魔女に向かって走った。


 見た目は丸腰の華奢な女性だが、そこから発せられる黒い気配は人間のものではない。それは人間離れしたガイツや啓示卿の発していた気よりもさらに禍々しく、全てを超越した神々しさすら感じる。


 躊躇えば、やられるのはこちらだ。俺は彼女を殺すことを決意した。


 その俺の決意が見て取れたのか、魔女が笑みを深めた。同時に、月の光を浴びた黒髪が淡く輝き、銀色に変わっていく。


 魔女から発せられた声が厳かに、夜の雪原に響き渡った。




「ご挨拶なさい、この夜の支配者に」


 その瞬間、魔女の月のペンダントが強い光を放った。彼女を中心にして見えない力場が円状に拡散する。するとこちらに迫っていた両国の馬たちが一斉に地面に突っ伏し、白の騎士も黒の騎士も皆等しく体が投げ出されて、地面に転がった。


 その力が俺に及んだ瞬間、体は地面に引き寄せ、まるで魔女に忠誠を誓うように片膝をつかせられた。体全体が凄まじく重くなっており、項垂れた首を上げることができない。


 動けない俺のそばに魔女が悠然と近づいてくる。そして奴からもらった指輪を見つけると、「ああ」と思い出したような声を上げた。


「あなたはあのときのランス。相変わらず誰かの決めた生き方に沿って、こんなところまで来てしまったのね。騎士の義務とやらは果たせそう?」


 俺は答えることができない。見えない圧に潰されないように堪えるのに精一杯で、声を上げることすらできないでいる。


「そんなあなたに、残念なお知らせをしなくてはいけないわ」


 彼女の声と同時に、はるか遠くから疾(はし)ってきた振動が地面を伝わり、重なり響いて強くなり、大地を揺らした。


 俺は歯を食いしばってようやく顔をあげ、そして、この世のものとは思えない光景を目にする。


 この窪地を囲む山々で最も大きく聳(そび)える霊峰、その頂上が弾けて、巨大な火柱が上がった。周囲の雪を爆発的に溶かして四散させ、大量の蒸気が上がる。そしてそれは霊峰だけでなく、窪地を囲む山々のあちこちから同じく火柱が上がった。


 その光景から一呼吸遅れて爆音と共に熱風が走り、今や等しく銀となった魔女とフィリオリの髪を揺らした。


 見たかしら? とばかりに、魔女が横目で俺を見下ろした。それからひれ伏す俺の前にしゃがみ込み、呆然とする俺の顔を覗き込んだ。悪戯(いたずら)の種明かしをする子供のような表情で、告げる。


「この国はこれから、なくなるの」

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